当施設は既存型特養であるが、ケアの対象をできるだけ小規模にするために、施設内を4つのグループに分け、職員の勤務時間等もそれぞれのケア単位に合わせて別に設定し、介護職員もできるだけ固定化してサービス提供している。

便宜上、施設内ではそれぞれのグループをユニットと称している。そしてそれぞれのユニットごとに日常の様々なサービスを独自性を持って決めることを奨励している。そのためユニット内のレクリエーションや行事等もそれぞれの個性に合わせて実施することになるが、そのための費用は、教養娯楽費の中から、「ユニット費」というものを設けて支給している。それは一律公平な配分は行なっていない。年間予算の上限は決めているが、その中で必要な企画に対し、必要な費用をかけるという意味で、その都度必要な費用支給を行なっている。つまりある意味、施設内部で各ユニットごとに、「穏やかなサービス競争」を促しているという意味にもなる。(参照:施設内民族主義とユニット間格差を打破せよ

これから北海道も、夏に向かって暖かい日が多くなる。北海道の短い夏だからこそ、この時期に利用者の方々の外出機会を増やす取り組みが大事だ。それも特別な行事として大掛かりにして、大人数で外出するのではなく、日常の暮らしの中で、地域に暮らす住民として、外出することが大事だ。

そんな中で、釣りを趣味とする方の外出企画書にこんな面白い稟議書があがってきた。

企画書

この方は下肢に障がいのある方で、車椅子を利用しているが、上半身に麻痺はない。若い頃から釣りが大好きであったが、障がいを持ってからは全くその機会が失われていた。様々なアセスメント結果や職員の「思い」から、日常的に釣りをする生活があって良いということで、昨年から外出できる期間に登別漁港まで釣りに出かけるようになった。今年も先日出かけてきたが、釣果はイマイチ。そこでリベンジという訳で、企画名に「釣りを楽しむ(大物を釣る)」と担当者が書いてきた。

真面目な施設長さんなら、「業務文書をなんと心得るか。もっと真面目に書け!!」と怒るかもしれないが、この企画名は、担当者が真剣に、利用者の思いに寄り添って、その思いを実現する具体的方法を一生懸命に考えて書いた結果であると、僕はポジティブに考えている。

こうした一人マンツーマン対応外出や、少人数での外出は当施設においては日常茶飯事だ。この釣りだって、一人の人に、勤務者が2名3時間以上施設を離れて対応することになる。(おまけに公休者も自主的に付き添っているが、これは自身の趣味という側面もあるのだろうと僕は睨んでいる。)

つまりその分、施設内では他の職員に業務負担がかかるということである。よって全職員が、この方が釣りのために3時間以上外出し、それに付き添う職員が施設を長時間離れて対応するということの意味を理解し、協力しなければ実現しないことである。そこには、釣りから帰って見せる利用者の本当に素敵な笑顔をみんな知っていて、そのことが暮らしを送る中で必要なことだという共通理解があるから、皆で協力して、笑顔で送り出すことができるという背景がある。一人一人の暮らしを見つめるケアというのは、こういう当たり前の感覚が前提になってスタートするものだと思う。

この時、せっかくそういう企画を立てても、「他の人が毎日釣りに行きたいと言ったらできないでしょ。」「その人ばっかりに手間をかけて、ほかの人をほおっておいては不公平でしょ。」という、ネガティブな想定と、悪平等意識に基づいて否定する人間が一人でもいると、こういう暮らしは実現しないのである。(参照:悪平等の弊害・平等とは何か。)

一人の人の望みに応えるサービスが可能になって初めて二人目の希望に応えるサービスが実現するのだ。たった一人の人しか望まないことを実現しないと、それ以上のサービスは生まれず、そこかtらどんどん下がっていくだけだ。

全員が釣りに行きたいと言ったらどうするの?などというあり得もしない想定でサービスを考えてしまっては、結局何も出来ない。今できることの最大限を行なって、そこから次のステップに進む方法論を考えることが一番大事だ。仮に今は二人や三人の希望にしか応えられないとしても、そのことを理由にして、応えることのできる人々のサービスさえも行わないというのはおかしい。希望者が多くなれば、時間や日にちを変えて考えれな良いだけの話だ。一歩ずつ前に進まないと百歩目にはたどり着かないのである。

ゴールがいくら遠くても、歩き続ける限り着実にそこに近づけるのだ。ゴールが見えないから歩くのをやめたら、そこで終わりだ。あとは引き返すしかないではないか。その向こうにあるものは、施設の都合に合わせた密室ケアであり、過去の遺物にしなければならないはずの「収容の場」である。

そのことをもっと真剣に考えてほしい。施設でのサービスや、そこで暮らす人々の暮らしは、施設で働く人間お都合で創る「施設サービス計画」によって決められるのではなく、そこで暮らしを送る人々によって決められるものであるはずだ。そうしないと施設サービスはいつまでも、「必要悪」と偏見を持って見られれしまう状態から脱皮できない。

本当の暮らしを作るケアを考えて行こうよ。

追伸:この方の25日のリベンジは、またしても空振り。小さな砂ガレイ一匹という釣果で、「ダメだ!!」とおしゃってましたので、次の機会を今か今かと伺っております。

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