日頃からお世話になっているKさんのフェイスブックに、次のような情報が書かれていた。

(ここから転載部分)
東京都内の講演会で桜美林大学大学院の白澤政和教授が提言。
介護保険制度に要介護認定は必要ではない。そのための年間2,800億円もかかっている。そのくらいなら介護従事者の処遇改善などに回すべきだ。医療と違い介護だけに認定という歯止めが存在している。これで良いのかもう一度検討すべきである。現在の認定項目は身体機能面に限定されており、本来の介護の必要度を示す尺度になっていない。
将来的には要介護認定制度を廃止する方法について検討していくべきであり、ケアマネジャーを始めとする専門家に信頼を置き、自由裁量を与える必要があるだろう。

(以上、転載終わり)

介護保険制度改正論議の中でも「認知症の人と家族の会」が要介護認定廃止の提言を行っていたという経緯がある。

それらを含めた要介護認定廃止論とは、要介護状態区分がなくてもケアマネジメントが機能しておればサービス利用に支障はないという考え方に基づくものだ。むしろ要介護状態区分があることによって、軽度者であっても必要なサービスがあるのに、それを抑制して使えない弊害の方が大きいので、莫大な費用をかけてまで要介護認定を行う必要はないという主張である。

そのことは十分理解できる理屈である。

要介護認定を廃止する場合、区分支給限度額も廃止されることになるが、そうなれば不必要なサービス利用が増えたり、現在「非該当」と認定されている人がサービスを使うようになって、給付費が増大するとの懸念があるだろうが、そのことはケアマネジメントがきちんと機能することで対応可能だろうし、本来そのためのケアマネジメントでなければならないはずだからである。

現行でも下記の図でわかるとおり、区分支給限度額は全体でも5割程度しか使われていないのである。つまり区分支給限度額はサービスの調整機能を果たしておらず、逆にサービスが必要な人にとっては、それがあるが故に自己負担10割となるサービスの一部を経済的理由によって抑制し、使えないというデメリットの方が大きいということは言えるであろう。

区分支給限度額
つまり要介護認定がなくなって、区分支給限度額管理が必要なくなっても、そのことによってサービス利用が大幅に増加することにはならないということだ。

そう言う意味では区分支給限度額という給付上限をなくしても、適切なマネジメントによって適正なケアプランが作成されるという結果の方が求められるわけだし、そういう方向で介護認定廃止が議論されることはやぶさかではない。

むしろ必要なサービス量の目安である区分支給限度額より、実際のサービス利用量が全体平均でこれだけ下回っているという意味は、ケアマネジメントが機能して必要なサービスを選別した結果、低いサービス利用率になっているという評価ではないことに注目すべきだ。つまり、この数字から国が指摘していることは、必要なサービスを利用者に結びつけるケアマネジメントが十分に行われていないのではないかという評価なのである。

そうであれば白澤教授が提言する、「ケアマネジャーを始めとする専門家に信頼を置き、自由裁量を与える必要があるだろう。」ことと、国の評価には大きな乖離があるということになる。

それを是正し、ケアマネジメントが信頼を得る方策はあるのか?例えば地域包括支援センターの主任介護支援専門員とは、本来地域のケアマネジメントの質担保の取り組みが主たる役割としてあるのだから、そろそろ地域包括支援センターは予防プラン作成に全職員が駆けずり回る状況をやめて、主任介護支援専門員も「知識や技術」がなくても研修受講さえすれば「なれる」という状況もやめて、配置義務のある主任介護支援専門員のスキルを担保する一定の資格・資質審査を設けた上で、実際に主任介護支援専門員が地域の各サービス事業所のケアプランチェックを定期的に行い、評価することにすれば、ケアマネジメントの評価が可能となり、自由裁量を専門職に与えて良いという根拠に結びつくかもしれない。

そしてその先に介護認定がいらない、という結果になれば、認定に係る莫大な費用や、認定ソフトを変えるためだけに定期的に浪費される国費も必要なくなり、財源論から考えてもメリットがある。そうであれば大賛成だ。

しかし・・・である。僕はこういう理屈を十分承知しているが、それでも完全に要介護認定を廃止すべきだという立場になれない。

なぜなら、要介護認定を廃止した場合、施設サービスや、通所介護、通所リハビリ、居宅介護支援などのように、要介護状態区分に応じたサービス単価で提供しているサービスの単価基準をどこに求めるかという問題が生じてくる。逆にこれらのサービスで要介護状態区分がなくなり、単価が均一化してしまえば、結果的に手がかからない元気な高齢者を優先的に受け入れ、認知症や重度の身体障害がある方の利用が難しくなるという可能性がある。同じ報酬単価なら、手のかからない人を受け入れてサービス提供しようという考えが生まれることは容易に想定できるのだ。ここは対策が別に必要だ。

しかし僕はこのことに良い対策が浮かばないのである。だから短絡的に要介護認定を廃止して良いという結論を出せないでいる。

例えば、サービス単価を均一化せず、ケアマネジメントの結果を尺度にしてサービス単価を決めることが可能ではないかという考え方がある。

しかしそれは絶対に行なってはならないことである。なぜならケアマネのアセスメントの中に、サービスを利用する際の価格決定の責任を担わすことは、価格決定に関わった当事者が利用サービス計画を立てることになり、公平性や中立性が求められるべきケアマネジャーを、そういう立場に置いてよいのかという疑問が生ずるからである。

要介護認定を廃止すればケアマネジメント能力が今以上に問われることには異存はないが、それ以前に、ケアマネジメントをサービス利用の価格決定の尺度にすることは本来あってはならないし、ケアマネジャーが価格決定の当事者になってはならないのである。そんな結果になれば、自分の作成したプランの中のサービス価格も自由設定でいるという意味に通じ、その尺度と当事者によるサービス利用の決定には客観性はほとんど存在しなくなるからである。
ケアマネジャーはむしろ、よりサービス事業者とは別個の視点から、サービス評価を行う専門職にしていかないと、単なる営利目的営業マンとして、低い位置づけでしかなくなるだろう。

別な方法として、現行の認定調査を利用しながら、認知症等のチェックが加わったチャートを利用して、その結果でサービス利用の単価を決めるという考え方もあろうが、それは事実上要介護認定を残すのとかわりないといえる。なぜならそのチャートを中立的に評価する必要があるからだ。そうであればここには新たな手間と費用が生ずると考えざるを得ない。だから要介護認定をなくすという議論は単純ではないのだ。サービス価格の尺度が別に必要になれば、そこに必ずお金がかかるという理解が同時に必要なのである。

現行の要介護認定は保険者によるものだという意見があるが、それは認定審査会という専門機関による審議過程を経ているだけに、それなりの客観性は存在するのだから、要介護認定をなくしてしまった後に、サービス価格は軽度者も重度者も同じであって良いという論理が成立する可能性がない限り、認定費用が莫大すぎるという一方向からの視点でしかみない廃止議論は極めて問題である

白澤教授の提言は、サービス利用の適切性は要介護状態区分による区分支給限度額がなくなっても問題ないという一方向からしか見ておらず、サービス利用の価格差をどう見るのか、価格差をなくしてよいのか、その時に介護の手間のかかる人がサービスを使いにくくなる恐れはないのかについてまったく検証されていない。学者が公の場で発言する内容としては極めて無責任である。

関係者は、このような意見に安易に同調するのではなく、認定廃止後のデメリットを丁寧に検証するべきである。

例えば認定費用の綿から考えれば、認定結果を出す際にほとんど資料価値としての意味のない「医師意見書」が多い現状を鑑みた時、それを廃止するだけで、どれだけの費用が削減できるのかを具体的に示したうえで、認定の簡素化によるスピードアップと、費用削減を第一段階として行なったうえで、さらにその先に認定廃止というソフトランディングの方策を考えることも必要ではないのか?(参照:やっぱり医師意見書は必要ない。)

無駄な費用削減は求められることだが、デメリットの手当に対する提言のない廃止論は、どう考えても無責任の謗りは免れない。

要介護認定をなくしても、利用者のサービスを利用する権利が守られるのであれば、それを廃止するほうが良いことは間違いない。だからこそこの部分の丁寧な議論は不可欠である。そこをおざなりにして、煽りに乗るだけではこの制度は良くならない。

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