介護サービスは形のないサービスだから、お試し利用というものはあまりあてにならない。
試した時に受けたサービスを常に同じように受けることができるという保証は何もないからだ。場合によって、サービス提供する人が違ったり、環境が違ったりすることで、その内容は全く違うものになってしまう場合もある。サービスを受ける側の体調や精神状況によっても変わってくるときもある。
しかし本来なら、こうしたサービスの質のばらつきがあってはならない。いつも一定レベルのサービスの質を担保しなければならない。そのために介護マニュアルなりを定めて、提供されるサービスの品質を一定にする必要がある。それをしていない事業者は、選択されない事業者として淘汰されていくことになるだろう。
だが一方、サービスの品質の一定化とは、最低限これだけのサービスは受けることができるという最低水準を担保するものでしかないという側面がある。そのことを理解しておかないと間違っちゃう。
介護サービスとは再現性のないサービスであるという一面を持つのだから、「お試し利用」の際も、後のサービス利用と全く同じ状態でサービス提供がされるわけではないのである。そのとき、どこまでが常に担保されるサービスレベルであるかという視点を持っていないと、後で「騙された」という結果になりかねないのである。計画担当者や介護サービス提供事業所の担当者は、利用者に対してこのことの説明責任を果たすよう注意する必要があるだろう。
介護サービスのもうひとつの特性は、必要なサービスを事前に行なって貯めておくということもできないということだ。
当たり前と言われるかもしれないが、後で介護が必要でなくなるように、○○さんに今おしっこをしてもらって、夜はおしっこしないでねということは不可能なのだ。必要なときに、リアルタイムに必要な援助をするのが、このサービスの特性でもあり、その時に必要なケアは何かを具体的に定めるものがケアプランである。
しかし貯めておけるものもある。
それは介護に必要となる時間である。利用者の思いに真摯に寄り添い、利用者の本当の思いを察しようと一生懸命に想像し、その代弁をする人になろうとして、真剣に関わりを持つ時には、たくさんの時間を必要とするだろう。利用者の真剣な思いを察っしようとするときには、我々は待つということがいかに大事であるかを知るだろう。待って見つけることの重要性を知るだろう。
この時、沢山時間をかけることができない人、待てない人に、本当の利用者の姿は隠れて見えなくなる。
時間をかけて待ちながら見つめようとする人にだけ、見つけられるものがある。
特にサービス利用を開始してまもない時期には、このことが重要だ。そこで時間をかけて、何が求められているかを想像し、何かを見つけて、そのことをしっかりケアに反映させようと努力する過程で、利用者は我々に信頼感を持ち得るのであって、そのことのできない支援者に対し、利用者は不信感しか持てないかもしれない。
認知症の方に対しては、このことは特に重要となる。
認知症の方々は、短期記憶を保持できないため、その方々にとっては常に新しい場面が次々と生まれ不安感を持つ。その時に、その不安にきちんと寄り添う支援者がいないと、不安は混乱へと発展し、それが行動・心理症状につながっていく。寄り添う誰かが、この不安を真摯に理解しようと共感的理解の態度で望む時、何度も同じ訴えに耳を傾けるときに、認知症の方はその場面、場面で安心する時間が増える。その繰り返しが支援者に対する信頼感になる。
信頼を寄せている誰かの顔を忘れても、信頼感という感情は残されているため、その方が同じ寄り添い方をしてくれる限り、その場その場で、信頼できる人に対する感情が湧き上がり、以前より時間をかけないでも落ち着く状態になっていく。
信頼を寄せる人がそばに入れば落ち着くことができる状態になり易い。その人がいるだけで、顔は忘れてしまうはずなのに、落ち着いて過ごせたりする。名前や出来事に関連する記憶と、感情を思い起こす記憶の回路は少し違うのかもしれない。
時間をかけて集中して関わる時期に、きちんと関わりを持つことができれば、行動心理症状が軽減したり、その状態が生じなくなるのだから、後々それに関わる時間が減ったと言えるであろう。
介護サービスの現場で、我々はそういう数多くの経験をしてきている。
この時、我々は「将来の介護の手間の時間を減らすために、現在沢山時間をかけて、時間を貯金しておこう」と云ったりするが、実はそのことは、時間を貯金しているだけではなく、時間と手間をかけなければ得ることが難しい「信頼関係」を紡いでいるということだ。そのベースになるものは、人に対する「愛情」であり、人間愛を積み重ねて大事なものを得ているという意味でもある。
だから我々は、このことを「愛を積む」と表現し、愛を積み上げながら日々の関わりと関係を作っていこうとするものなのである。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
試した時に受けたサービスを常に同じように受けることができるという保証は何もないからだ。場合によって、サービス提供する人が違ったり、環境が違ったりすることで、その内容は全く違うものになってしまう場合もある。サービスを受ける側の体調や精神状況によっても変わってくるときもある。
しかし本来なら、こうしたサービスの質のばらつきがあってはならない。いつも一定レベルのサービスの質を担保しなければならない。そのために介護マニュアルなりを定めて、提供されるサービスの品質を一定にする必要がある。それをしていない事業者は、選択されない事業者として淘汰されていくことになるだろう。
だが一方、サービスの品質の一定化とは、最低限これだけのサービスは受けることができるという最低水準を担保するものでしかないという側面がある。そのことを理解しておかないと間違っちゃう。
介護サービスとは再現性のないサービスであるという一面を持つのだから、「お試し利用」の際も、後のサービス利用と全く同じ状態でサービス提供がされるわけではないのである。そのとき、どこまでが常に担保されるサービスレベルであるかという視点を持っていないと、後で「騙された」という結果になりかねないのである。計画担当者や介護サービス提供事業所の担当者は、利用者に対してこのことの説明責任を果たすよう注意する必要があるだろう。
介護サービスのもうひとつの特性は、必要なサービスを事前に行なって貯めておくということもできないということだ。
当たり前と言われるかもしれないが、後で介護が必要でなくなるように、○○さんに今おしっこをしてもらって、夜はおしっこしないでねということは不可能なのだ。必要なときに、リアルタイムに必要な援助をするのが、このサービスの特性でもあり、その時に必要なケアは何かを具体的に定めるものがケアプランである。
しかし貯めておけるものもある。
それは介護に必要となる時間である。利用者の思いに真摯に寄り添い、利用者の本当の思いを察しようと一生懸命に想像し、その代弁をする人になろうとして、真剣に関わりを持つ時には、たくさんの時間を必要とするだろう。利用者の真剣な思いを察っしようとするときには、我々は待つということがいかに大事であるかを知るだろう。待って見つけることの重要性を知るだろう。
この時、沢山時間をかけることができない人、待てない人に、本当の利用者の姿は隠れて見えなくなる。
時間をかけて待ちながら見つめようとする人にだけ、見つけられるものがある。
特にサービス利用を開始してまもない時期には、このことが重要だ。そこで時間をかけて、何が求められているかを想像し、何かを見つけて、そのことをしっかりケアに反映させようと努力する過程で、利用者は我々に信頼感を持ち得るのであって、そのことのできない支援者に対し、利用者は不信感しか持てないかもしれない。
認知症の方に対しては、このことは特に重要となる。
認知症の方々は、短期記憶を保持できないため、その方々にとっては常に新しい場面が次々と生まれ不安感を持つ。その時に、その不安にきちんと寄り添う支援者がいないと、不安は混乱へと発展し、それが行動・心理症状につながっていく。寄り添う誰かが、この不安を真摯に理解しようと共感的理解の態度で望む時、何度も同じ訴えに耳を傾けるときに、認知症の方はその場面、場面で安心する時間が増える。その繰り返しが支援者に対する信頼感になる。
信頼を寄せている誰かの顔を忘れても、信頼感という感情は残されているため、その方が同じ寄り添い方をしてくれる限り、その場その場で、信頼できる人に対する感情が湧き上がり、以前より時間をかけないでも落ち着く状態になっていく。
信頼を寄せる人がそばに入れば落ち着くことができる状態になり易い。その人がいるだけで、顔は忘れてしまうはずなのに、落ち着いて過ごせたりする。名前や出来事に関連する記憶と、感情を思い起こす記憶の回路は少し違うのかもしれない。
時間をかけて集中して関わる時期に、きちんと関わりを持つことができれば、行動心理症状が軽減したり、その状態が生じなくなるのだから、後々それに関わる時間が減ったと言えるであろう。
介護サービスの現場で、我々はそういう数多くの経験をしてきている。
この時、我々は「将来の介護の手間の時間を減らすために、現在沢山時間をかけて、時間を貯金しておこう」と云ったりするが、実はそのことは、時間を貯金しているだけではなく、時間と手間をかけなければ得ることが難しい「信頼関係」を紡いでいるということだ。そのベースになるものは、人に対する「愛情」であり、人間愛を積み重ねて大事なものを得ているという意味でもある。
だから我々は、このことを「愛を積む」と表現し、愛を積み上げながら日々の関わりと関係を作っていこうとするものなのである。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
当法人にも、玄関の椅子によく腰かけておられる利用者様がいらっしゃいます。
通る度に声をかけると「今日の天気はどうね」「あら、今日も仕事だったの?」等と答えられます。
返事によっては「この方は数回しか会っていないのに、私の事を分かっていらっしゃるのではないか」と思う時があります。
周りからは「また座っている」としか思われなくても、職員は人間として彼女らを無視する事なく尊厳をもって接したいものです。
高齢者の方々は(とも限りませんが)、私にとって声をかけずにはいられない存在です。
例え違う部署の利用者様であっても。