今月20日、静岡地裁でひとつの判決が下された。

それは介護福祉士・F被告(27)に対する判決で、罪名は「業務上過失致死」。量刑は禁固3年、執行猶予4年というものだ。

事件は2010年4月24日に起きている。F被告は当日、老健で夜間勤務をしており、服を汚してしまった男性を裸にしてシャワーで洗おうとした際、男性が嫌がって暴れたため、体を押さえておよそ60度の湯を5分にわたってかけたというものだ。

現場を通りかかった職員がシャワーを止め、被害男性(当時93歳)は病院に搬送されたが、下半身などに重度のやけどを負い、同年5月5日に死亡した。

判決理由で裁判長は「入所者に適温を確認してもらうことは、基本的な手順。怠った過失は重大」とした。さらに「5分間、高温の湯を与えたことは拷問ともいうべき苦痛だった」と指摘した一方、介護施設の対応に対しても、熱傷の冷却や速やかな救急搬送が行われなかった点を挙げ、「不適切な点があったことは否定できない」とした。

当初この事件は、F被告が故意に利用者に熱湯を浴びせたと臭わせる報道があった。

しかし起訴罪名は、傷害致死罪ではなく業務上過失致死罪であるから、あくまでも故意の傷害事件ではなく、シャワーの湯温を確認せずに洗身を行ったことによる「過失」であるとして執行猶予のついた判決になったのだろう。

検察側は裁判の冒頭陳述で、被告が腹部の人工肛門(こうもん)から漏れた便で汚れた男性の体を洗浄する際に抵抗されたことで、余計な仕事が増えたといら立ち、湯温に気を配らずに高温のシャワーをかけたと指摘。男性が「やめて」と抵抗するとさらに立腹し、仰向けに押さえつけ、同僚に止められるまで計約5分間シャワーをかけ続けたとしている。

つまり検察側も熱湯をわざと浴びせたわけではなく、「湯温に気を配らずに高温のシャワーをかけた」としているわけだ。

このことについて弁護側は、2010年11月にF被告や施設側と男性の遺族の間で示談が成立したのに、県警が事件から1年以上たった2011年8月に傷害致死容疑で逮捕し、故意に熱湯をかけたかのようにされたなどと捜査や報道を批判した。

判決で、裁判長は「湯の温度を確かめる基本的な注意義務を怠った」と指摘。「やけどは重篤で、被告の行為が被害者が死亡した最大の原因と認められる」しているが、それは注意義務を怠った結果であると結論づけている。

60度のお湯が出ているシャワーを手で持っている人間が、その熱さに気付かないのだろうか?ましてやそれを浴びて苦しがってもがいている人が目の前にいて、その苦しさに気づかず数分間湯を浴びせ続けるという神経は、どのような理屈をつけても人間として許されるレベルの問題ではないように思う。

僕は介護職員の一番のスキルは、介護サービスの現場で小さなことも見逃さず「気づく」ことであると言っている。そして職場や講演会では、「どうそ気づく人でいてください」「気づいたことを代弁する専門職でいてください」と言っている。
(参照:気づく人でいてください

だからこの事件で、利用者のもがき苦しむ姿に何も気がつかなかった被告は、介護の専門家としてスキルはなかったと思う。

ただ結果責任としての判決内容をどうこういうつもりはまったくない。

しかし少なくとも、こうした事件で考えねばならないことは被害者のことである。93年間生きてきて、様々な喜怒哀楽があったことと想像するが、人生の最期の数分間、死につながるほどの火傷につながる熱湯を浴びせ続けられた苦痛・・・。痛かったろうな。苦しかったろうな。・・・

その方の人生は、この一瞬・・・最期の5分間で不幸せなものになってしまったのではないだろうか。

結果責任として、そのことは被告が今後一生頭(こうべ)をたれて、十字架を背負っていかねばならないほどの罪だと思う。

故意であろうと、なかろうと、我々は自らの手で、そのような悲惨な状況を作り出してはならないのである。

あらためて被害に遭われた方のご冥福を祈ると共に、我々の周囲からこうした悲惨な状況をなくしていくために何をすべきかを考えたいと思った。合掌。

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