明日、奈良県にて「社会福祉法人・史明会開設10周年記念特別講演会」が行われる。その講師として同地に向かって移動中である。

列車に揺られながらとりとめのないことを考えていた。気づけばいつも記事更新している時間になった。ついでだから今ぼんやり考えていることを、徒然なるままに書くつもりなので、読者にとってはあまり意味のない文章になるかもしれない。いつも書いているように、誰かに読んで欲しいというより、書きたいことを勝手に書きなぐっている場所だから、それも仕方ないことと思って欲しい。

誰かが、誰かに対して親切にしているのを見ると、なんとなく良い気持ちになる。知らない間に微笑んじゃったりしてることもある。

辞書を引くと、親切とは「相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。」って書いてあるけど、そんな言葉の意味を調べなくても、親切にしてるってことは見ただけでわかるよね。

「うん」とうなづいたあなた。本当にそうか?

「親切ごかし」という言葉もあるよな。親切らしく見せかけて、自分の利益を図ることを意味する言葉だけど、それって見分けがつくのか?難しいよね。

自分では親切にしてるつもりでも、結果的にそのことがアダになったら、それって本当の意味で親切だったんだろうかって疑問になる。

それにこの「親切」って文字、すごくないか。「親を切る」って意味深だ。

親切にする、という行為にも自己責任とか、ある種の覚悟とかを伴うってこともあるのかな。

だけど、そんなことを何も考えないで、人が人を思いやって、みんなが幸せになれるように、他人に尽くせる社会は理想だ。

だけど自分自身のことを考えても、知らない誰かには親切にできるけど、普段から「イヤナ奴だ」と思ってる相手には、なかなか親切心がわかない。人間として未熟で、デキテイナイ自分に気づいて嫌になちゃうよな。反省しても、反省しても、なかなか直せない部分がある。

ネット上の僕は、決して親切ではない。講演等で全国を回っているが、会場で初めてお会いする人に「この前、掲示板で怒られました」と言われることも多々ある。だから僕のことを「怖い」というイメージを持っている人も多い。

でもね、ネット上で苦言を呈しているのは怒ってるんじゃなく、叱ってるつもりだぜ。別にその相手が憎いわけでも、嫌いなわけでもない。それじゃあ困るだろうと思いやってるつもりだ。相手に無関心だったら無視すれば良いだけだからね。無視しないで、レスポンスしている間は、愛してるって思ってほしい。

そもそも表の掲示板で、情報を提供したり、質問に答えたって、僕にはなんの利益もない。むしろあの場所があることで、嫌われることのほうが多い。それでも必要なんだろう。必要としている人がいるんだろう。優しくて、なんでも教えてくれて、自分で調べたり考えたりする努力を必要としないネット掲示板はたくさんあるさ。そういう場所を求める人は、そういう板を利用すればよい。あえて僕の管理する板やブログにつなげる必要はないってば。

僕に叱られるほど愛されたい人だけが使ってくれればよい。だってあの場所では叱れるけど、実際に面と向かっては叱れないのが、気の弱い僕の実態だ。嘘だろうって?どうかな?

奈良県の講演会場で明日お会いする方は、どっちかわかるかな?実物を見て判断してください。

古の都(いにしえのみやこ)奈良に行くのをとても楽しみにしています。みなさんに会えるのもとても楽しみにしています。

それでは明日の会場でお会いする皆さん、どうぞよろしくお願いします。

飛鳥路(あすかじ)を、明日かあすかと、夢見る春かな

↑ひどい駄句でした。失礼しました。

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