認知症の高齢者のケアの視点として、「生活リズム」を整えることが大事であるという記事を書いたことがある。
(参照:介護拒否の対応は生活リズムを整えることから

しかし介護保険制度創設以後、認知症ケアの切り札として考えられたグループホームが、全国にたくさん建設されるようになると、認知症ケアの専門性を持ったケアサービスを行うはずのグループホームにおいてさえ、生活リズムを無視して、狂ったリズムに都度対応することが「日課のないサービス」であると勘違いしている従業者も数多くみられるようになった。
(参照:小規模施設の経営者が陥りやすい落とし穴3〜日課のないケアサービスの意味

(※注:キャリアブレインの医療 介護 大会議のサイトでコチラをご覧の方は、文字に貼りついた参照リンク先が正しく表示されません。お手数ですが、記事の一番下までスクロールして頂き、「このブログを筆者のサイトで読む」をクリックして本サイトにて記事をお読みください。)

グループホームは、急激に増えたために、その質の格差が大きく、ユニットケアの特徴を生かして素晴らしいサービスを提供しているホームがある反面、ハードだけはユニットになっているが、そこで提供されるケアソフトは、専門性のまったくない密室ケアであるホームも少なくないという現状がある。

その一因は、「認知症ケアの切り札」であったはずのグループホームが、バブル経済崩壊後の不動産不況が相まって、「不動産活用の切り札」として利用されたという側面もある。規模が小さく、比較的低コストで建設可能であるため、不動産業者が建て売りし、グループホームを「やってみたい」人がそれに乗るという構図である。指定申請書類さえ整っておれば、すべて認可された当時は、この形態のグループホームがたくさん生まれた。

どちらにしても急激な数の増加に、人材が貼りつくスピードが追いつかないことで、多くのグループホームでは(他の介護サービス事業も似たような傾向にあるが)人材を確保するより、人員を確保するのがやっとの状態が生まれた。そこではユニットケア・生活支援型ケアとはなんぞやという基本を知らない職員により、認知症ケアの基本も理解されずに、素人の管理者の変な価値観で運営されるグループホームが続々と出現し、職員も育たない環境で、とりあえず認知症高齢者を集めて生活させているだけというホームも多いのだ。

そしてこの現状は、グループホームが地域密着型サービスとなり、市町村に指定権限が移ってからも大きな変化はなく、むしろ専門性のないグル―プホームの数は増え続けている。新しいグループホームができたから、そこは良いホームだろうということにはならないのである。

だから利用者やその家族、あるいはそこで就業しようという人々は、そのグループホームが、しっかり認知症高齢者の暮らしを守っているのか、職員に認知症ケアの基本教育がされ、スキルアップできる土台がきちんとあるのか、という点を充分確認して入所するなり、就業しないと、後々大変なことになってしまうので注意が必要だ。

認知症ケアの基本は、型にはめず、サービス提供側の都合に合わせるのではなく、利用者が何をしたいのか、どういう暮らしを送りたいのかを想像し、それを受容し、そして代弁し、その実現を図ることである。だからと言って、利用者個々人の生活リズムが乱れたままでは、混乱が収まらず、行動・心理症状(BPSD)は出現し続ける。

それらの症状の「原因因子」(身体的・心理的・社会的・環境的要因)を探り、それを取り除くことが重要であるが、その原因因子を的確に把握するためにも、生活リズムを整えることは不可欠であり、そうであるがゆえに個人ごとのルーティンワークを作る支援というのは重要である。

そのルーティンワークとは、何も役割に限らず、趣味でも、楽しみごとでも、何でもよいのだ。認知症高齢者が興味を持つことができるもの、集中して行えることを、日課活動の中にルーティン化していくという視点も持つことで、そのケアの方法論はさらに広がるだろう。当然そこには「パーソン・センタード・ケア」という概念と共通する考え方があるが、それは何も「認知症ケア」ではなく、「ケア」そのものであると僕は考えている。

人に対する警戒心や恐怖心が強い認知症高齢者の場合には、過去に人との関わりで「怖い」という体験を持った方が多い。そうした方々に「虐待」を受けたという体験があるとは限らない。例えば周囲の人々が認知症高齢者の混乱原因が分からずに、その混乱を無理に修正しようとして関わった結果であることも多い。

つまり善意で、何とかしようとして関わる第3者の存在そのものが、認知症高齢者にとっては脅威になる場合があるのだ。周囲の人々が、「こんなに貴方のことを思っているのに・・・。」と考えたとしても、そのことが認知症高齢者の方には理解出来ないことが多い。それより、その思いの押しつけが脅威になってしまうのだ。

だからゆっくり、ゆっくり、静かに・・・それが大事だ。我々が認知症高齢者の思いに寄り添う時は、あせらず、ゆっくり関係性を作っていくことが大事なのだ。壊れやすい認知症の方々の心を温かく包む関係づくりが不可欠だ。

我々は認知症高齢者の方々と向かいあった瞬間から、それらの人々の受容に努めねばならない。これは専門家として当然の姿勢である。しかし認知症高齢者の方々が、我々のことを受け入れようなんて努力してくれることはあり得ない。それらの人々が、我々を受け入れることがでいるためには、我々の側に100%の努力と援助技術が求められるのだ。

自宅から特養に入所した認知症高齢者が、いきなり環境に適応して良い暮らしが即実現するなんてことはあり得ない。「帰りたい」と歩き回り、外に出ようとするのは当たり前だ。

その時に、環境に慣れる前に、人に慣れて、信頼してもらえるような関わり方が求められている。ゆっくり、静かに、心をこめて関わる先にしか、「暮らし」は生まれない。

人が尊重され、人が愛される場所でない限り、「暮らし」は生まれない。

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