皆さん、今日4日はどのようにお過ごしですか。きっとまだお休みの方も多いでしょう。日ごろの疲れをとってリフレッシュするために、仕事を忘れてゆっくり休んでください。
それから今日が仕事始めの方も多いでしょう。正月気分から抜け出して、今年1年も頑張りましょう。
年末も正月も関係なく働いておられた方も多いでしょうね。本当にご苦労様です。そしてありがとうございます。皆様が働き続けてくれたおかげで、たくさんの人々が幸せになれたのです。皆さんは決して社会の歯車の一つではなく、そこに存在する一人ひとりにとって、なくてはならない人なのです。誰かのオンリーワンであることを誇りに思ってください。そして・・・時期がずれると思いますが、ゆっくり休んで疲れをとってください。
2012年という年は、介護サービス事業者にとって厳しい年になるでしょう。
それは改正介護保険制度が、財源論により歪んだ形でしか前に進んでいかないからです。特にこのことは「人材確保」の面で強く負の影響が表面化するでしょう。有能な人材を求めることができない制度の将来が、どのような結果をもたらすかということを、国の官僚はともかく、制度の方向性を議論する「有識者」と呼ばれる連中が分かっていないのはどうしようもありません。はっきり言ってこの国の介護サービスの未来には「荒野」しかイメージできないのが現状です。戦略も戦術もまったく通用しないバリアが存在するだけにしか思えません。
しかしその中でも我々は「福祉援助者」としての心を失わず、向かい風に立っても決して負けることなく、逆境をはねのけて、社会福祉の光を社会の隅々まで届ける活動に汗をかこうではありませんか。我々が諦めてしまっては、荒野に咲く花の種を蒔く人がいなくなるというほどの心構えを持たないと挫折しちゃうかもしれません。そうなっちゃあいけない。
僕は今日4日から通常業務です。事務関係はこの日から出勤なので、今日の利用者のお昼ご飯は「お雑煮」で祝っております。その見守りのため全ての職員が総出で対応しているため、利用者の皆様に新年のあいさつを終えた僕だけが、電話番と来客対応で事務室に残って、この記事を更新しています。
このように介護施設もお正月の気分が漂っていますが、それは特別な時間ではあっても日常と繋がっている時間であることを忘れてはならないと思っています。特別な時間より日常の方がずっと長いのです。その日常をどのように守っていくのかを考え続けるのが我々の努めではないでしょうか。
僕のできることは、本当に小さなことでしかないけれど、小ささを恥じずに続けたいと思います。誰か一人だけのためでよいから、「慰める赤い花」のような存在でいたいと思います。
今年の3が日は、日直出勤もなく自宅で過ごしました。これもひとえに正月に関係なく働いてくれる当施設スタッフの存在があるからです。それらの従業員に本当に頭が下がります。いつもありがとう。
ところで自宅で過ごしたと言っても、決してのんびり休息していたとか、遊んでいたわけではありません。
今月末に、このブログの書籍化本「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」が発刊されます。そのため年末28日に出版社から最終校正ゲラを送るので6日までに最終チェックを終えてほしいと連絡がありました。情け容赦ない出版社でしょ。(笑)
手元にゲラが届いたのは30日でした。その日も僕は仕事で、夕方午後6時からの夕食時間で利用者の方々の忘年会(当施設では年取りの宴と呼んでいます。)を行いましたので、家に帰ったのは午後9時過ぎでした。その晩は一年の業務を終えたお祝いで、軽く一杯。(まあいつものことですが)。とても校正作業に着手する気持ちにはなりませんでした。
ということで、大晦日から3日までは、ゲラチェックにかかっていましたので、のんびり休息をとるという状態ではありませんでした。
そんな中でも箱根駅伝はしっかり見ましたけどね。これは僕にとって正月の最大の楽しみです。優勝した東洋大学の主将でエース、福島県出身の柏原竜二クンがインタビューの中で「僕が苦しいのはたった1時間ちょっと。福島の人たちに比べたら、全然きつくなかった。」と言いました。その言葉には本当に感動しました。こういうセリフをさらっと言える人は素敵ですね。
僕も今日からフルスロットルで頑張ります。
来週末には被災地の福島県と宮城県にお邪魔して、今年最初の講演も行います。(参照:masaの講演予定)被災地域で頑張っている仲間が、元気を得られるお話しをしたいと思います。そして彼らに負けないように、僕らも現場で様々な喜怒哀楽に寄り添う人になりたいと思います。
ところで正月といえば年賀状ですが、これを書かない人が増えているようです。僕の二人の息子も、年賀状を書くという習慣を持っていません。(昨年就職した二男は、職場の方から来た年賀状にあわてて、コンビニから年賀状を買ってきて書いていました。)友達同士の新年あいさつは、携帯メールで済まし、儀礼的な挨拶は不要ということのようです。でも年をとると、普段メールでやり取りのない古い友人と、年に一度だけでも年賀状で挨拶を交わすことは、すごく意味のあることなんだと思うのですが、若い世代はそういうことに興味はないようです。
いずれこの国の正月の風習から、年賀状を交換するという文化は失われていくんでしょうか。それも少し寂しい事ですね。心っていうのは、葉書の文字を通して繋がることもあるのに、そういう機会や風習が失われていくということは、決して「進化」ではないでしょう。電子メールの文字が、ハガキの文字と同じように感じる世代には、そういう意識もなくなるのかな?
皆さんは年賀状を「書く派」ですか?「書かない派」ですか?新年ですから、下に貼り付けた年賀状のアンケート投票にご協力ください。
↓ブログ書籍化本、待望の続編いよいよ今月発刊。第1弾も引き続き好評で第4刷増刷。続編の前に是非読んでください。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします。


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介護・福祉情報掲示板(表板)
それから今日が仕事始めの方も多いでしょう。正月気分から抜け出して、今年1年も頑張りましょう。
年末も正月も関係なく働いておられた方も多いでしょうね。本当にご苦労様です。そしてありがとうございます。皆様が働き続けてくれたおかげで、たくさんの人々が幸せになれたのです。皆さんは決して社会の歯車の一つではなく、そこに存在する一人ひとりにとって、なくてはならない人なのです。誰かのオンリーワンであることを誇りに思ってください。そして・・・時期がずれると思いますが、ゆっくり休んで疲れをとってください。
2012年という年は、介護サービス事業者にとって厳しい年になるでしょう。
それは改正介護保険制度が、財源論により歪んだ形でしか前に進んでいかないからです。特にこのことは「人材確保」の面で強く負の影響が表面化するでしょう。有能な人材を求めることができない制度の将来が、どのような結果をもたらすかということを、国の官僚はともかく、制度の方向性を議論する「有識者」と呼ばれる連中が分かっていないのはどうしようもありません。はっきり言ってこの国の介護サービスの未来には「荒野」しかイメージできないのが現状です。戦略も戦術もまったく通用しないバリアが存在するだけにしか思えません。
しかしその中でも我々は「福祉援助者」としての心を失わず、向かい風に立っても決して負けることなく、逆境をはねのけて、社会福祉の光を社会の隅々まで届ける活動に汗をかこうではありませんか。我々が諦めてしまっては、荒野に咲く花の種を蒔く人がいなくなるというほどの心構えを持たないと挫折しちゃうかもしれません。そうなっちゃあいけない。
僕は今日4日から通常業務です。事務関係はこの日から出勤なので、今日の利用者のお昼ご飯は「お雑煮」で祝っております。その見守りのため全ての職員が総出で対応しているため、利用者の皆様に新年のあいさつを終えた僕だけが、電話番と来客対応で事務室に残って、この記事を更新しています。
このように介護施設もお正月の気分が漂っていますが、それは特別な時間ではあっても日常と繋がっている時間であることを忘れてはならないと思っています。特別な時間より日常の方がずっと長いのです。その日常をどのように守っていくのかを考え続けるのが我々の努めではないでしょうか。
僕のできることは、本当に小さなことでしかないけれど、小ささを恥じずに続けたいと思います。誰か一人だけのためでよいから、「慰める赤い花」のような存在でいたいと思います。
今年の3が日は、日直出勤もなく自宅で過ごしました。これもひとえに正月に関係なく働いてくれる当施設スタッフの存在があるからです。それらの従業員に本当に頭が下がります。いつもありがとう。
ところで自宅で過ごしたと言っても、決してのんびり休息していたとか、遊んでいたわけではありません。
今月末に、このブログの書籍化本「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」が発刊されます。そのため年末28日に出版社から最終校正ゲラを送るので6日までに最終チェックを終えてほしいと連絡がありました。情け容赦ない出版社でしょ。(笑)
手元にゲラが届いたのは30日でした。その日も僕は仕事で、夕方午後6時からの夕食時間で利用者の方々の忘年会(当施設では年取りの宴と呼んでいます。)を行いましたので、家に帰ったのは午後9時過ぎでした。その晩は一年の業務を終えたお祝いで、軽く一杯。(まあいつものことですが)。とても校正作業に着手する気持ちにはなりませんでした。
ということで、大晦日から3日までは、ゲラチェックにかかっていましたので、のんびり休息をとるという状態ではありませんでした。
そんな中でも箱根駅伝はしっかり見ましたけどね。これは僕にとって正月の最大の楽しみです。優勝した東洋大学の主将でエース、福島県出身の柏原竜二クンがインタビューの中で「僕が苦しいのはたった1時間ちょっと。福島の人たちに比べたら、全然きつくなかった。」と言いました。その言葉には本当に感動しました。こういうセリフをさらっと言える人は素敵ですね。
僕も今日からフルスロットルで頑張ります。
来週末には被災地の福島県と宮城県にお邪魔して、今年最初の講演も行います。(参照:masaの講演予定)被災地域で頑張っている仲間が、元気を得られるお話しをしたいと思います。そして彼らに負けないように、僕らも現場で様々な喜怒哀楽に寄り添う人になりたいと思います。
ところで正月といえば年賀状ですが、これを書かない人が増えているようです。僕の二人の息子も、年賀状を書くという習慣を持っていません。(昨年就職した二男は、職場の方から来た年賀状にあわてて、コンビニから年賀状を買ってきて書いていました。)友達同士の新年あいさつは、携帯メールで済まし、儀礼的な挨拶は不要ということのようです。でも年をとると、普段メールでやり取りのない古い友人と、年に一度だけでも年賀状で挨拶を交わすことは、すごく意味のあることなんだと思うのですが、若い世代はそういうことに興味はないようです。
いずれこの国の正月の風習から、年賀状を交換するという文化は失われていくんでしょうか。それも少し寂しい事ですね。心っていうのは、葉書の文字を通して繋がることもあるのに、そういう機会や風習が失われていくということは、決して「進化」ではないでしょう。電子メールの文字が、ハガキの文字と同じように感じる世代には、そういう意識もなくなるのかな?
皆さんは年賀状を「書く派」ですか?「書かない派」ですか?新年ですから、下に貼り付けた年賀状のアンケート投票にご協力ください。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
大変ご無沙汰致しております
更にその節はお世話になりました
>誰かのオンリーワンになる・・・
この言葉は恋人同士・夫婦の間で、相手に対して抱きます
家族に於いては親は子の為にとおもいます
仕事・趣味思考のあう仲間・偶然に関わった通りすがりの関係等々など
長短や多少・深浅の質量、本心仮心であっても、誰かのオンリーワンになる
これは人それぞれの『最初の一歩の心』に感じるのは避けられないように思えてきます
その次に『行動の仕分け』をして、本心=真実の心と決定を下し行動する(どこかの心理学の書見)
昨年の自然災害が、不幸にして起きてしまい【絆】を考えさせられました
きっと世の中、少しだけ佳く変わる事を期待したいですね(o^∀^)人
masa先生、お身体をご自愛頂きお過ごしされます様に。
一ロムラーとして、お邪魔しました事をお許しください(^.^)b