11月18日(金)、北九州市の社会福祉法人・援助会さんが実施する職員研修に招かれ、「看取り介護講演」を行った。仕事を終えた夜7:00から、休憩なしの120分という長時間の講演であるにも関わらず、皆さん熱心に話を聞いて下さった。ありがとうございます。

当日は質疑応答の時間が取れなかったが、翌日駅まで送ってくださった方が、受講された職員さんから「デスカンファレンスへの家族参加」についての質問をしたかったという話を聞いたので、車中で簡単に答えさせていただいた。そのことについてこの場でもう少し説明したい。このことは非常に重要と思うので、看取り介護に取り組むすべての方に考えていただきたい。

デスカンファレンスの事を、僕の施設では「看取り介護終了後カンファレンス」と呼んでいるが、これは当初から行っていたわけではなく、平成20年4月から実施することとしたものである。

その理由は、単に看取り介護を行ったという実践結果だけがあっても、それを検証しなければ、旅立っていかれた方が本当に最期の瞬間まで幸福でいられたのか、満足するケアを受けたのかが分からないと考えたからであり、我々の実施責任としてその結果を検証しようという意味がある。

それを行わない限り、当施設の看取り介護の理念としているマザーテレサの言葉「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに替わるでしょう。」に沿った支援が行われたかを適切に評価し得ないものであり、常に結果責任を考えねばならない介護サービス従事者としての責任を果たしていないことになることに気づき、本当の意味で安心・安楽の場を最期の瞬間まで提供できたかを明らかにするためには、ケースごとに「看取り介護終了後カンファレンス」として評価することでしか我々の責任を果たせないと考えたものである。

つまり「看取り介護終了後カンファレンス」とは、看取り介護の実践を「自己満足」に終わらせないために、よい面も悪い面も両方を含めて適切に検証・評価し、次なる「高み」を目指すという意味がある。

しかしこの検証作業を職員の視点だけで行えば、結果としてそれは「サービス提供側の理屈や都合」からの評価にしかなり得ず、看取り介護の対象者や、その家族の不安や不満には触れられず、真実の評価にはなり得ないと思う。

看取り介護対象者本人の声を聞くことは不可能でも、残された遺族の声を聞くことによって、旅立たれた利用者の「声なき声」にも触れられる可能性がある。耳が痛い話しに耳をふさぐのではなく、そこで感じた不満や不安を含めて真実の声を拾う努力をせねば、本当の意味での評価にはなり得ない。

しかし遺族が必ず「看取り介護終了後カンファレンス」に参加する時間をとれるとも限らないし、逆にカンファレンスという多数の職員の集まる場所では、面と向かって本音を語れないという人もいる。そのためにカンファレンスに参加することに替えて、アンケートに答えていただき、その結果をカンファレンスで検証するということがあってもよい。むしろその方が遠慮せず、本音をぶつけられる場合もある。

大事なことはカンファレンスに参加するか、アンケートで意見を反映するかを、遺族が選んで、どちらかの方法で第3者の視点からの意見を検証作業に取り入れることである。そうした評価にも耳を澄ますことが必要なのだ。職員以外の価値観からも看取り介護の実践結果を評価することでしか見えないものがあるからだ。

そのために「看取り介護実施に関するアンケート」を作成し、慰留金品の引き渡しの際に、カンファレンスの実施について説明し、そこに参加できない場合にはこのアンケートに回答していただくことをお願いしている。9割以上の方が、アンケートでの回答となっているが、その結果、職員が気付かなかった様々な意見が出される。ほとんどの方が「ありがたかった」「満足している」と評価して下さるが、「どんな希望でも、こうだったらより良かった、という本音を書いてください。」とお願いすることで、「不満ではないが」と前置きしつつ、いろいろな視点からの意見を拾うことができる。

静養室を模様替えした理由」でもその一例を紹介しているが、そのほかにも施設で看取ることに同意したものの、いざ最期の瞬間を迎えるに当たって、医療提供体制に不安を持つ家族の気持ちがカンファレンスで明らかになり、特に終末期の利用者の状態変化などを目の当たりにして、医師が常駐していない施設でのケアを選択したことに後悔する気持ちが起こった、という事実を知ったことから、そうした不安を抱える家族がいることを想定し、もっと終末期の状態変化を家族にも分かりやすく説明しなければならないことに気づき、「ご家族の皆様に〜愛する人の旅立ちにあたって」というパンフレットを作製した。

このように施設職員の価値観だけで評価せず、遺族の評価を取り入れて初めてデスカンファレンスは客観的な評価となり得るのであり、家族のカンファレンスへの何らかの形での参加(アンケートで回答することも含む)は不可欠であると考える。遺族の会議参加を強要する必要はないが、何らかの形で「社交辞令」ではない本当の気持ちを明らかにしてもらう方法を取り入れるべきである。

そのことで我々のケアは向上していくと信じている。

このことについて当施設では介護職員が次のように意識変化してきたと発言している。(9/28、老施協日胆地区直接処遇職員研修会:於苫小牧市における職員発表より)

『家族と一緒に「その方がその方らしく生きるために何ができるか」を考えたいという気持ちが強くなり、普段からの関わりを大切にするようになってきた。』
『今までは対象者が亡くなるまで教えてくれていたと感じていた事が、カンファレンスを通して亡くなったあとでも教えて下さる事の多さ、その大切さを改めて痛感した。』
『看取り介護になってからの援助よりも、日頃の援助こそが大切であることが再確認できるようになった。』

このように非常に重要な気づきを促してくれるのが「看取り介護終了後カンファレンス」であり「家族の声」である。

デスカンファレンスを行っていても、遺族の声が反映されていないシステムになっている場合は、是非改善していただきたいと思う。

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