今日はいつもよりかなり早い時間の記事更新となっている。昨日の記事で紹介したように、今日は福岡県北九州市で講演を行うため、朝9:00にJR東室蘭駅から特急に乗ったのを皮切りに、現在移動の途中で、これから11:05発福岡行きの航空機に乗り込むため、新千歳空港の搭乗口で記事を書いているためだ。
ということであまり難しい内容の記事を書いている余裕がないので(ipadで、移動の合間に打ち込んでいるため)移動報告でも書こうと思ったが、別の話題にした。
それというのも「書籍化本・続編の刊行について。」でお知らせしたとおり、現在続編発刊に向けて作業が進んでいるのだが、その中の「コラム介護歳時記」という章では、僕の私的な話題を何点か書いており、若い頃、野球をやっていた頃の思い出も書いている。その中で全国優勝した際の胴上げの写真を掲載できないかという案が出て、その頃の写真を探していたら、懐かしい写真がたくさん出てきた。
思えばこのブログは40歳代後半から書き始めたので、僕の若い頃の顔を写した写真は例外的に数点載せているだけで、それ以外はサングラスをかけた40代以降の写真画像がほとんどである。
せっかく見つかった写真だから、また押入れの奥深くに埋めてしまうのではなく、記念にこの場所にも残しておこうかと考えたので、興味のない方の方も多いだろうが、僕の青春時代の後半期の写真を載せておく。
ただ青春時代といっても年齢は29歳から30歳の頃だ。それは青春ではないだろうという人もいるだろうが、僕にとって野球に汗を流して、チームの皆と優勝を目指して熱く燃えていたあのときは、まさに「青春」の最後の灯を燃やしていた時代なのである。今日訪ねる福岡も、日本シリーズの第6戦以降の戦いで、明日からも盛り上がるだろうが、あの頃の僕らも、個人の心としては決して今のホークスの選手に負けないくらい燃えていたのである。そのとき勝ち取った栄冠は、まさに「俺たちの勲章」として心の中に永遠と残っていくだろう。そして僕はもっと年をとって、認知症になったとしたら、全国優勝した記憶だけはしっかり残って、毎日何度もそのことを繰り返し話し続けていることだろう。どうかそのときは「また同じことを言っている」と無視しないで聞いて欲しい・・・。
※ホークスがんばれ!!パリーグファンとして優勝を祈ってるぞ!!多分明日決まるだろう。胴上げ投手は和田かな?
さて最初に、小さな写真は以前も掲載したが、岩手県営球場で行われた「平成2年東日本軟式野球選手権(一部)」の優勝の瞬間の胴上げシーンである。監督の胴上げの後、当時・主将であった僕が胴上げされている場面である。

下は表彰式である。アマチュア軟式野球は、監督が背番号30、主将は背番号10と決められている。自分の表情をみると、喜びにあふれているというより、疲れとホッとしたのと、入り混じっているように見える。

ところで表彰状を受け取っているのは、当時の窪谷監督である。仕事の上ではソーシャルワーカーの先輩として、僕が何も分からない新人だった頃から、いろいろとお世話になりました。今刊行されている「人を語らずして介護を語るな」の記事の中に「私は、これで煙草をやめました。」という記事があるが、この中で「俺達ワーカーは、患者さんに簡単にあれはしちゃあいけないとか、これは駄目だとか、あれを止めろ、これを止めろと言うけれど、そう簡単に出来るもんじゃあないよな。キクチくんは、お年寄りに指導する立場だけど(当時は生活指導員と言われていたため、こういう方をされた)逆に何か指導されたら、どう思う?自分で何が止めれる?」というセリフを語る人物が登場するが、何を隠そうその人が監督である。
そのおかげで僕は煙草も止めたし、制限することは馬鹿でもできるが、できる可能性を探すことは専門家しかできないことを教えていただき、今の僕に繋がっている。・・・・・しかし、窪谷監督は、その後、関連病院の事務長として在職中に不慮の事故で若くしてお亡くなりになられた・・・。今考えても残念でならない。そういう思いも込めて上の写真をここに載せた・・・。
その下は決勝進出を決めた準決勝ゲームセットの瞬間である。今より細くてスポーツマン体型でしょ。でもこの写真の俺、眼鏡の形もそうだけど、ヤクルトの古田みたいじゃねっ・・・。

ところでこの全国大会出場に繋がった全道大会は清里町とうところで行われたが、優勝したご褒美に、翌日は「観光休日」をもらい、その近くでは一番大きな観光地であった網走市で遊んだ。僕らはオホーツク流氷館というテーマパークに出かけたが、そこでコンパニオンのお姉ちゃんに鼻の下を伸ばしているのが下の写真である。(ちなみに平日だったので僕ら以外の客はおらず、お姉ちゃんとじゃれながら時間をつぶした。彼女ももういいお母さんになっていることだろう。)

この後、マイクロバスで一路帰宅の途に就いた。バスの中と、途中の峠で記念写真。最後に掲載している写真・右端の人物のお尻に注目していただきたい。誰であるかは名誉のため伏せておく。写真もわざとサイズを小さくしたのは、彼だと分からないようにするためだ。ヒ〇〇、懐かしいねえ。(※〇の中にどんな文字が入るでしょう。笑)ちなみに勿論僕ではない。僕は後列の尻出し男の左隣で、白いランニングシャツ姿になっている。ン・・。バスの中と服装が違うのは何か着替えなければならない理由があるよな。それは想像にお任せする。なお尻出し男は、この後もバスの走行中に、フロントガラスに尻丸出しで貼りつき、対向車をびっくりさせていたことを付記しておく。


ということで意味のない記事でごめんね。月曜からはバッチリ硬派の記事を書くから期待してほしい。
↓ブログ書籍化本、おかげさまで続編1月25日発売決定。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします。


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介護・福祉情報掲示板(表板)
ということであまり難しい内容の記事を書いている余裕がないので(ipadで、移動の合間に打ち込んでいるため)移動報告でも書こうと思ったが、別の話題にした。
それというのも「書籍化本・続編の刊行について。」でお知らせしたとおり、現在続編発刊に向けて作業が進んでいるのだが、その中の「コラム介護歳時記」という章では、僕の私的な話題を何点か書いており、若い頃、野球をやっていた頃の思い出も書いている。その中で全国優勝した際の胴上げの写真を掲載できないかという案が出て、その頃の写真を探していたら、懐かしい写真がたくさん出てきた。
思えばこのブログは40歳代後半から書き始めたので、僕の若い頃の顔を写した写真は例外的に数点載せているだけで、それ以外はサングラスをかけた40代以降の写真画像がほとんどである。
せっかく見つかった写真だから、また押入れの奥深くに埋めてしまうのではなく、記念にこの場所にも残しておこうかと考えたので、興味のない方の方も多いだろうが、僕の青春時代の後半期の写真を載せておく。
ただ青春時代といっても年齢は29歳から30歳の頃だ。それは青春ではないだろうという人もいるだろうが、僕にとって野球に汗を流して、チームの皆と優勝を目指して熱く燃えていたあのときは、まさに「青春」の最後の灯を燃やしていた時代なのである。今日訪ねる福岡も、日本シリーズの第6戦以降の戦いで、明日からも盛り上がるだろうが、あの頃の僕らも、個人の心としては決して今のホークスの選手に負けないくらい燃えていたのである。そのとき勝ち取った栄冠は、まさに「俺たちの勲章」として心の中に永遠と残っていくだろう。そして僕はもっと年をとって、認知症になったとしたら、全国優勝した記憶だけはしっかり残って、毎日何度もそのことを繰り返し話し続けていることだろう。どうかそのときは「また同じことを言っている」と無視しないで聞いて欲しい・・・。
※ホークスがんばれ!!パリーグファンとして優勝を祈ってるぞ!!多分明日決まるだろう。胴上げ投手は和田かな?
さて最初に、小さな写真は以前も掲載したが、岩手県営球場で行われた「平成2年東日本軟式野球選手権(一部)」の優勝の瞬間の胴上げシーンである。監督の胴上げの後、当時・主将であった僕が胴上げされている場面である。

下は表彰式である。アマチュア軟式野球は、監督が背番号30、主将は背番号10と決められている。自分の表情をみると、喜びにあふれているというより、疲れとホッとしたのと、入り混じっているように見える。

ところで表彰状を受け取っているのは、当時の窪谷監督である。仕事の上ではソーシャルワーカーの先輩として、僕が何も分からない新人だった頃から、いろいろとお世話になりました。今刊行されている「人を語らずして介護を語るな」の記事の中に「私は、これで煙草をやめました。」という記事があるが、この中で「俺達ワーカーは、患者さんに簡単にあれはしちゃあいけないとか、これは駄目だとか、あれを止めろ、これを止めろと言うけれど、そう簡単に出来るもんじゃあないよな。キクチくんは、お年寄りに指導する立場だけど(当時は生活指導員と言われていたため、こういう方をされた)逆に何か指導されたら、どう思う?自分で何が止めれる?」というセリフを語る人物が登場するが、何を隠そうその人が監督である。
そのおかげで僕は煙草も止めたし、制限することは馬鹿でもできるが、できる可能性を探すことは専門家しかできないことを教えていただき、今の僕に繋がっている。・・・・・しかし、窪谷監督は、その後、関連病院の事務長として在職中に不慮の事故で若くしてお亡くなりになられた・・・。今考えても残念でならない。そういう思いも込めて上の写真をここに載せた・・・。
その下は決勝進出を決めた準決勝ゲームセットの瞬間である。今より細くてスポーツマン体型でしょ。でもこの写真の俺、眼鏡の形もそうだけど、ヤクルトの古田みたいじゃねっ・・・。

ところでこの全国大会出場に繋がった全道大会は清里町とうところで行われたが、優勝したご褒美に、翌日は「観光休日」をもらい、その近くでは一番大きな観光地であった網走市で遊んだ。僕らはオホーツク流氷館というテーマパークに出かけたが、そこでコンパニオンのお姉ちゃんに鼻の下を伸ばしているのが下の写真である。(ちなみに平日だったので僕ら以外の客はおらず、お姉ちゃんとじゃれながら時間をつぶした。彼女ももういいお母さんになっていることだろう。)

この後、マイクロバスで一路帰宅の途に就いた。バスの中と、途中の峠で記念写真。最後に掲載している写真・右端の人物のお尻に注目していただきたい。誰であるかは名誉のため伏せておく。写真もわざとサイズを小さくしたのは、彼だと分からないようにするためだ。ヒ〇〇、懐かしいねえ。(※〇の中にどんな文字が入るでしょう。笑)ちなみに勿論僕ではない。僕は後列の尻出し男の左隣で、白いランニングシャツ姿になっている。ン・・。バスの中と服装が違うのは何か着替えなければならない理由があるよな。それは想像にお任せする。なお尻出し男は、この後もバスの走行中に、フロントガラスに尻丸出しで貼りつき、対向車をびっくりさせていたことを付記しておく。


ということで意味のない記事でごめんね。月曜からはバッチリ硬派の記事を書くから期待してほしい。
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明日はホークス優勝です。ソフトバンクの松中信彦選手のように11/5パリーグ優勝が決まる試合(masaさんは佐世保で飲んでいた日)で間違えて裏の攻撃を忘れてグランドに飛び出したりお茶目な選手がいる所がホークスのいい所です。パリーグ優勝時の選手全員の笑顔が忘れられません。
特養の仕事では、終わりはありませんが少しでもケアプラン等が達成した時、例えば「敬老会に歩いて参加する等」達成した時ホークス優勝までとはいいませんが御利用者といっしょに喜び笑顔をプレゼントできればと取り組んでいます。
九州に縁があるmasaさんラーメンとホークス優勝を中州でもう1日楽しんではいかがでしょうか。