9月28日(水)、苫小牧市において北海道老施協・日胆支部の「直接処遇職員研修」が行われる。
この研修会で当施設職員が実践報告を行う。
当日のプログラムを読むと、3月の震災で道内の介護施設として唯一津波被害を受けた特養の「避難生活」についての報告があるほか、「オムツをしないケア」に向けた実践報告が行われることになっている。
当施設からは14:50〜60分間の予定で「緑風園における看取り介護の実践」と題した報告を行う。発表の後に質疑応答の時間も10分間取られている。
この研修は「直接処遇職員」を対象にしているので、発表者も僕ではなく職員が行う。「看取り介護」については僕自身が全国各地で講演を行ってきたが、現場の職員がこのテーマで公の場において発表するのは初めてである。
事務局から職員発表の依頼を受けた際に、ケアマネジャーと主任ケアワーカーに依頼内容を示して、受諾するかどうか決めるように振った。その際、特に拒否する理由もないし、実際に行っていることを発表するだけだから、さほど手間ではないということでその二人が共同発表を行うことにした。主に主任ケアマネジャーが発表し、ケアマネジャーはパワーポイントの操作などでフォローする形である。
発表内容については、なにか相談があれば僕も協力することにしていたが、ほとんど「丸投げ」に近い形で両者に任せた。僕があまり介入すると、僕の講演と同じ内容になって、それは面白くない(主に僕自身にとって)ことだからである。
その発表原稿が先週までに完成したとのことで、チェックし、パワーポイントファイルの作成だけは僕の方で行った。
なかなか面白い実践報告で、当施設の「看取り介護」に対する理念や考え方は前段でしっかり盛り込んでいるものの、発表の中心は実際に看取った近直6ケースの「ケース報告」である。それぞれの実践で学んだことを、「看取り介護終了後カンファレンス(死後カンファレンス)」で検討協議した内容を中心にまとめている。実際に看取りの場で直接的に介護支援を行っている者の報告だから臨場感がある。現場の職員にとって非常に分かりやすい内容になっているのではないかと感心した。
今度僕が看取り介護の講演をする際にも使わせてもらいたい内容が含まれている。そっとパクろう。
このような発表・報告機会を得るということは、報告者にとって勉強しスキルアップに繋がる良い機会なのである。発表・報告するためには、受講する側からの質問にも答える準備をしなければならない。そのため過去の実践を振り返り、より深く考察することになる。今回の2名の職員も、方向に備えた準備段階であらためて多くの「気づき」を得たことだろう。それは彼女たちのスキルアップに確実に繋がって行くし、今後の業務に生かされる貴重な機会である。
同研修会には当然ながら僕は参加しない。
職員二人がどのように発表するのか興味があるが、是非この研修に参加する方は注目していてほしい。なお当日発表するに際して「はじめに」という資料で次のように今回の発表内容を説明しているので、その文章をこの記事にそのまま転記してご紹介したい。
(はじめに)緑風園の看取り介護の実践について
マザーテレサは「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに変わるでしょう」という有名な言葉を残していますが、私達の施設では看取り介護がその言葉の実践であると信じ、人生の最終ステージで幸せを感じてもらうケアを目指しています。
本当に最期の時が幸せなら、過去の暮らしに後悔はなくなるのかということに対して疑問を持つ人もいて当然でしょう。そういう人達にはこのマザーテレサの言葉は心の琴線には触れないのかもしれません。個人の価値観や死生観は異なって当然ですから、私達はこの言葉の意味を高い位置から説いて他者に押し付けるつもりはありません。
しかし「看取り介護」という形で利用者の臨終場面まで関わろうとする私達は、せめてその対象者が息を止める最期の瞬間については、本当に安らかな心で、その場を迎えてほしいと願うのは当然であり、それによってそれらの人々の人生に何らかの意味や影響が必ずあると信じて悪いはずがないと思います。だから私達の施設ではマザーテレサのこの言葉を信じて看取り介護を私達の使命として関わりたいと思います。
しかし実際には最期の瞬間を悲惨な状態で過ごす人々がいます。当施設のインターネット掲示板に寄せられた情報の中に、グループホームで最期の瞬間は『何もしなくてよい』とされ、保清援助も、安楽援助も行わずに死に臨んだ認知症高齢者の様子が書かれていました。このケースについては、緑風園施設長の著書「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」(ヒューマン・ヘルス・ケア社発刊 1.890円)の「第4章・最期の日々に寄り添って」の中で「見捨て死の現状」として詳しく書かれていますが、誰もが避けて通れない死に臨むにあたって、死んでいく場所のスタッフの考え方ひとつで、人の命が燃え尽きる最後の瞬間に人間らしい生き方ができないということがあってはならないと思います。
そういう思いから、私達は遺族の方々の声にも耳を澄まして、過去の実践を振り返りながら、いつも悔いのない「看取り介護」の実践を心がけていますが、皆さんから見るとまだまだ不十分なことや、改善すべきであると思える点があるかと思います。
本日の発表では、そういう評価も含めて皆さんの意見をお伺いできるように、日ごろの実践を事実のまま伝えたいと思います。
↑以上である。発表者は多分緊張すると思うが、受講者の皆さんの温かい心で応援して下さい。
↓ブログ書籍化本、おかげさまで第3刷増刷版好評発売中。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
この研修会で当施設職員が実践報告を行う。
当日のプログラムを読むと、3月の震災で道内の介護施設として唯一津波被害を受けた特養の「避難生活」についての報告があるほか、「オムツをしないケア」に向けた実践報告が行われることになっている。
当施設からは14:50〜60分間の予定で「緑風園における看取り介護の実践」と題した報告を行う。発表の後に質疑応答の時間も10分間取られている。
この研修は「直接処遇職員」を対象にしているので、発表者も僕ではなく職員が行う。「看取り介護」については僕自身が全国各地で講演を行ってきたが、現場の職員がこのテーマで公の場において発表するのは初めてである。
事務局から職員発表の依頼を受けた際に、ケアマネジャーと主任ケアワーカーに依頼内容を示して、受諾するかどうか決めるように振った。その際、特に拒否する理由もないし、実際に行っていることを発表するだけだから、さほど手間ではないということでその二人が共同発表を行うことにした。主に主任ケアマネジャーが発表し、ケアマネジャーはパワーポイントの操作などでフォローする形である。
発表内容については、なにか相談があれば僕も協力することにしていたが、ほとんど「丸投げ」に近い形で両者に任せた。僕があまり介入すると、僕の講演と同じ内容になって、それは面白くない(主に僕自身にとって)ことだからである。
その発表原稿が先週までに完成したとのことで、チェックし、パワーポイントファイルの作成だけは僕の方で行った。
なかなか面白い実践報告で、当施設の「看取り介護」に対する理念や考え方は前段でしっかり盛り込んでいるものの、発表の中心は実際に看取った近直6ケースの「ケース報告」である。それぞれの実践で学んだことを、「看取り介護終了後カンファレンス(死後カンファレンス)」で検討協議した内容を中心にまとめている。実際に看取りの場で直接的に介護支援を行っている者の報告だから臨場感がある。現場の職員にとって非常に分かりやすい内容になっているのではないかと感心した。
今度僕が看取り介護の講演をする際にも使わせてもらいたい内容が含まれている。そっとパクろう。
このような発表・報告機会を得るということは、報告者にとって勉強しスキルアップに繋がる良い機会なのである。発表・報告するためには、受講する側からの質問にも答える準備をしなければならない。そのため過去の実践を振り返り、より深く考察することになる。今回の2名の職員も、方向に備えた準備段階であらためて多くの「気づき」を得たことだろう。それは彼女たちのスキルアップに確実に繋がって行くし、今後の業務に生かされる貴重な機会である。
同研修会には当然ながら僕は参加しない。
職員二人がどのように発表するのか興味があるが、是非この研修に参加する方は注目していてほしい。なお当日発表するに際して「はじめに」という資料で次のように今回の発表内容を説明しているので、その文章をこの記事にそのまま転記してご紹介したい。
(はじめに)緑風園の看取り介護の実践について
マザーテレサは「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに変わるでしょう」という有名な言葉を残していますが、私達の施設では看取り介護がその言葉の実践であると信じ、人生の最終ステージで幸せを感じてもらうケアを目指しています。
本当に最期の時が幸せなら、過去の暮らしに後悔はなくなるのかということに対して疑問を持つ人もいて当然でしょう。そういう人達にはこのマザーテレサの言葉は心の琴線には触れないのかもしれません。個人の価値観や死生観は異なって当然ですから、私達はこの言葉の意味を高い位置から説いて他者に押し付けるつもりはありません。
しかし「看取り介護」という形で利用者の臨終場面まで関わろうとする私達は、せめてその対象者が息を止める最期の瞬間については、本当に安らかな心で、その場を迎えてほしいと願うのは当然であり、それによってそれらの人々の人生に何らかの意味や影響が必ずあると信じて悪いはずがないと思います。だから私達の施設ではマザーテレサのこの言葉を信じて看取り介護を私達の使命として関わりたいと思います。
しかし実際には最期の瞬間を悲惨な状態で過ごす人々がいます。当施設のインターネット掲示板に寄せられた情報の中に、グループホームで最期の瞬間は『何もしなくてよい』とされ、保清援助も、安楽援助も行わずに死に臨んだ認知症高齢者の様子が書かれていました。このケースについては、緑風園施設長の著書「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」(ヒューマン・ヘルス・ケア社発刊 1.890円)の「第4章・最期の日々に寄り添って」の中で「見捨て死の現状」として詳しく書かれていますが、誰もが避けて通れない死に臨むにあたって、死んでいく場所のスタッフの考え方ひとつで、人の命が燃え尽きる最後の瞬間に人間らしい生き方ができないということがあってはならないと思います。
そういう思いから、私達は遺族の方々の声にも耳を澄まして、過去の実践を振り返りながら、いつも悔いのない「看取り介護」の実践を心がけていますが、皆さんから見るとまだまだ不十分なことや、改善すべきであると思える点があるかと思います。
本日の発表では、そういう評価も含めて皆さんの意見をお伺いできるように、日ごろの実践を事実のまま伝えたいと思います。
↑以上である。発表者は多分緊張すると思うが、受講者の皆さんの温かい心で応援して下さい。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
冗談はさておき、良い発表になりそうですね。
看取り介護については、他施設でここまで考えて介護しているかが疑問です。
その意味で質問が出てくる可能性がありますが、対応可能でしょう。
発表後の感想なども後日談としてアップしていただくとありがたいです。