5日の介護給付費分科会では、「偏見分科会の実態」で書いたように池田省三龍谷大学教授が同会で示された「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する基礎調査」の中間報告について、ケアマネの回答率が10.9%しかなかったことに関してヒステリックに吠えている。

その主張をもう少し詳しく書くと「1割強の回収率ではバイアスがかかりほとんど役に立たない。」と指摘し「そもそも回答した1割は問題のない上澄みで、残りの9割が問題。意識が低いのであれば、ケアマネ自体リセットすることも含めて考える必要もあるような極めて深刻な状況。」とケアマネジャーをこき下ろしている。

しかもこの発言の前に彼は「完璧に家族依存型のケアマネだとわかった。」と述べている。何の根拠にもデータにも基づかない感情的な発言である。

彼にとっては国が実施するアンケートに回答するケアマネが一部の問題のないケアマネで、回答しないケアマネは家族依存型のケアマネなのである。馬鹿を言うにもほどがある。

しかし滑稽なことに同日の分科会で老施協が提出した「特別養護老人ホームにおける認知症高齢者の原因疾患別アプローチとケアの在り方調査研究」のデータに対して、勝田委員が「サンプル数が少ないって、さっきの調査では指摘があったが・・・」という発言に対し、池田教授はその発言の腰を折るように「すばらしい調査だ。個人の状況を確認する上ではサンプル数は問題ない。」と発言している。

ところがこの老施協の調査とは北海道・愛知・九州で各1施設をモデル施設として設定したもので、それぞれ20ケースの認知症の方を対象に、診断の見直し・薬の見直し・ケア計画の見直しを定期的に行い、成果・相関性が見られた8ケースを取りまとめて報告書にしたものに過ぎない。

つまりこの調査データのサンプル数はわずか「8サンプル」である。

ケアマネのアンケートの回収率が10.9パーセントしかないとは言っても、そのサンプル数は3.000サンプルを超えている(この調査は全国約1万事業所を対象に行われ、1事業所あたりケアマネジャー3人に回答を求めているので、調査対象3万件に対して回収率が10.9パーセントという意味である)。

池田教授はわずか8サンプルのデータが、3.000を超えるサンプル数のデータより信頼が置けると主張しているのである。ケアマネが3.000人以上回答したデータは、わずか8サンプルのデータに劣るということなのだ。

そこにはどのような背景があるのか。それは極めて簡単な理由がある。

池田教授が絶賛した、わずか8サンプルしかない老施協の調査報告書とは、全国老施協が次期改正で特養の報酬に「医療介護連携加算(仮)」の導入を要望するためのデータで、その内容は認知症の利用者について個別ケースの再診断に基づいた定期的なカンファレンスの実施とケア計画の変更・効果の追跡・検証を実施したものを参考に認知症専門医による再診断と処方薬の見直し、ケア計画への助言等を行ったものである。

このうち成果が顕著な8ケースを抽出し紹介しており、たとえば「脳血管性認知症」と診断されていたEさんは、レビー小体型認知症と診断名が変更され処方薬の2種類が中止されるなどの見直しが行われたというもので、このことについて老施協の主張は、「介護職・看護職が認知症の原因疾患とその特徴に対する知識を習得し、理解して個々の事例を考えてサービス提供を実践することが可能になってきた。医療との連携を適切に進める上では介護職の観察、記録、変化への気づき等が大きな判断材料になることが分かった。利用者の尊厳を守る生活支援の視点においても必要不可欠な役割を果たしている。常に医療にフィードバックすることが大事であり、これにより原因疾患別の個別ケアが確立されるのではないか」というものである。

つまり池田教授がかねてより「寄り添うケアなんて言う情緒的で非科学的な方法論は意味がない。」「医学的な診断をベースにした科学的な認知症ケアを創らないとだめだ」という主張とマッチする報告書の内容であるという意味だ。

逆に「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する基礎調査」の中間報告概要については、池田教授がかねてから主張する「福祉系のケアマネジャーのアセスメントはニーズを抽出せず家族の御用聞きレベルである」としていた主張に反して、「福祉職、医療職、その両方を持っている人に分けて比較したところ、その結果は職種によってアセスメントやプランに差異はない。」と読みとれるために同教授のお気に召さなかったわけである。だから回収率が低くて意味のないデータと切り捨てているのである。まったくけつの穴の小さい人物である。

そもそもこの分科会は国の方針をそのまま結論とするだけで、この分科会で新たな考えが示され、それを国の方針に反映するということは今までされたことがない。つまり厚労省がすべてをい決めたということであれば批判を浴びるし、またその全責任を役人が負わねばならないため、そうしないために有識者による議論を行って国民の声を反映させているという型を作るためのもので、いわばアリバイ作りのための委員会としか機能していない。そうであるがゆえにこの委員会は、厚労省内部では「ガス抜き委員会」と揶揄されている。

議論の内容を詳しく見ても、一つの問題を深く議論することは行われておらず、委員が順番に自己主張を繰り返して終わりである。いわば言いっぱなしの放談でしかなく議論の場といえない。しかもこの放談委員会の特徴は、下品で声の大きい人間の意見が大きく取り上げられ、正論は日陰に追いやられるだけである。

机をたたいて乱暴な言葉を吐く池田省三のストレス発散発言が、そのまま委員会の多数意見と勘違いしてはならない。

この委員会、次から名称を「時事放談」いや「爺(じじい)放談」とでも変えた方がよいのではないだろうか。

※なお分科会の発言内容についてはshanさんのブログ「UMM Ver.Clear Shan Noto」を参考に、僕の情報と併せて掲載しています。

ブログ書籍化本、好評につき本日第3刷増刷発売。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします
人気ブログランキングへ

blogram投票ボタン
↑こちらのボタンをクリックしていただくと、このブログの解析がみられます。
介護・福祉情報掲示板(表板)