まだまだ残暑が厳しいが、そうはいっても北海道は涼やかでさわやかな風が吹く日が多くなった。

暑い夏は大変だが、冬の寒さもまた大変である。その厳しい冬を迎える前の北海道の秋は、食べものも美味しくなり一番過ごしやすい季節である。

特に登別市は7.8月は霧や雨が多いのであるが、9月は秋晴れのさわやかな日が多くなる。冬を迎える直前に北海道の短い夏を満喫させようという神様の贈り物がこの季節である。登別温泉に行こうと思っている道外の方には、この時期がお勧めである。雪見酒を期待する方は冬に来た方がよいが・・・。

というわけでこの時期、我が施設の利用者の外出機会が増える。今日も天気が良く、暑さもさほどではないため、午後から3人の方々が「のぼりべつ熊牧場」に出かける予定である。ロープーウェイに乗って山に登り、楽しんできてほしい。

このようにこの時期は希望に応じて、少人数での外出が多くなる。各ユニットの担当者は、意識して利用者の希望を探り、様々な企画をする。

そんな中で、利用者の希望に応じて、夜ごはんを居酒屋で食べる支援も日常的に行っている。
(参照:居酒屋へ

だからそれはあまり特別なことではなく、ブログ記事に書くような話題もないといえばないのであるが、〇〇さんの許可も得たので、ひとつの話題としてそのことに触れさせていただく。なぜなら、このことでちょっとした議論があり、そこから新しい気づきを生む可能性が出てきたからである。

〇〇さんは、当地域の近くで単身赴任で牧場関係の仕事を長く続けていた。ご家族は東北地方に住まれている。

元気なころは3日にあげず、馴染みの「居酒屋」に通われて夕食を摂っていた方である。しかし数年前に脳血管性疾患を発症し数年間医療機関で療養、リハビリを経て当施設に入園された。半身に麻痺があり車椅子の生活になり、それ以来お酒も飲まれなくなった。(というより医療機関入院中はお酒を飲む機会がなかったというほうが正しい。)

馴染みの居酒屋は、当園からは車で10分もかからない場所にある。この地域では繁盛店で、職員や利用者もよく利用するお店であり、このブログ記事にも何度か登場している。

そこの店主(僕らはマスターと呼んでいるので、以下、マスターと書く)とは僕も親しく付き合っているが、〇〇さんが当園に入所していることは知っており、店に行くと「〇〇さんは元気かい?」といつも尋ねられる。そして「逢いに行ってもいいかい」と聞かれることもあり、その際は「〇〇さんも喜ぶと思うので、遠慮なく来てください。」と言っていた。

しかしマスターが実際に〇〇さんに逢いに来ることはなかった。その理由は、元気な頃の〇〇さんが毎日店で飲みながら親しく話をしていたことを考えると、重たい障害を持って、好きだったお酒も飲めなくなっているのに、家族でもない自分が、元気な姿のままで逢いに行くのは気が引けるし、かえって〇〇さんが昔を思い出してつらくなるのではないか?自分もつらくなるような気がするから、という意味のことを言っていた。

この気持ちもよくわかる。それやこれやで数年が経っていた。

普段はお酒を飲まない〇〇さんであるが、施設内で行事がある際などはビールをおいしそうに飲まれる機会が増えてきた。体調もよくなった証拠だろう。

そうした中、担当ユニットの職員が「〇〇さんは、きっと良く行っていたマスターのお店に行きたいのではないか。」と考え、その意思を確認すると、どうやらそうらしいということで、夕食をその居酒屋で食べるという企画を挙げてきた。

だがかつて通っていたその居酒屋は、前述のように繁盛店。金曜の夜、車椅子でカウンターでうまく食事ができるだろうか。店内で車椅子の利用は大丈夫だろうか?いろいろ考えることはあったが、マスターに連絡すると、大変喜ばれて、すべて協力対応していただくこととなった。

その段階で企画担当ケアワーカーが企画書を作ってきたが、ここで問題になったことがある。

それは当日の所持品の中に「食事用エプロン」が含まれていたことだ。〇〇さんは、利き腕の麻痺があり左手でスプーンを持って食事摂取しているため、口にうまく食物が入らないことがあり、普段は「食事用エプロン」を使っている。

しかし外で食事する時まで、これを使うのはいかがなものか?何のためにマンツウマンで対応しているのかを考えた時、せっかく本人の生きたい場所を想像して、その実現にこぎつけたのに、他のお客さんのたくさんいる居酒屋で食事用エプロンをしながらビールを飲む光景はずいぶん違和感を覚える光景ではないのか?施設内のイベントでビールを飲むときだってそんなもの使わないことが多いじゃないか。転ばぬ先の杖を考えすぎた結果ではないのか?そのような疑問が主任から示され再検討されることになった。

ということで、あらためて外食する服装やしつらえについて考えてもらった結果、食事用エプロンを使おうとする方がおかしな感覚だという結論に達した。こういうことは上から命じて結論を押し付けるのではなく、企画者自身がその問題の所在に気がつかないと駄目である。

せっかく良い気づきをして、〇〇さんの思いの実現にこぎつけたのだから、その方法もよりよいものにしなければならない。食事はエプロンをつけて摂るのが当たり前という感覚から見直さないと、別な部分にも感覚麻痺による「ほころび」がでかねないからだ。

そういうことはあったが、数年ぶりの〇〇さんの居酒屋訪問は無事終了した。

当日の様子。(報告書より:付き添い職員記載)
〇〇さんがカウンターにつき、マスターの顔をみると笑顔で手を振られ、マスターも「よく来たね。」と話されていた。好きな食べ物やビールを楽しまれ満足そうにされていた。帰る際には、マスターはじめ店の人が外まで見送りに来られ「また来てね。今度会いに行くからね」と話され、車が出発されるまで手を振られていた。

こういう日常が何気なく繰り返されることが大事だ。これを行事にしてはいけない。あくまで日常生活の一部でなければならない。

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