ショートステイやデイサービスを利用する方で、服薬管理ができていないことで体調が安定しない方が時折みられる。認知症の方の場合でも、服薬がきちんとできていないため行動・心理症状の急激な進行が見られるケースがある。

しかもそういう方に限って、居宅サービス計画の中に服薬管理のニーズ把握や、その具体的対応が書かれていない場合が多い。

サービス利用するだけの計画ではなく、きちんと暮らしを守る計画を目指すならば、この部分へのアプローチは不可欠だし、こういうことに配慮されていないプランが増えればケアマネ不要論あるいは、福祉系ケアマネジャーに対する批判の高まりを抑えられないだろう。

ところで、そのことと状況は多少異なるが、施設の新規入所者への投薬に対して、その家族の拒否的反応を持つ場合がある。今日はそうしたケースについて考えてみたい。

特養には「在宅ケアの限界」という理由で新規入所してくるケースがある。特に認知症の行動・心理症状(BPSD)の悪化が家族の介護負担を増して、限界点に達するケースがある。

この時、運動能力に衰えがなく、内科的な問題もない認知症の方の場合、定期的な通院をしておらず、内服薬をまったく処方されていないという人が少なからずおられる。

入園後は健康診断を行い、必要なら施設所属医師が処方箋を書き内服治療を始めることになるのであるが、内科的疾患ならこのことに特に問題はない。

ところが認知症に対する服薬治療となると、やや状況が異なり「なるべく薬を飲ませたくないんです。自宅でも薬に頼らず面倒見てきたので、施設でもそうして下さい」と希望する家族がいる。

このとき「家族のご希望だからそうしますね。」と全面的に希望を受けいれることが良いのだろうか?僕はそうは思わない。その前に利用者本人にとって服薬の必要性はあるのか、ないのか、ということを考えねばならない。ここは大事な服薬アセスメントである。

おそらく家族が服薬を拒否する背景には「認知症の治療薬」=「副作用でフラフラにされる」=「寝たきりになり口もきけなくなる」というイメージがあるのだろう。

確かに10数年前ならそういう状況もあり得ただろうが、現在の認知症の内服治療というのは、行動・心理症状として現われる行為を、向精神薬などをつかって運動機能を低下させて抑えるということではなく、アリセプトに代表されるように、症状の進行を遅らせたり、緩和させたりする内服治療である。勿論それらにも副作用はあるが、それを含めて医師は処方検討するものであり、その部分は医師の医学的知見に任せてもよいだろう。

ただし認知症に対する内服薬と言っても、それは認知症自体を治療して認知症でない状態にしたり、認知症を予防したりすることはできないし、最終的にたどり着くゴール(認知症の晩期の症状)は同じではある。ただ、そこに到達するスピードを遅くする効果があり、そのことで「できる行為」を失う期間を延ばして遅くすることができる効果がある。そのことが認知症の方自身の混乱を和らげる場合もある。だから施設医師がきちんと副作用等の観察をしながら服薬を試みる価値は充分あると言える。

特に昨年度まではこの治療薬はアリセプトのみであったが、今年度からは他に3種類の新しい治療薬が認められている。(僕の認識では3種類だと思うが、違っていたら指摘してほしい。)

メマリー錠は、中等度、及び高度アルツハイマー型認知症に対する症状の進行抑制が図れるとされ、アリセプトとは違う効果の薬であることから、両者を併用することでより高い治療効果が得られるケースがあることが報告されている。

レミニールは、軽度から中度のアルツハイマー型認知症の記憶・注意及び集中力を改善させる効果があるとされているが、アリセプトと同質の薬であるため、両者の併用はできず、どちらかを選択するとされている。アリセプトの効果が薄い認知症の方などに治療効果が期待できると言われている。

イクセロンパッチ(またはリバスタッチパッチ)は膚(背部、上腕部、胸部のいずれか)に貼付するアルツハイマー型認知症治療剤であり、貼り付けるだけという簡便な投与方法により、服薬介助の負担を軽減することが期待されるだけではなく、皮膚から徐々に薬が浸透するため副作用の観察対応が容易であるとされている。

いずれもケースによっては数年前の状態に戻った(改善した)という報告もある。

よって症状の進行を抑えるという面では選択肢が増え、適応する認知症高齢者も増えることが予測されるので、適切な薬の処方と服薬管理ということは重要な「暮らしの支援」の一部分をなす。

よって内服処方を拒否する家族に、このことをきちんと伝え納得してもらう必要がある。

勿論、服薬という医療侵襲行為は一身専属行為であり、家族と言えども第3者にはその同意権も拒否権もないという解釈が一般的で(未成年者の保護者についてはこの限りではない)、成年後見人を専任している場合も、成年後見人にもその同意権や拒否権はないとされており、認知症高齢者で本人の意思確認ができない場合は、医師が医学的見地から最も適切であると判断すれば、内服治療の開始は可能と解釈できる。しかし単に法律論とは違った見地から、家族とコンセンサスを得ておくという過程は外せない。そうしないと今後の利用者の生活支援に支障をきたす可能性があるからだ。施設サービスは、施設職員だけで完結させるのではなく、うまく家族を巻き込んで、利用者と家族の繋がりを強く持ったままで支援することが必要だからである。

この場合、処方の意味や効果説明については、医師から家族等に直接説明する必要があるが、その前の段階で、医師からどのように説明があるのか、それにはどういう背景があるのかを事前に家族に対して情報提供しておくべきであり、その役割を担うものは、施設であれば介護支援専門員または相談員といったソーシャルワーカーであろう。

そういう意味では施設のソーシャルワーカーには、福祉援助の知識や技術だけではなく、最低限の医学知識が求められるし、交渉術というスキルが求められるであろう。

どちらにしても、家族は我々と同じ情報量と知識を持つ専門家ではないということを理解して、必要な情報を提供し、判断できる材料を与えるという支援は不可欠であり、逆に言えば、こうした情報や専門知識を提供できないソーシャルワーカーや施設職員であっては困るということである。

だから毎日の学びは欠かせない。福沢諭吉は「学べば進む」と言ったが、それは「学ばなければ進まない」という意味ではなく、「学ばなければ後退する」という意味である。

施設の職員が「認知症」に対する様々な知識や援助技術が、家族より低いのであれば、なんのための施設サービスか、ということになる。そんなことで報酬を得られるのかという批判に繋がる。

しかし家族の中には、長年認知症ケアに関わって、その領域に関しては非常に勉強している人がいる。そういう人たちに遅れを取らないように、すべての介護サービス従事者は日々の勉強とスキルアップに努める必要があるだろう。

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