数年前に亡くなられた男性は、僕らから見ても「すごく怖い人」だった。

精神科に長く入院された後に当園に入所されてきたのであるが、何でもないことに対してもすぐ怒り、(この表現は本来正しくはない。その方にとっては何でもなくはないというのが正しいが、あくまで我々から見て普通の行為という意味だ)場合によっては手を振り上げる人だった。

ケアワーカーの日常介護も大変で、普通に移乗や排泄などのケアに当たっていても、突然手を振り上げるので緊張の連続だった。勿論、それには理由があるはずで、トイレでズボンを上げ下げしたり、お尻や陰部を拭く際にちょっとした力加減で痛いとか、痛くなりそうとか感じた場合に、自分が攻撃されたと思いこむことが原因だろうと想像し、丁寧に声をかけて、慎重に手をかけねばならなかった。(※この方でなくとも、そういう配慮は必要であることは言うまでもないが、その配慮レベルがかなり違っているという意味だ。)

発する言葉も「馬鹿!!」とか「コノオ!!」とか、目を剥きだしながら威嚇するような状態なので、なんとか怒らないように、笑顔でいられる過ごし方や、せめて怒らないで落ち着いていられる過ごし方を何度もカンファレンスで話し合って模索したものだ。勿論その前提は、その方が「怒る」というのは、こちら側の対応や周辺環境に原因がある「行動・心理症状」(BPSD)であると考えてのものであることは言うまでもない。しかし「怒らないで過ごす」という生活は簡単に実現できるものではなかった。

しかし徐々に関係性が深まり、暴力や暴言は減って、落ち着いて過ごせる時間も増えたが、やはり何かの拍子に怒るという行為はなくなることはなく、それは職員だけではなく、面会する家族に対しても同様であった。

その方の奥様が週に数回面会に訪れていたが、奥様に対しても笑顔を向けることはあまりなかったように記憶している。むしろ険しい表情で大きな声で罵倒することもあった。

その方が亡くなられて葬儀を終えて数日後。奥様と息子さんが遺留金品の受け取りのために施設を訪れ、事務引き継ぎが終わった後、しばし故人の思い出話に時間を費やした。とはいってもほとんどそれは奥様の回顧談を聞くという時間であった。

驚いたことにそこで語る奥様の故人の思い出話は「優しい人で一度も手をあげたことも、大きな声を挙げたこともない人。子供には最高のお父さん。」ということであった。

つまり認知症という病気になる以前に、自宅で家族と共に暮らしていた当時のご主人が、本当のご主人の姿で、認知症になった以後の「すぐ怒る怖い人」は本当のご主人とは違い、病気がそうさせているということなのであり、奥様にとっては最後まで優しいご主人として存在していたという意味だろう。このことは息子さんも同じように感じられていたようである。

我々職員は、その優しかった当時のご主人のことを知らないので、「怒りっぽい〇〇さん」「とても怖い人」という印象しかなく、そういう人であると思い込みがちであるが、それは本来のその方のパーソナリティではなく、家族にとってのその方の存在は、我々が考えるそれとは異なるということをあらためて気づかされた。

これはとても大事なことだ。認知症という状態が及ぼす様々な問題を抜きにして、家族にとってどういう存在であったのかを考えることなしに、本当の意味での認知症高齢者のケア、しいては対人援助は成り立たないのではないかと思ったりした。

我々は、よき祖父や祖母であり、よき父や母であり、よき夫や妻であり、よき隣人であったその人の過去の存在をきちんと意識して、それらの家族の思いにも寄り添って関わっているのだろうか?

そんなことを考えていたら、数年前に友人から聞いたある話を思いだした。

友人の父親が認知症になって、それまで目に入れても痛くないほど可愛がっていた友人の子供(認知症のお父さんにとっては初孫)に暴力をふるうようになったというのである。そのためおじいちゃんを大好きだった孫が、ひどくおじいちゃんを怖がり嫌いになって行くのを見て、友人は非常に心を痛めていた。

これは本当に不幸なことである。認知症という症状がそうさせるのであって、本来の優しいおじいちゃんである友人の父親のパーソナリティが忘れ去られていく不幸は測り知れない。

せめて認知症ケアに係る我々は、認知症になった本人の本来のパーソナリティにも寄り添い、そのことを大事にしながら、家族の思いにも心を配り、それぞれの方々が愛される状況を守っていかなければならないと思う。

下のボタンをプチっと押して応援お願いします
人気ブログランキングへ

blogram投票ボタン
↑こちらのボタンをクリックしていただくと、このブログの解析がみられます。
介護・福祉情報掲示板(表板)