僕が非常勤講師を務める介護福祉士養成校の2年生は、6月中に学生最後の実習を終え、既に通常授業に入っている。
僕は昨年から授業を受け持っているので、2年間ずっと関わって卒業していく最初の学生が彼ら、彼女らである。
思えば考え方も授業態度も、幼かった入学時と比べると2年間の学習と実習を経るとそれなりに大人になっている。考え方もずいぶんしっかりしてきた。
(※個人差があり、まだまだ社会人として通用しない態度や考え方の学生も存在することを否定しない。)
とは言っても僕の担当は「認知症の理解」であり、その時間しか接していないので、彼らの成長に僕はほとんど役立ってはいない。
ただそうした少し遠い存在だから、余計に変化が分かるのかもしれない。担任だと毎日のように接している生徒の変化には気づきにくいだろう。だがこの幼い考えの生徒を毎日指導しなければならない担任は大変だ。授業の理解度だけではなく、人間として成長させるための生活指導も担任の役割なのだから、さぞ苦労が多い事だろうと想像する。
ところで、僕の授業では実習前に学生に2つの課題を与えた。それは
1.実習中に認知症高齢者ケアについてどのようなテーマを持って学びたいか。
2.実習先で、認知症高齢者の方々に対し接する際に自分が一番大事にしたいことは何か。
という2点である。これを実習前の授業で考えさせ、レポートにまとめたものを一端回収し、実習後の最初の授業でそれぞれにレポートを返し、その課題やテーマは的を射たものだったか、その実現度はどうだったかをグループ学習で議論させ、他者の意見も参考にしながら自己評価を書かせた。
実習課題も実習を終えて振り返ると的外れなものや、不十分なものもあったという反省もあったようだ。自己評価は厳しいものが多いが、それだけ高い部分を見ることができるようになったのだとポジティブに評価してよいだろう。
しかし実習を終えてもなお認知症高齢者のケアについて、正しい回答を導き出せなかったという意見がある。これはマニュアルがある世界でもないし、答えは一つではないので、ある意味やむを得ない部分もあるが、しかし実習中に遭遇した個別のケースについて、その実習期間中に行ってきたことや、今後そこで提供されるであろうサービスがよいのかどうなのか分からないという意見もある。これは単に学生の勉強不足とか理解不足と斬り捨ててよいのだろうか?
その意味は、実習先で答えになるような認知症ケアの方法論を学生が見つけられなかったという結果でもあり、同時にそれは学生が求めていた答えなりヒントなりを、現場の担当職員が明らかにできなかったという意味ではないのか?すべての現場関係者、介護福祉士は、そのことを考えるべきではないだろうか。
学生の様々な疑問に実習先の職員はきちんと言葉で説明できていただろうか?それは正しい知識と根拠に基づいたケアで、おかしな理屈で現実のサービスが絶対的なものとして価値観を押し付けるだけだったということはなかっただろうか。
実習先での学生は「おかしい」「違うのでは」と感じても、実習指導者に素直にその疑問をぶつけることには躊躇が伴う。多くの場合、遠慮して指摘できない、尋ねることすらできないというのが現実だ。これは我が身が実習生であったころに置き換えて考えても心当たりのあることだろう。疑問は遠慮なく聞いてよいという実習担当者がいる半面、自分らの行っていることを絶対視し、疑問を批判と受け取り、建設的な指導に結びつかない担当者もいるのが現実だ。ここは介護現場の教育意識をもう少し高めて変えなければならないところである。
学生の感じた「おかしさ」や「疑問」について様々な事例を抽出して検証すると、9割方学生の感覚の方が正常である。頻回に椅子から立ちあがる人の横について、立ちあがるたびに席に着くよう「見守りなさい」と指導された学生が、指導された通り椅子に座るように促し続けて利用者から怒鳴られたケース。「歩きたいから歩くのを手伝った方がよいのでは?」と感じる学生の感覚の方が正常で、「ついこの間も歩いて転んだからそれは駄目」という指導者の感覚の方が異常である。転倒して怪我をしないように注意するのは、歩けなくなっては困るからだ。最初から歩く機会を奪って安全では意味がない。ケアサービスはいつから介護職員や事業者のための「安全安心」が優先されるようになったんだ。安全に安心に暮らすべきは利用者だぞ。立ちあがって転びもしないのに、すぐに立っては駄目だと言われる生活が安心の生活なのか?
ここの感覚麻痺をどうにかせにゃあならない。
しかし感覚を麻痺させているのは、「昨年まで、一昨年まで、そのずっと前までの学生」だという事実がある。僕は今の学生に強くそのことを主張している。あなたがた自身が学生の時に持っていた感覚を、介護サービスを職業にした途端に数カ月で失うことが今の現実を創っていると・・・。それではサービスの質は変わらないと・・・。
現実に流されて現実をより良い方向に変えようとする考えを失ってはいないか。これが永遠のテーマである。適応するのと麻痺するのとは違うのだ。利用者の声なき声を受け止める感性を失わないでほしい。
最初に示した2番目の課題に一言「笑顔を忘れずに接したい」と書いている学生がいた。文章は幼いが、これは大事なことである。ベテランになるほど、この当たり前を忘れがちである。我々の笑顔は、利用者が笑顔になることでより輝けるのだ。そのためには我々が職場で笑顔を忘れないという姿勢も大事だ。ただできれば、プロとしての意識なんか持たなくても、高齢者の方々も介護者も、ともに自然に笑顔になる、そういう介護の現場であれば、これは理想である。そうしなければならない。
少なくともプロであるなら生活の疲れを職場に引きずってはならない。家庭で何があろうと、プライベートな時間に何があろうと、何かあったということが職場の同僚や、利用者が容易に気づくような態度しかとれないのではプロではない。それは素人が素人の援助技術でしか仕事をしていないというレベルで金銭対価を得ている状態と言え、詐欺まがいと言われても仕方がないのだ。
ところで、笑顔と「笑う」という行為は必ずしもイコールではない、ということを考えてほしい。笑うという行為は時として人を蔑んで「あざ笑う」ということを意味する場合がある。それは本当の意味での笑顔ではない。認知症高齢者の顔にクレヨンで絵を書いて「可愛い」と笑って写メを撮り、携帯メールを職員間で回し見して笑っていた宇都宮市の施設の職員の「笑い」とは後者の笑いである。
それは第3者から見ればとても「醜い顔」である。
我々が求める笑顔や笑いとは、人を愛する笑顔である。人が愛されることを尊ぶ笑いである。
どうぞ、人を蔑み、あざ笑う人にならないでください。
どうぞ人の不幸を笑ってみていられる人にならないでください。
どうぞ人を愛する喜びを知る人になってください。
どうぞ人を愛する笑顔が美しいと感ずる人になってください。
どうぞ人を愛する人でいてください。
その時の貴方の笑顔はきっと誰にも負けない素敵な表情になっているでしょう。
(学生にメッセージを送ってください。授業で紹介させていただきます。きっと彼ら、彼女らにとって現場の先輩からの声は勇気になり、励みになると思います。ご協力いただける方は下記投票のコメント欄にご記入協力ください。)
※ケアマネジメントオンラインで僕の著作本が『話題の1冊』として紹介されました。是非この記事もご覧ください。
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僕は昨年から授業を受け持っているので、2年間ずっと関わって卒業していく最初の学生が彼ら、彼女らである。
思えば考え方も授業態度も、幼かった入学時と比べると2年間の学習と実習を経るとそれなりに大人になっている。考え方もずいぶんしっかりしてきた。
(※個人差があり、まだまだ社会人として通用しない態度や考え方の学生も存在することを否定しない。)
とは言っても僕の担当は「認知症の理解」であり、その時間しか接していないので、彼らの成長に僕はほとんど役立ってはいない。
ただそうした少し遠い存在だから、余計に変化が分かるのかもしれない。担任だと毎日のように接している生徒の変化には気づきにくいだろう。だがこの幼い考えの生徒を毎日指導しなければならない担任は大変だ。授業の理解度だけではなく、人間として成長させるための生活指導も担任の役割なのだから、さぞ苦労が多い事だろうと想像する。
ところで、僕の授業では実習前に学生に2つの課題を与えた。それは
1.実習中に認知症高齢者ケアについてどのようなテーマを持って学びたいか。
2.実習先で、認知症高齢者の方々に対し接する際に自分が一番大事にしたいことは何か。
という2点である。これを実習前の授業で考えさせ、レポートにまとめたものを一端回収し、実習後の最初の授業でそれぞれにレポートを返し、その課題やテーマは的を射たものだったか、その実現度はどうだったかをグループ学習で議論させ、他者の意見も参考にしながら自己評価を書かせた。
実習課題も実習を終えて振り返ると的外れなものや、不十分なものもあったという反省もあったようだ。自己評価は厳しいものが多いが、それだけ高い部分を見ることができるようになったのだとポジティブに評価してよいだろう。
しかし実習を終えてもなお認知症高齢者のケアについて、正しい回答を導き出せなかったという意見がある。これはマニュアルがある世界でもないし、答えは一つではないので、ある意味やむを得ない部分もあるが、しかし実習中に遭遇した個別のケースについて、その実習期間中に行ってきたことや、今後そこで提供されるであろうサービスがよいのかどうなのか分からないという意見もある。これは単に学生の勉強不足とか理解不足と斬り捨ててよいのだろうか?
その意味は、実習先で答えになるような認知症ケアの方法論を学生が見つけられなかったという結果でもあり、同時にそれは学生が求めていた答えなりヒントなりを、現場の担当職員が明らかにできなかったという意味ではないのか?すべての現場関係者、介護福祉士は、そのことを考えるべきではないだろうか。
学生の様々な疑問に実習先の職員はきちんと言葉で説明できていただろうか?それは正しい知識と根拠に基づいたケアで、おかしな理屈で現実のサービスが絶対的なものとして価値観を押し付けるだけだったということはなかっただろうか。
実習先での学生は「おかしい」「違うのでは」と感じても、実習指導者に素直にその疑問をぶつけることには躊躇が伴う。多くの場合、遠慮して指摘できない、尋ねることすらできないというのが現実だ。これは我が身が実習生であったころに置き換えて考えても心当たりのあることだろう。疑問は遠慮なく聞いてよいという実習担当者がいる半面、自分らの行っていることを絶対視し、疑問を批判と受け取り、建設的な指導に結びつかない担当者もいるのが現実だ。ここは介護現場の教育意識をもう少し高めて変えなければならないところである。
学生の感じた「おかしさ」や「疑問」について様々な事例を抽出して検証すると、9割方学生の感覚の方が正常である。頻回に椅子から立ちあがる人の横について、立ちあがるたびに席に着くよう「見守りなさい」と指導された学生が、指導された通り椅子に座るように促し続けて利用者から怒鳴られたケース。「歩きたいから歩くのを手伝った方がよいのでは?」と感じる学生の感覚の方が正常で、「ついこの間も歩いて転んだからそれは駄目」という指導者の感覚の方が異常である。転倒して怪我をしないように注意するのは、歩けなくなっては困るからだ。最初から歩く機会を奪って安全では意味がない。ケアサービスはいつから介護職員や事業者のための「安全安心」が優先されるようになったんだ。安全に安心に暮らすべきは利用者だぞ。立ちあがって転びもしないのに、すぐに立っては駄目だと言われる生活が安心の生活なのか?
ここの感覚麻痺をどうにかせにゃあならない。
しかし感覚を麻痺させているのは、「昨年まで、一昨年まで、そのずっと前までの学生」だという事実がある。僕は今の学生に強くそのことを主張している。あなたがた自身が学生の時に持っていた感覚を、介護サービスを職業にした途端に数カ月で失うことが今の現実を創っていると・・・。それではサービスの質は変わらないと・・・。
現実に流されて現実をより良い方向に変えようとする考えを失ってはいないか。これが永遠のテーマである。適応するのと麻痺するのとは違うのだ。利用者の声なき声を受け止める感性を失わないでほしい。
最初に示した2番目の課題に一言「笑顔を忘れずに接したい」と書いている学生がいた。文章は幼いが、これは大事なことである。ベテランになるほど、この当たり前を忘れがちである。我々の笑顔は、利用者が笑顔になることでより輝けるのだ。そのためには我々が職場で笑顔を忘れないという姿勢も大事だ。ただできれば、プロとしての意識なんか持たなくても、高齢者の方々も介護者も、ともに自然に笑顔になる、そういう介護の現場であれば、これは理想である。そうしなければならない。
少なくともプロであるなら生活の疲れを職場に引きずってはならない。家庭で何があろうと、プライベートな時間に何があろうと、何かあったということが職場の同僚や、利用者が容易に気づくような態度しかとれないのではプロではない。それは素人が素人の援助技術でしか仕事をしていないというレベルで金銭対価を得ている状態と言え、詐欺まがいと言われても仕方がないのだ。
ところで、笑顔と「笑う」という行為は必ずしもイコールではない、ということを考えてほしい。笑うという行為は時として人を蔑んで「あざ笑う」ということを意味する場合がある。それは本当の意味での笑顔ではない。認知症高齢者の顔にクレヨンで絵を書いて「可愛い」と笑って写メを撮り、携帯メールを職員間で回し見して笑っていた宇都宮市の施設の職員の「笑い」とは後者の笑いである。
それは第3者から見ればとても「醜い顔」である。
我々が求める笑顔や笑いとは、人を愛する笑顔である。人が愛されることを尊ぶ笑いである。
どうぞ、人を蔑み、あざ笑う人にならないでください。
どうぞ人の不幸を笑ってみていられる人にならないでください。
どうぞ人を愛する喜びを知る人になってください。
どうぞ人を愛する笑顔が美しいと感ずる人になってください。
どうぞ人を愛する人でいてください。
その時の貴方の笑顔はきっと誰にも負けない素敵な表情になっているでしょう。
(学生にメッセージを送ってください。授業で紹介させていただきます。きっと彼ら、彼女らにとって現場の先輩からの声は勇気になり、励みになると思います。ご協力いただける方は下記投票のコメント欄にご記入協力ください。)
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介護・福祉情報掲示板(表板)
今年37歳になる私ですが、その学校へ勉強し直しに入学したいですよ(苦笑)。
学生たちが“夢を描ける、夢が持てる”そんな福祉の現場を私たちが築いていかなければなりませんね。
そうすればみんな自然と笑顔になれるはずです。