日本は自然に恵まれた四季のある素晴らしい国である。季節ごとの行事は、この国の祖先から我々が受け継いできた伝統ある風習である。

だから施設サービスに於いても四季折々の習慣的な行事を毎年繰り返して季節を感じることは大事だ。こうした生活上の行事や慣習は、施設内でもしっかり守って行くべきだと思う。それは日本人としての文化を守って行くことであり、利用者一人一人の過去の生活習慣を尊重することに繋がって行くことだと思う。

しかしだからと言って一度習慣づけたことを何も変えられないというはない。伝統文化は同じように繰り返してよいが、そうでないものについては本当に利用者のためになっているのか、職員の自己満足で終わっていないか、常に利用者目線で検証する意識が必要だ。お祭りなどの大きなイベントもしかりである。

施設サービスに於いては月ごとにある程度の計画を立ててサービス提供するが、その中には大小様々の行事計画が含まれる。季節行事以外にも、相撲の星取り大会とか、行事食とか、買い物ツアーとか、法話なんかが企画されることが多い。

しかしそうした企画が挙がってくることに何の疑問も感じず決済するばかりでは能がないので、僕は時々担当者に「これって何のために行っているの?」 「これって皆喜んで参加しているの?」というようなことを尋ねることがある。勿論その中には、答えが容易に予測できる「当たり前の質問」もあるのだが、企画者が過去の慣習や惰性に流され、現在の利用者ニーズを見なくなってしまうことを防ぐためである。

「前からずっと行っていましたから」では回答不十分である。答えが出るまで再試験、再質問を続ける。「〇〇さんは喜んでいました」という答えはまずくはないが、様々な行事の利用者ニーズを確認する時に、〇〇さんという名前が、常に同じ人物の名前しか出てこなくなると、それは特定人物に限って喜ばれる事柄にしか過ぎないか、あるいは企画担当者が、何でも可としてくれる誰かを無意識に選んでその人の意向しか確認していないという可能性がある。

こうしたイベントや行事は多数決の論理で結論が出せないから、大多数の人がどうでも良いと思っていても、ある特定の個人や、ある特定の状況に意味があるとしたら継続する必要性はある。しかしその一方にはそのことを支持していない、満足していない多くの利用者が存在することも事実なので、方法を見直して変える必要もある。つまり継続することしか考えないことは、単にサービス提供側である職員側の満足感にしか繋がらない恐れがあるので注意が必要だということだ。

大きなイベントを実施して達成感を持つのは利用者ではなく職員であることが多い。それはもしかしたら利用者にとっては意味のないものなのかもしれない。特別な時間より、日常の方がずっと長いのだし、そこを守るのが暮らしの支援であることを忘れてはならない。利用者の日常を犠牲にしたイベントはあってはならないのである。

前例主義とは、昨日までの専門家の仕事を真似るだけの仕事である。そんなものにとらわれず、今日、我々の目の前にいる利用者と、我々が、ともに今いる時間に穏やかな笑顔を交わしあえる方法論とは何かを考えるのが今現在の専門家である。

介護サービス現場で働く人々に言いたい。守るべきものをきちんと守るのは結構だ。文化や習慣を踏襲して守り続けることも重要だ。その一方で同時に考えてほしい事がある。

どうぞ頭を固くし過ぎて固執する人にならないでください。

前例を守る人より、前例を創る人になってください。

貴方の目の前の利用者の方々はどちらを願っているのか、心と心を繋げて感じてください。

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