表の掲示板では時々「言葉づかい」の問題でスレッドが立てられる。

いろいろな議論があるが、共通しているのは、『介護サービスの現場で、汚い言葉づかいをするのはとんでもない事ではあるが、一律「丁寧語」というのはどうなのか?臨機応変に、利用者の感性や個別性に応じたその場その場の適切な言葉の使い方ができれば、必ずしも丁寧語ではなくてもよいのではないか』と主張する人が必ず何人かいることである。

僕はこのような主張をする人々は、悪気を持って汚い言葉づかいをする人々とほとんど変わりのない馬鹿ものだと思っている。少しだけ点数を甘くつけるとすれば、それは「悪意のない馬鹿」だ。しかし悪意がない分、それが正しいと思い込んでいるから始末が悪い。

僕が主張する「介護サービスの割れ窓理論」は、ぞんざいな言葉が、プロとしての利用者に対する心のありようを低下させ、特殊な環境や密室性のある場所でサービス提供することによって常識からずれてしまうことに気がつかなくなる感覚麻痺を生み、そのことが虐待にも繋がる恐れがあるため、言葉の乱れを「割れ窓」と認識して、そのひび割れを早い段階で修繕して、窓が割れることによって、その場の環境が悪化することを未然に防いでいこうという論理で、この一定レベルを担保するために言葉は丁寧語が基本とされるというものだ。

その場その場で言葉を選び出すことができ、それがサービスの質の低下に繋がることがなく、むしろ人間関係を円滑にして、サービスを受ける人々の暮らしをよくできる「達人」など存在するんだろうか。そういう人は今まで生きてきた中で一度も自分の言葉や態度が相手に誤解を受けたことがない人だ。もしそんな人間が存在したとしても、そうした達人にしかできないケアをスタンダードと考えてどうする。

小規模対応型サービスであるユニットケアの現実を見てみろ。ケアソフトとして優れているそれも、そのソフトを使いこなしていない人々によって密室ケアが行われ、そのサービスの質は大規模施設より劣悪になっている例が後を絶たない。プロである以上、感性という部分だけに頼らない一定の規範は必要なのである。

丁寧語は他人行儀だとか、冷たい印象を与えるだとか、いろいろ言う人はいるが、言葉の質を下げてしか親しみを表現できない自らのスキルをどうにかしろと言いたい。汚い言葉遣いが親しみやすいと思い込んでいる感覚麻痺をどうにかしろと言いたい。個別性を理由に利用者に対して言葉を乱す必要性などあり得ない。

過去にも書いたことがあるが、我々の介護施設には人権無視を意識できない暗い時代があった。その時代に行われてきたことを振り返ってほしい。個別性や臨機応変という理屈で介護サービスの現場がいかに利用者の忍耐を強いてきたかを知らない人が多すぎる。

・オムツは時間でしか替えない、夜のおむつ交換は安眠妨害である、というふうに考えられていた時代に、志を高く持った先人はブーイングの嵐の中で随時交換を唱え続け、夜間も濡れたオムツを変えるのは当たり前と主張し続けた。

・夜間から早朝のナースコールには一切対応しないということを方針としているホームがあった時代に、ナースコールは命綱であると主張をし続けた人々がいた。

・ベッドサイドのプライベートカーテンが介護の邪魔と手間になるといって、たくし上げられ使わない状態で、誰の視線からもさえぎられることなく、廊下から見られる状態でオムツを変えられていた人々。

・赤ん坊のように「ちゃん付け」やニックネームで呼ばれて、ぞんざいな言葉と態度で「世話をされる」高齢者。徘徊する行動を動けなくして問題解決しようとする人々。今現在でもそういう施設があれば虐待と同じだ。

・ある施設では入浴介助の際、他人の体を洗ったタオルを平気で使いまわしている。他人の体を洗ったタオルで自分が洗われることの異常さに気がつかないのはなぜだろう。自分に置き換えて考えれば「嫌だ」とは思わないのか。それは世間の非常識だ。

・時間が来たら食べていない食事も片付けられた時代に、それを変えようとした人々。そういう時代が、つい最近まであったのだ。僕が就職した頃でも、服薬の方法として主食に粉薬を平気でふりかけて餌のように食べさせている看護職員や介護職員はたくさんいた。


思えば介護現場の歴史は、利用者の「嫌だ」という思いを「我慢しろ」という言葉で片付けてきた歴史ではないだろうか。今、介護の現場は着実に「人の当たり前の生活」に近づけるために前に進みつつあるが、逆に言えばいかに介護を受ける人々が当たり前の人としての対応がされていなかった時代が長かったかということだ。そしてそれは、いまだ道半ばである。逆に小規模施設が増え、サービス提供事業主体が多様化している今日、過去に時間を戻したような劣悪なケアを行っている事業者もでてきている。間違った歴史を繰り返してはならない。後戻りして利用者の忍耐の上に成り立つ介護であってはならない。

個別性や臨機応変という理屈をこねくり回して、ユーザーである利用者に対する言葉遣いを家族しか許されないようなぞんざいなものであってもよいと考え、世間と違う感覚を持ち込もうとする職員は、過去の亡霊を呼び覚ます悪魔と同じである。

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