どんなに仕事熱心で、そこに生きがいを感じることができる人で、かつ業務遂行能力の高い人であっても、仕事のことばかり突き詰めて考えてしまえば、やがて行き詰まり、「マイナス頭」になって大きな失敗を犯したり、時には袋小路に自らを押し込め抜け出せない状態に陥り、精神的にパンクしてしまう恐れがある。
能力の高い人であればあるほど、このリスクは高くなる。ゆえに人間は常に頭脳を休ませる工夫が必要である。特に夜に考え事をしてはいけない。明るい日差しの中で考えないと、どうしてもネガティブな方向に思考が向いてしまう。夜考えてよい結果が出ることは極めて少ない。そんな時は「下手の考え休むに似たり」と割り切って、酒でも飲んで寝てしまった方がよい。
心に「ゆとり」を持たせる工夫が必要なのだ。そのため趣味などを楽しむ心の余裕を常に持っていてほしい。仕事のことを忘れて没頭できる「何か」を持つということはそういう意味でも重要なのだ。あなたが貴方の職場で必要不可欠で重要な人物であるとしても、そうであるからこそ仕事を忘れてくつろぐ時間を持つことが必要なのである。一定の責任ある立場の者は、意識的にそうした時間や場所を作る必要があるのだ。
このことは僕も例外ではなく、常に仕事から離れる時間を持つように努めているし、仕事の中にも時には「遊び心」を取り入れて心を張り詰め過ぎないように努めている。このブログもしかりである。ブログを書くこと自体がストレス発散という意味があり、そのために読み手に気を使うことは一切していない。不快になる人は読みに来なければよいだけの話だからである。ということで(どういうことだと突っ込まれそうであるが)、今日の記事は僕の趣味に関するもので、福祉や介護とは直接関係のない話題であることを断っておく。どうも固い話題を書く気分ではないからである。
(深い意味はない。単なる気分転換であり、これも僕の頭脳の休養方法のひとつである。)
このブログのカテゴリーに「唄・フォークソング」があるように、僕の青春時代は70年代フォークが真っ盛りの時代である。
(※だから同い年の兼任CMさんとカラオケのレパートリーがかぶるのである:笑)
それこそ猫も杓子もフォークギターを弾いていた時代で、当然僕もその一人である。
演奏技術はさほど上手くはなかったが、フォークソングは多少下手でも許されるのである。とは言っても簡単なアルペジオくらいはこなせるので、まるっきりの素人でもない。
ただ今も当時と同じようにギターを演奏できるかと問われれば、技術的にはそれは可能だが、よい音は出せないというのが本当のところだ。その理由は、ギター演奏をしばらく行っていないと、弦を押さえる指の皮が軟らかくなっているため、きちんと押さえられず音が綺麗に出ないためである。しばらく練習して、指の皮が固くなって弦をきちんと押さえられるようになってこそギター本来の音色を出せるのである。今はそんな練習をする時間もないしな。
当時コピーしていたグループや歌手はいろいろだが、演奏技術も唄もそこそこで、自分もそこにたどり着けそうだという変な理由で人気があったグループが、東北岩手県出身のNSP(ニュー・サディスティック・ピンクが正式名だ)であった。彼らの曲想をヒントに、オリジナルの唄もずいぶん作った。そのいくつかは前述のカテゴリーの「masaのフォーク道」の中で紹介している。僕のオリジナル曲の特徴は、音域が狭いのと、ハイコードが少ない事だ。(つまり唄もギターもあまりうまくないということだ。)
白状すると、中高校生の一時期はシンガーソングライターになりたいと思っていたこともあるのだ。だがNSPが教本ではレベルが知れている。それはかなうことのない儚い夢に過ぎなかった。
どちらにしてもいろいろな場所でオリジナル曲を中心にして人前で「弾き語る」という今考えれば身の程知らずの恐ろしい事をしていた学生時代である。唄う方は下手でも許される時代であったとしても、その下手な唄を聞かされる人はたまったものではなかったろう。若気の至りと反省している。
ところで、当時、幾人かの仲間でグループを作って歌うこともあった。
その時、野郎ばかりでは受けが悪いので、女性ボーカルをメインに演奏することがあった。当然そうなるとコピー曲も女性ボーカリストのものが多くなるのであるが、その中で特に僕のお気に入りであった唄は、水越けい子姉さんのTouch me in the memoryである。「思い出の中の私に触れて」とでも訳せるだろうか?彼女の少しハスキーで切なそうな声と、大人の女性しか分からないような哀愁漂う歌詞に、哀しげなメロディーがマッチした名曲である。(彼女の代表曲「ほほにキスして」は彼女には合っていないと僕は思う。)
特にこの唄は歌詞が好きだった。その当時、僕らが演奏した時に唄っていた女性ボーカルが誰だったのかも定かではなくなっているが、その歌詞だけは今でも覚えている。
1番の歌詞は
雨のしずくはらいながら
店のドアを開けた あなたを見た時は
急な言葉もみつからず
元気そうねなんて ぎこちなく笑った
向かい合って語らう その後の出来事に
私一人が苦く懐かしんでたの
Touch me in the memory ...好きだった ほんとうに
Touch me in the memory ...今でも声にしたいほど
と昔の恋人との再会の場面と、その時の切ない胸の内が表現されている。これが2番ではさらに切なさがアップする。
急に 淋しさに襲われ
たとえ真夜中でも あなたを呼びだした
ときて、さらに
悪い事だと知りながら
別の人に こころ 揺らせた事もある
って歌詞が続く。若い心の遷ろいやすさ、ゆれる心の弱さがよく表現されている。そして
きっと慣れすぎてたの あなたの優しさに
傍にいるその時は 何も気付かずに
ときて、ここで演奏している僕らはメロディーに乗って、ジャ、ジャ、とギターの弦を高らかに弾(はじ)いてTouch me〜の部分をハモルのである。
Touch me in the memory...失って初めて
Touch me in the memory...あなたの大きさを知った
と続くわけだ。ウーン今聞いてもよい曲だ。ただ歌詞の最後「あなたの大きさを知った」という表現に少し不満をもった時期がある。「大きさ」より、もっと哀愁漂う言葉はないんだろうかといつも思っていた。しかしこれに変わるよい言葉もなかなか見つからない。「優しさ」では弱いし、もっと心に「ガツン」と突き刺さる言葉はないだろうかと考え続けると、やはり「大きさ」でよいのかなあと思えてくる。この詞は、それだけ推敲されて選ばれた言葉を使っているんだろうと思う。
それにしても日本語のボキャブラリーはなんと豊富で、世界一美しい言葉だろうと改めて思ったりする。
ところで綺麗だった「おケイ姉さん」も今ではずいぶん年をとっているだろうなあ・・・。確か僕より6つ年上だしな・・・。
※今日夕方18:30〜札幌サンプラザで行われる社会福祉法人・恵友会の研修で講演を行います。同法人の職員と関係者約 190名が対象と聞いています。(法人内研修の参加職員数としてはすごい数だと思う。)会場でお逢いした方、是非声をかけてください。急遽、同ホテルに宿泊することになりましたので、今晩はゆっくり札幌で皆さんと語り合いましょう。(明日は始業時間に間に合うように朝早く札幌を出ます。7:00に出れば間に合うでしょう。)
↓ブログ書籍化本、おかげさまで好評発売中。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
能力の高い人であればあるほど、このリスクは高くなる。ゆえに人間は常に頭脳を休ませる工夫が必要である。特に夜に考え事をしてはいけない。明るい日差しの中で考えないと、どうしてもネガティブな方向に思考が向いてしまう。夜考えてよい結果が出ることは極めて少ない。そんな時は「下手の考え休むに似たり」と割り切って、酒でも飲んで寝てしまった方がよい。
心に「ゆとり」を持たせる工夫が必要なのだ。そのため趣味などを楽しむ心の余裕を常に持っていてほしい。仕事のことを忘れて没頭できる「何か」を持つということはそういう意味でも重要なのだ。あなたが貴方の職場で必要不可欠で重要な人物であるとしても、そうであるからこそ仕事を忘れてくつろぐ時間を持つことが必要なのである。一定の責任ある立場の者は、意識的にそうした時間や場所を作る必要があるのだ。
このことは僕も例外ではなく、常に仕事から離れる時間を持つように努めているし、仕事の中にも時には「遊び心」を取り入れて心を張り詰め過ぎないように努めている。このブログもしかりである。ブログを書くこと自体がストレス発散という意味があり、そのために読み手に気を使うことは一切していない。不快になる人は読みに来なければよいだけの話だからである。ということで(どういうことだと突っ込まれそうであるが)、今日の記事は僕の趣味に関するもので、福祉や介護とは直接関係のない話題であることを断っておく。どうも固い話題を書く気分ではないからである。
(深い意味はない。単なる気分転換であり、これも僕の頭脳の休養方法のひとつである。)
このブログのカテゴリーに「唄・フォークソング」があるように、僕の青春時代は70年代フォークが真っ盛りの時代である。
(※だから同い年の兼任CMさんとカラオケのレパートリーがかぶるのである:笑)
それこそ猫も杓子もフォークギターを弾いていた時代で、当然僕もその一人である。
演奏技術はさほど上手くはなかったが、フォークソングは多少下手でも許されるのである。とは言っても簡単なアルペジオくらいはこなせるので、まるっきりの素人でもない。
ただ今も当時と同じようにギターを演奏できるかと問われれば、技術的にはそれは可能だが、よい音は出せないというのが本当のところだ。その理由は、ギター演奏をしばらく行っていないと、弦を押さえる指の皮が軟らかくなっているため、きちんと押さえられず音が綺麗に出ないためである。しばらく練習して、指の皮が固くなって弦をきちんと押さえられるようになってこそギター本来の音色を出せるのである。今はそんな練習をする時間もないしな。
当時コピーしていたグループや歌手はいろいろだが、演奏技術も唄もそこそこで、自分もそこにたどり着けそうだという変な理由で人気があったグループが、東北岩手県出身のNSP(ニュー・サディスティック・ピンクが正式名だ)であった。彼らの曲想をヒントに、オリジナルの唄もずいぶん作った。そのいくつかは前述のカテゴリーの「masaのフォーク道」の中で紹介している。僕のオリジナル曲の特徴は、音域が狭いのと、ハイコードが少ない事だ。(つまり唄もギターもあまりうまくないということだ。)
白状すると、中高校生の一時期はシンガーソングライターになりたいと思っていたこともあるのだ。だがNSPが教本ではレベルが知れている。それはかなうことのない儚い夢に過ぎなかった。
どちらにしてもいろいろな場所でオリジナル曲を中心にして人前で「弾き語る」という今考えれば身の程知らずの恐ろしい事をしていた学生時代である。唄う方は下手でも許される時代であったとしても、その下手な唄を聞かされる人はたまったものではなかったろう。若気の至りと反省している。
ところで、当時、幾人かの仲間でグループを作って歌うこともあった。
その時、野郎ばかりでは受けが悪いので、女性ボーカルをメインに演奏することがあった。当然そうなるとコピー曲も女性ボーカリストのものが多くなるのであるが、その中で特に僕のお気に入りであった唄は、水越けい子姉さんのTouch me in the memoryである。「思い出の中の私に触れて」とでも訳せるだろうか?彼女の少しハスキーで切なそうな声と、大人の女性しか分からないような哀愁漂う歌詞に、哀しげなメロディーがマッチした名曲である。(彼女の代表曲「ほほにキスして」は彼女には合っていないと僕は思う。)
特にこの唄は歌詞が好きだった。その当時、僕らが演奏した時に唄っていた女性ボーカルが誰だったのかも定かではなくなっているが、その歌詞だけは今でも覚えている。
1番の歌詞は
雨のしずくはらいながら
店のドアを開けた あなたを見た時は
急な言葉もみつからず
元気そうねなんて ぎこちなく笑った
向かい合って語らう その後の出来事に
私一人が苦く懐かしんでたの
Touch me in the memory ...好きだった ほんとうに
Touch me in the memory ...今でも声にしたいほど
と昔の恋人との再会の場面と、その時の切ない胸の内が表現されている。これが2番ではさらに切なさがアップする。
急に 淋しさに襲われ
たとえ真夜中でも あなたを呼びだした
ときて、さらに
悪い事だと知りながら
別の人に こころ 揺らせた事もある
って歌詞が続く。若い心の遷ろいやすさ、ゆれる心の弱さがよく表現されている。そして
きっと慣れすぎてたの あなたの優しさに
傍にいるその時は 何も気付かずに
ときて、ここで演奏している僕らはメロディーに乗って、ジャ、ジャ、とギターの弦を高らかに弾(はじ)いてTouch me〜の部分をハモルのである。
Touch me in the memory...失って初めて
Touch me in the memory...あなたの大きさを知った
と続くわけだ。ウーン今聞いてもよい曲だ。ただ歌詞の最後「あなたの大きさを知った」という表現に少し不満をもった時期がある。「大きさ」より、もっと哀愁漂う言葉はないんだろうかといつも思っていた。しかしこれに変わるよい言葉もなかなか見つからない。「優しさ」では弱いし、もっと心に「ガツン」と突き刺さる言葉はないだろうかと考え続けると、やはり「大きさ」でよいのかなあと思えてくる。この詞は、それだけ推敲されて選ばれた言葉を使っているんだろうと思う。
それにしても日本語のボキャブラリーはなんと豊富で、世界一美しい言葉だろうと改めて思ったりする。
ところで綺麗だった「おケイ姉さん」も今ではずいぶん年をとっているだろうなあ・・・。確か僕より6つ年上だしな・・・。
※今日夕方18:30〜札幌サンプラザで行われる社会福祉法人・恵友会の研修で講演を行います。同法人の職員と関係者約 190名が対象と聞いています。(法人内研修の参加職員数としてはすごい数だと思う。)会場でお逢いした方、是非声をかけてください。急遽、同ホテルに宿泊することになりましたので、今晩はゆっくり札幌で皆さんと語り合いましょう。(明日は始業時間に間に合うように朝早く札幌を出ます。7:00に出れば間に合うでしょう。)
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介護・福祉情報掲示板(表板)
学生の頃に夢中になって聞いていました。
ライブなどでは、バンド名を「納豆 そら豆、ピーナッツ」って言って、ウケていましたよ。
彼らも出たポプコンも懐かしいなー。
深夜ラジオのコッキーポップも楽しみに聞いていました。
このブログを読む事が、「こころのゆとり」になっています。