昨日の記事の続編になる。
第2表の「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」に「〇〇したい」と書かれることが多い理由は、法令上そう書かねばならないとされているものではなく、財団法人・長寿社会開発センターから発行されている「四訂・居宅サービス計画書作成の手引」の記載要綱を根拠にして、介護支援専門員の実務研修等でそうした表現で記載することが推奨されているためである。
この背景には15年の介護支援専門員テキスト等の改訂の際に取り入れたICFの考え方に基づくポジティブプランの導入がある。
そしてその際に取り入れた「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」の解釈は
1. 困りごとを発生させている原因や背景要因そのものにとらわれてしまうと、ネガティブなとらえ方になりやすく、とりわけ、この欄で問題点を取り上げると、そこから直ちに具体的なサービスを想起してしまい、問題とサービスを結びつけてしまいがちで、「困った状況を改善して望む生活をしたい」というポジティブな生活意欲に転換できないことが多い。
2. できないことばかりでなく、自分でできることなどプラスの面を利用者が自覚できるようにした方がよく、そのためには、「〇〇できるようになりたい」「〇〇したい」というとうに、利用者が主体的・意欲的に取り組めるような書き方の方がよい。
3. 背景要因を書くと「〇〇のため〇〇できない」のように、ネガティブな表現になりやすいので、「〇〇したい」とできるだけ簡潔に書く方がよい。
としたものである。
しかし僕はこのことに諸手を挙げて賛同しない。例えば「背景要因を書くとネガティブになり、できないことに対する問題点だけにサービスを結びつけてしまう」という点に関して言えば必ずしもそうではないと思う。
例えば「認知症による記憶障害と見当識障害があるため尿意を感じてもトイレの場所が分からない。 」と生活課題に背景要因を書くことで、「認知症による記憶障害があることで失禁してしまうので」=紙パットを使う、というふうにネガティブな視点(できないこと)のケアになりがちだという理屈は、あまりに一方的過ぎる見方だ。
この場合であっても「尿意を感じてもトイレの場所が分からない。」というアセスメントに着目すれば、尿意はあるというポジティブな面を捉えて、尿意はあるがトイレの場所が分からないことで失禁するのだから、「尿意のサインを見つけてトイレ誘導を行う」というポジティブなプランになり得るのである。
逆に、この場合の生活課題を単に「失禁せずトイレで排泄したい」としてしまった場合、そのプランを読んで、なぜこの利用者が失禁するのかという背景が見えてこず、認知症の記憶障害に対する配慮が欠けてしまうというリスクもあるのだ。だから背景要因を書かない方がよいという考え方はすべてのケースでプラス要素にはならない。
看取り介護計画における皮膚障害リスク対応も同じような問題がある。看取り介護期に褥創を創らないことは安心・安楽には一番大事なことである。しかし看取り介護期の皮膚障害リスクは個人ごとに様々である。
特に経口から食事摂取ができなくなる時期により、そのリスクは単に自力で体動困難であるということにとどまらず、低アルブミン、低タンパクなどの要因が深く関わってくるため、「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」を単純に「褥創ができずに快適に生活を続けたい」で書いて終わってしまえば、単に体位交換を行えばよいということだけが前面に出され、この時に重要となる「食事が摂れないことで痣(あざ)ができやすくなる」という背景要因を抜きにして考えることができない「介護上の注意点」「よりきめ細かな介助方法」が抜けおちてしまうリスクがある。むしろ看取り介護期には特に全職員が「低アルブミン、低タンパクであるがゆえに、普段より皮膚障害リスクがある」ということを強く意識する必要があり、計画書の中にこの背景要因を書いておくことが重要である。
このことについて、僕の友人でもある山形のスーパーケアマネ成澤正則氏は、「居宅サービス計画書・作成と手続のルール」の中で、『課題分析の結果から導き出された解決すべき課題(ニーズ)を記載する項目です。〜むしろ「〇〇できない」と表現する場合があってもよいでしょう〜』と指摘している。
また静岡県浜松市で独立・中立型居宅介護支援事業所を経営する粟倉敏貴氏は、「ケアマネジャー・介護・福祉職員のための作文教室」の中で、「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」に「〇〇したい」という表現が多くされていることに関して、『「〇〇したい」という具合に「したいの山」を築いてしまうという珍現象』と指摘し、『ひどい場合は事業者の都合をニーズの欄に「〇〇したい」と記入しているケアマネジャーもいる。ここまでくればもはや「利用者が周囲とうまくやっていくために、本当はこうしたいんだと望んでいるはずだ」と勝手に思い込んだ「仮想プラン」としか言いようがないのだが、当の作成者は「こう書けと研修で習ったんです」と堂々と主張する。これはどう考えてもナンセンス。』とズバッと斬り捨てている。
そもそも老企29号の「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」とは「利用者の自立を阻害する要因等であって、個々の解決すべき課題(ニーズ)についてその相互関係をも含めて明らかにし」ということと、「〇〇したい」という表現は必ずしもイコールにならず、この規定の解釈の結果、書き方は「〇〇したい」と簡潔に書くべきとした「四訂・居宅サービス計画書作成の手引」の考え方はICFの考え方に基づくポジティブプランの考え方を導入するための強引なこじつけという感が無きにしも非ずである。
よってこの部分は「〇〇したい」という表現によって視野が広がり、よりポジティブなプランに結びつくと考えられる場合は、そう表現した方がよいが、必ずしもその表現にこだわる必要はなく、「〇〇したい」という表現では明確なケアの方向性が見えてこない、あるいはその方向性が曇る恐れがある場合には、背景要因も含めて書きながら「〇〇したい」という表現以外の書き方があってもよいだろう。
例えば「〇〇が行われることで〇〇が期待できる」「〇〇の懸念があり〇〇が求められる」という表現であってもよい。僕個人は「生活全般の解決すべき課題(ニーズ」については、そのような表現方法を使うことがよくある。
これは決して間違った表現方法ではないし、全国各地で介護支援専門員の実務研修や更新研修などを担当する講師の人々も、このことを画一的に考えずにきちんと整理して伝えてほしい。
少なくとも壇上から「生活全般の解決すべき課題(ニーズ」については「〇〇したい」とすべきであるということのみを強調する講師の言葉は信じてはいけない。
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第2表の「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」に「〇〇したい」と書かれることが多い理由は、法令上そう書かねばならないとされているものではなく、財団法人・長寿社会開発センターから発行されている「四訂・居宅サービス計画書作成の手引」の記載要綱を根拠にして、介護支援専門員の実務研修等でそうした表現で記載することが推奨されているためである。
この背景には15年の介護支援専門員テキスト等の改訂の際に取り入れたICFの考え方に基づくポジティブプランの導入がある。
そしてその際に取り入れた「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」の解釈は
1. 困りごとを発生させている原因や背景要因そのものにとらわれてしまうと、ネガティブなとらえ方になりやすく、とりわけ、この欄で問題点を取り上げると、そこから直ちに具体的なサービスを想起してしまい、問題とサービスを結びつけてしまいがちで、「困った状況を改善して望む生活をしたい」というポジティブな生活意欲に転換できないことが多い。
2. できないことばかりでなく、自分でできることなどプラスの面を利用者が自覚できるようにした方がよく、そのためには、「〇〇できるようになりたい」「〇〇したい」というとうに、利用者が主体的・意欲的に取り組めるような書き方の方がよい。
3. 背景要因を書くと「〇〇のため〇〇できない」のように、ネガティブな表現になりやすいので、「〇〇したい」とできるだけ簡潔に書く方がよい。
としたものである。
しかし僕はこのことに諸手を挙げて賛同しない。例えば「背景要因を書くとネガティブになり、できないことに対する問題点だけにサービスを結びつけてしまう」という点に関して言えば必ずしもそうではないと思う。
例えば「認知症による記憶障害と見当識障害があるため尿意を感じてもトイレの場所が分からない。 」と生活課題に背景要因を書くことで、「認知症による記憶障害があることで失禁してしまうので」=紙パットを使う、というふうにネガティブな視点(できないこと)のケアになりがちだという理屈は、あまりに一方的過ぎる見方だ。
この場合であっても「尿意を感じてもトイレの場所が分からない。」というアセスメントに着目すれば、尿意はあるというポジティブな面を捉えて、尿意はあるがトイレの場所が分からないことで失禁するのだから、「尿意のサインを見つけてトイレ誘導を行う」というポジティブなプランになり得るのである。
逆に、この場合の生活課題を単に「失禁せずトイレで排泄したい」としてしまった場合、そのプランを読んで、なぜこの利用者が失禁するのかという背景が見えてこず、認知症の記憶障害に対する配慮が欠けてしまうというリスクもあるのだ。だから背景要因を書かない方がよいという考え方はすべてのケースでプラス要素にはならない。
看取り介護計画における皮膚障害リスク対応も同じような問題がある。看取り介護期に褥創を創らないことは安心・安楽には一番大事なことである。しかし看取り介護期の皮膚障害リスクは個人ごとに様々である。
特に経口から食事摂取ができなくなる時期により、そのリスクは単に自力で体動困難であるということにとどまらず、低アルブミン、低タンパクなどの要因が深く関わってくるため、「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」を単純に「褥創ができずに快適に生活を続けたい」で書いて終わってしまえば、単に体位交換を行えばよいということだけが前面に出され、この時に重要となる「食事が摂れないことで痣(あざ)ができやすくなる」という背景要因を抜きにして考えることができない「介護上の注意点」「よりきめ細かな介助方法」が抜けおちてしまうリスクがある。むしろ看取り介護期には特に全職員が「低アルブミン、低タンパクであるがゆえに、普段より皮膚障害リスクがある」ということを強く意識する必要があり、計画書の中にこの背景要因を書いておくことが重要である。
このことについて、僕の友人でもある山形のスーパーケアマネ成澤正則氏は、「居宅サービス計画書・作成と手続のルール」の中で、『課題分析の結果から導き出された解決すべき課題(ニーズ)を記載する項目です。〜むしろ「〇〇できない」と表現する場合があってもよいでしょう〜』と指摘している。
また静岡県浜松市で独立・中立型居宅介護支援事業所を経営する粟倉敏貴氏は、「ケアマネジャー・介護・福祉職員のための作文教室」の中で、「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」に「〇〇したい」という表現が多くされていることに関して、『「〇〇したい」という具合に「したいの山」を築いてしまうという珍現象』と指摘し、『ひどい場合は事業者の都合をニーズの欄に「〇〇したい」と記入しているケアマネジャーもいる。ここまでくればもはや「利用者が周囲とうまくやっていくために、本当はこうしたいんだと望んでいるはずだ」と勝手に思い込んだ「仮想プラン」としか言いようがないのだが、当の作成者は「こう書けと研修で習ったんです」と堂々と主張する。これはどう考えてもナンセンス。』とズバッと斬り捨てている。
そもそも老企29号の「生活全般の解決すべき課題(ニーズ)」とは「利用者の自立を阻害する要因等であって、個々の解決すべき課題(ニーズ)についてその相互関係をも含めて明らかにし」ということと、「〇〇したい」という表現は必ずしもイコールにならず、この規定の解釈の結果、書き方は「〇〇したい」と簡潔に書くべきとした「四訂・居宅サービス計画書作成の手引」の考え方はICFの考え方に基づくポジティブプランの考え方を導入するための強引なこじつけという感が無きにしも非ずである。
よってこの部分は「〇〇したい」という表現によって視野が広がり、よりポジティブなプランに結びつくと考えられる場合は、そう表現した方がよいが、必ずしもその表現にこだわる必要はなく、「〇〇したい」という表現では明確なケアの方向性が見えてこない、あるいはその方向性が曇る恐れがある場合には、背景要因も含めて書きながら「〇〇したい」という表現以外の書き方があってもよいだろう。
例えば「〇〇が行われることで〇〇が期待できる」「〇〇の懸念があり〇〇が求められる」という表現であってもよい。僕個人は「生活全般の解決すべき課題(ニーズ」については、そのような表現方法を使うことがよくある。
これは決して間違った表現方法ではないし、全国各地で介護支援専門員の実務研修や更新研修などを担当する講師の人々も、このことを画一的に考えずにきちんと整理して伝えてほしい。
少なくとも壇上から「生活全般の解決すべき課題(ニーズ」については「〇〇したい」とすべきであるということのみを強調する講師の言葉は信じてはいけない。
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介護・福祉情報掲示板(表板)
ですから「〜したい」と記入していきたいと思います。
「〜できない」と記入したい人はそれでいいと思います。