ホスピスという言葉をインターネットで検索するとウィキペディアがヒットする。

そこには「ホスピス」の意味について「ターミナルケアを行う施設。または在宅で行うターミナルケアのこと」と書かれている。

「ターミナルケアを行う施設」がホスピスであるということは理解できていたが、「在宅で行うターミナルケアのこと」をホスピスというのは正直知らなかった。

おそらく一般的な認知としてもホスピス=医療機関、というイメージが強いのではないだろうか。特に我が国の場合、それは末期がんの方を対象とした「緩和ケア病棟」と同義語で使われることが多いと思う。

ホスピスという言葉は比較的新しい言葉である。英語文献にその言葉が現われたのは1818年といわれている。もともとは聖地に巡礼する信者のための宿泊所というほどの意味で、宗教団体などが経営することが多かったそうである。だからターミナルケアを目的とするホスピスも、宗教団体から始まったと記憶している。

我が国では聖隷三方原病院が末期がん患者を対象にして初めて病棟が独立したホスピスケアを始めたという経緯もあり、ホスピスといえば前述したように末期がんの患者を対象にした緩和ケア病棟のイメージが強く、同時にホスピス=医療機関というイメージを持ちやすい。しかしホスピスが治療機関でないことは明らかで、それは不治の病を持つ人が、残された時間を心やすらかに過ごし、死を受容することを援助する場である。

ところで戦前まで我が国の平均寿命は「人生50年」という言葉で現わされていたように50歳にも達していなかった。つまり死にゆく人々の大部分は高齢者ではなかったのである。当時は抵抗力の弱い子供や、若い人々の方が数多く死んでいたのである。当時の死亡者数のうち15歳未満が30%以上を占めているという数字がそのことを証明している。

したがってその時代における医療の最大の課題と役割は「死期を延ばす治療」であり、「死」は医療の敗北を意味していた。それが「医の倫理」であり、高齢者であっても人口延命の治療が行われることが当然のこととされてきた。だから終末期医療という概念は我が国においては長く成立してこなかった。

しかし今「長寿大国ニッポン」の現状は、多くの人が80歳を超えるまで生き続ける状況を生み出し、死に行く人々の多くが高齢者である。しかしその裏側にはベッドの上で管をつけられ、物言わぬまま終日天井を睨んだ状態で何年も何十年も息をし続ける人々を増やしている現実がある。これがよいことなのかどうなのか。このことが医療の勝利なのかどうなのか。もう一度国民全体で考える時期に来ている。

そうであればホスピスは積極的延命治療を行わずに自然死を受容する場であるから、ある意味、死を人類や医療の敗北と見るのではなく、平安のうちにそれを受容するために手を貸すためのもので、延命を命題としてきた医療とは一線を画す新しい医療の挑戦であると言えるのかもしれない。

いや、これを単に医療の役割と考えることも違っているだろう。前述したようにホスピスの意味が在宅にもその視点が置かれるとしたら、それは保健・医療・福祉・介護を包括した取り組みでなければならず、在宅以外の看取りの場である特養もホスピスケアの思想を待たねばならないはずである。

看取りの場は、単に人がそこで死ぬ場であるという意味ではなく、人が人らしく最後まで生き続け、信頼する人に看取られながら最後の時間を過ごす場である。

息を止める瞬間まで安心と安楽の暮らしを守るために、特養はさらに進化していく必要があるだろう。

特に医療・看護体制の強化はいまだに解決すべき課題として残っており、そのことはこのブログ記事でも再三取り上げてきた。

そのことについていえば、専門医による苦痛除去の緩和ケアが、特養でも今以上に容易に実施できるようにする必要があるだろうし、看護体制の強化とは単に看護師の配置基準を厚くするというではなく、介護職員が在宅で家族ができる程度のことを行ってよいという方向に法改正をするとともに、看護・介護職員への死の臨床教育を総合的、包括的に実施するシステム作りなどが急がれると考える。

日本人の年間死亡者数は114万人を超えている。

これらの人々が疾患によってターミナルケアを受けることができたり、受けることができなかったりするのでは困る。

すべての人々が最後の瞬間まで人間らしく生きることのできるケアのためにホスピスケアがあるのだとしたら、そのことはすべての死の臨床場面に係る人々の問題として、そのスキルアップに努めていかねばならないのだろうと思う。

この大震災で、被災地では家族や縁者を全く失ってしまい「一人残された」人々がたくさんおられる。配偶者や子や孫を津波に奪われ一人残された高齢者の方もおられる。そのことを考えると、ごく近い将来、そうした方々を地域の中で「孤独死」させないことが重要な課題になるだろう。

我々保健・医療・福祉・介護関係者は、その中心となって行く準備を今からすぐに始めなければならない。つらい思いを経験した人であればなおさら、人生の最後の瞬間まで寂しい思いを抱いたままで終わらせてはいけないと思う。

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