介護支援専門員の資格をとった方に、僕が送りたい言葉があるとすれば、それは「一番近い人でいてください」と言う言葉である。

その意味は、貼り付けている以前の記事にも書いた通り「利用者の傍らに、誰よりも近く寄り添い、手で触れ、見守ることが資格をとった専門家に何よりも求められている」ということだ。

今回の未曾有の大災害で家や家族を失った人の支援に奔走するケアマネジャーもたくさんおられるだろう。ただその中には「医師や看護師やヘルパーなどの目に見える直接支援に比べて、ケアマネジャーができる支援は少なすぎるのではないか?その仕事の意味があるのか?」という疑問を抱いている人がいるようである。

しかしそれはケアマネジャーを単にサービス調整する人=利用者と社会資源を結びつける役割=ケアプランナー、と見てしまうことで生ずる疑問である。

勿論、ケアマネジャーの仕事は、潜在的なものを含めて複数のニーズや生活課題を持つ人々に社会資源である適切なサービスを結びつけ、それらを機能させるための連絡調整を行うものであり、そのことは重要な仕事の一つである。しかし同時にケアマネジメントとは、その調整を行うことだけで完結する仕事ではなく、「エンパワーメント」や「アドボカシー」の視点を併せ持って「要介護者等に問題の存在を発見してもらい、問題を抱えながらその存在に気がつかない人々に働きかけていくこと」(アウトリーチ)であり、心理的支持を与え、ソーシャルサポート(物質サポート、情報サポート、価値サポート)を行っていくことである。

そのツールの一つとしてケアプランが存在するに過ぎない。

つまりケアマネジャーの存在価値をケアプランナーとして見るのではなく、ソーシャルワーカーとして見ることで、我々が社会資源を有効に利用できない環境にある要援助者に対して「できること」の意味や価値を発見し得るのではないだろうか。

今、避難所や、壊れかけた自宅で様々な不安にさいなまれている被災者やその家族に対し、我々は直接介護サービスを提供しないとしても、そこに出向いて、所在を確認するとともに、なにかあった場合にはケアマネジャーが窓口となって、適切な社会資源と結びつけるというだけにとどまらず、そこで抱く不安に寄り添い、話しを傾聴し、いつも心理的な支持を与える立場の人として存在するんだということを、それらの人々に感じてもらうこと自体に意味があると思う。

自分のことを誰も気にかけてくれない不安とは非常に大きなものである。そうであるならば、その反面、家族や親類、友人、知人以外に社会福祉援助の専門家である介護支援専門員が、自分の所在を知り、自分を気にかけてくれ、いつでも頼ることができるのであれば、それらの人々の不安を少しでも解消することの役に立つのではないのか。

その方法論とは、哀しみの気持ちや不安感をしっかり受け止め、傾聴するだけである場合もあろう。しかしそのことは今この時期だからこそ大事なのである。今、避難所には相談する家族さえ、すべて失ってしまった方々もいるだろう。それらの方々の傍らに寄り添い、一番近くで、それらの人々の心の叫びを受け止める人が必要なのだと思う。

ケアマネジャーがそういう存在にならなくてどうするのか。我々はただ単に安否確認するだけではなく、心のケアを含めて一番近くで寄り添う専門職であることを自覚して関わる必要があるだろう。

その時にはじめて我々の存在意義が見えてくるのではないだろうか。

間違ってはいけないことは、社会福祉援助という領域では、ケアマネジメントは間接援助技術に分類されているが、ソーシャルワーカーは間接援助者ではなく、直接援助者であるということである。

そして繰り返しになるが、もう一つ間違ってはならないことは、ケアマネジャーはケアプランナーではなく、ソーシャルワーカーであるということだ。

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