〇さんは、戦時中、海軍の兵士として戦艦に乗務していた。

生前そのことについて多くは語らなかったが、爆撃を受けて〇さんが乗船している戦艦が沈没し、〇さん自身も海に投げ出されて救出され、九死に一生を得るという壮絶な体験を経た方である。

戦後、長く北海道の別の土地で生活され、それなりの資産も蓄えられ、退職後の余生を過ごす場所として当地に土地を買われ、趣味の家庭菜園や園芸をしながら奥さまと静かに過ごされていた。退職してから当地に移り住んできた方であるにも関わらず、近所の方と親しく付き合われ、地域の方々から慕われ、町内会の会長などもされていた。現役時代に暮らしていた町内ではないのに、その地位に押されたことをみても、いかに人望のある方であったか窺い知れる。

その〇さんが縁あって、我が施設に入所された。既に年齢は90歳を間近にされていた。入所後しばらくは元気に過ごしていたが、1年を過ぎようとしたころに体調を崩され、やがて回復不能な状態となった。当園での暮らしは短い期間であったが、ご家族は当園で看取り介護を受ける選択をして、やがて旅立たれた。看取り介護中、亡くなられた月に満91歳の誕生日を迎えられ、そのお祝いもすることができ、その後にお亡くなりになられた。

退職後の後半生を過ごした土地の施設でなくなった〇さんは、そのことをどのように感じてくれたのだろうか。〇さんの看取り介護の評価をデスカンファレンスの記録から考えてみるとともに、我々の看取り介護がどうあるべきか、読者の皆さんにもともに考えてほしい。

(家族の評価)
アンケートより、全てにおいて満足していると回答がありました。また長男より、
職員の対応→「適時状況の説明をしていただき満足しています。」
医療・看護体制→「身近でしっかりした体制をとっておられるので安心してお任せできました。」
介護サービス→「親身にお世話して頂き感謝しています。」
設備・環境→「環境衛生面の取り組みもしっかりしていました。」
看取り介護全体→「自宅にいるような十分な介護をしていただけました。」

(看護部門の評価)
〇月○日から〇月〇日という長い期間での看取り介護ではあったが、時間おきの体交・除圧ができており褥創ができず良かった。また、亡くなる5日前まで入浴ができており保清が保たれていた。〇月〇日より酸素使用するも、乾燥予防のため加湿器・マスクを使用するなど十分な対応が取られていた。全身の拘縮が強く衣類の着脱が困難な状態ではあったが、職員から家族へ介護パジャマの購入を依頼するなど対応が出来ていた。状態変化時など家族への連絡・説明が十分にできており理解されていた。

(介護部門:担当ユニットの評価)
看取り介護開始となってからも体力的に安定される日が続き、毎日午後からは離床できていた。離床時にはデイサービスを訪ねる、日課活動に参加するなど気分転換を行っていた。体清拭・保清は亡くなるその日まで実施できていた。全身の拘縮が強く家族に介護パジャマを購入してもらい着替えも負担なく行う事ができた。定時体交とマッサージを実施する事で褥創ができることはなかった。口が開いたままの状態だった為、口腔内の乾燥予防・清拭を保つ事が難しくいろいろな事をユニット内で検討した。結果、マスクを着用し緑茶で口腔内を清拭した後にはちみつを塗るのが口腔内をきれいする事がわかり継続実施する事ができた。〇月〇日に91歳の誕生日を迎える事ができた。家族とのお祝いは出来なかったが〇月〇日に少し早目にホールでプレゼントを贈呈することができた。〇月〇日頃から口腔ケアの際に介護職員の指をかじる行為がみられる様になった。以前なら絶対にしない行為だったので意識が遠くなっているのではと感じた。その為〇日からは棒の先にガーゼを巻いた物で口腔内清拭を行った。毎週月曜日に奥さんが面会に来る事を以前から楽しみにされており〇日の〇曜日に面会に来る事がなく残念だった。

(介護部門:他ユニットの評価)
1. ユニットスタッフの援助により離床している姿が多くみられ声をかけることができた。最期のときも他ユニットスタッフも協力できた。
2. 環境整備が出来ていて居室内がきれいになっていたと思う。居室内4人部屋だったので、1人ではなく寂しさは少なかったのではないかと思った。顔を見に行くケアワーカーは少なかったように思うが、何人かのケアワーカーが居室へ顔を見に行く機会を持ってくれていたのが良かったとは思う。
3. 自室(4人部屋)で過ごされており他利用者や訪室した職員の動きを目で追う様子がよく見受けられたので寂しい思いは少なかったのではないかと感じた。
・常に開口していたため口腔内の渇きが気になったが、大きな傷や出血等も少なく口腔ケアがまめにされていたのだと感じた。
・声をかけるが反応があまりない方だったため対応に困ったが、行事等に参加される事もあり顔をみる機会が多くとてもよかった。

(介護部門:主任の評価)
看取りに入る前からその時に供えての対応が進められていた。細やかなケア(体位清拭、衣類、保清=髭そり、爪切り等)が行えていたと思う。口腔ケアの際に介護職員の指を噛んでしまうので割箸にカーゼを巻いた物を使用して行った。ただ、この方法では出血する事もあり改善策があれば今後検討していきたい。

(ケアマネジャーの評価)
ご本人との関わりを振り返って、まずはご本人の情報をもっと収集し発信すべきであったと感じた。ご本人が好きだった事・得意だった事・思い入れの強い事を周囲にもっと適切に伝えていくことで、ご本人の体調が安定していて身体機能も保たれているときに何かできる事はなかったかと反省した。普段生活している時点から近くに住んでいる奥さまも含めて、ご本人の生活を支援するスタイルを作り、実践することで、よりご本人らしく暮らす事が出来たのではないかと思う。ただし私自身の反省点を補うように、担当である〇〇副主任を中心としたスタッフが一丸となり、1つ1つの物事に取り組まれていた。親身に、そして優しさを忘れずにご本人やご家族と関わる時間を大切にしていたからこそ、奥さまは毎週ご本人の様子を見に足を運ぶ事ができたのだろう。共に笑うだけではなく共に涙する気持ちを持ち続け、その方の思いをしっかりと受け止め次に繋げようと努力を重ねてきた、その姿勢を私自身も忘れずにいたいと思った。

食べる意欲を失う事は見ていて辛く切ないものだったが、それに替わる“楽しみのある生活”を持ち続けられるようにと、日頃の体調をこまめに観察・確認し合い離床機会を作り関わっていたケアワーカーの姿勢に心を打たれた。ご本人に『ここに来てよかった』『皆と出会えてよかった』と思っていただけるような関わりが持てたのではないだろうか。当園で生活されている方達に、そんな気持ちを持って毎日を過ごしていただけるような関わりをこれからも目指していきたいし、スタッフ一人ひとりにも、そんな思いで関わってほしいと思う。

最期を迎え家に帰るまでの間の、ソーシャルワーカーとしての関わり・対応が不十分であったと反省する。私自身、奥さまの負担を考慮し、もう少し早い段階から伝えるべき事があったのではないだろうか。改めて、最期を迎えたあとのご家族の負担面も考えながら、看取り介護に関わっていく事が必要であると感じた。今後、一人で生活される奥さまと不定期にでも関わりを持つ事は出来ないものか、考えていきたい。

(ソーシャルワーカーの評価)
入浴介助も最期までできていた点は良かった。体調の良い日には療育音楽・レクリエーション・交流会に参加できており良かった。亡くなられた月の〇日ホールで他利用者に誕生日を祝ってもらい良かった。

(給食部門の評価)
〇月〇日より食止めの指示があり看取り介護期間中の食事提供はなかった。看取り期間中は厨房からすぐに提供できるものを提示し、その中から好まれるものを提供できるようにしていた。状態の良い時には、マンゴープリン、黒糖ゼリーを提供できた。また、収穫祭の時には薩摩芋ジュースも提供でき味わっていただくことができて良かった。次第に状態が悪化し食べる事は難しくなってしまったが、今後も他職種と連携し出来ることをみつけていきたい。

(総合的な評価と今後の課題)
居室移動せずに最期の時をご自分の部屋で迎える事ができた。前回の看取りを教訓にして褥創の対策もできており褥創は出来なかった。また、口腔内の乾燥対策もできていた。入浴に関しては特浴に最後の方まで入る事が出来た。また、当日まで体位清拭を実施できており保清も保たれていた。介護職員を中心として一つ一つの援助が細やかで最期までご本人らしい生活が送れていたのではないか。

課題として、ご本人は看取り介護になる前にむせ込みが多く見られていた。食事の姿勢に問題がなくてもむせ込む事があった。本人も辛かったのではないだろうか。また、介助する介護職員としては出来るだけ食事を摂取して頂きたいとの気持ちもあった。その中で食事摂取をどこまで続けたらいいのか、むせ込み無く食事を摂取して頂く方法など専門職から学ぶことの重要性を感じた。
もう一つの課題として、看取りになってからのコミュニケーションの難しさ、夜勤介護職員の不安等が介護職員から上がった。意思疎通が出来る利用者の場合は介護職員も精神的な負担が軽減できる場合多いが今回の場合は意思疎通が困難な上に入所期間が短く普段から口数の少ない方だった為に最期の時にかける声掛けが難しかった。担当介護職員はご本人に声掛けを行なったがどんな声掛けをしたらいいのか悩み、苦しかったと話している。介護職員はご本人の訴えを受け止める努力をしたが意思疎通が出来ず苦しんだ。これに対して「そばにいてあげる事が大切」「手をさすってあげる」等の意見がでた。また、普段から家族が来た時に利用者のエピソードを聞くようにするなど家族との関わりも大切ではないかとの意見もでた。 
今後は看取り介護における終末期の精神的ケアやコミュニケーションについても専門職からより深く学んでいきたいと改めて感じた。

全評価内容は以上である。考えて検証するからこそ、次のステージが見えるのであり、結果に目を向ける評価の視点がないところでは、すべてのサービスが「流れ」にのるだけで終わってしまう危険性があることを忘れてはいけない。

それにしても、壮絶な戦争体験をされ、多くの盟友を失った哀しみを乗り越えて90年という人生を送られた〇さんは、この土地で、この施設で最期の時を過ごしたことをどう感じていたのだろうか。

〇さんにとって、それは最善の選択だったと言えるのだろうか。

看取り介護に関わった我々は、その問いかけを自らの心にし続けなければならない。その責任を放棄した時、我々は最期の瞬間を迎えるときに「傍らにいることが許されざる者」となってしまうだろう。

※今日は旭川医師会の招きで18:30〜同市で「介護保険制度改正の論点」と題した講演を行うため、12:52登別駅発のJRで旭川に向かう。登別から旭川に行くには、札幌で乗り換えが必要で、この時間となってしまう。よってこれから準備をしてお昼ごはんを食べ、駅まで向かうので今日の記事更新は、いつもより早い時間となっている。明日はいよいよ年度最後の日であるが、緑風園のホームページを更新予定である。(このブログは別の場所にある個人ブログなので、ホームページの更新には関係しません。)そのため表の掲示板や公式サイトは明日、一時接続できない時間ができるが、繋がった後は、リニューアル版に変わっているので、乞うご期待!!
(なお表の掲示板に繋がらない時間は、必要な情報は、このブログに流すのでこちらをチェックしておいてください。)

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