震災の深い爪痕が残され、原発の問題も解決していない今この時期であるが、被災地の方々から少しづつ声が届き始めている。

僕のブログ記事に対して「masaさんにお願いしたいことは、いつもと同じようにこのブログを続けてくださることです。困ったとき、迷ったとき、このブログで自分をみつけることができます。」とコメントを寄せてくださっている方もいる。ありがたいことだ。

そういう人々の声に応えるためにも、このブログ記事も福祉や介護に関する広いテーマをいつものように書きつづって行きたいと思うが、いざPCのキーボードに手を置くと、震災被害の光景が頭の中に広がり、今日の時点ではまだそのことから離れた記事を書く気分にはなれない。今日の時点では読者の方々にも僕のその思いにつきあっていただきたい。もう少しだけ・・・。

僕は現在、被災者の方に直接的に手を差し伸べることができない。その術を持たない。

仮に災害地域に派遣が期待される専門職の募集が具体化しても、今この時期は看護職員とか、介護職員とか、直接ケアサービスに関わる援助技術を持った人が求められ、単に現地の食料や水や燃料を使うだけの結果になるような人間は足手まといになるだけだろうから、僕が焦ってうろうろするより後方支援で義援金や支援物資の調達に協力する以外ないと肝に銘じた。

おそらく義援金は現時点では多くの方々の協力が得られるだろうが、これが3月後、半月後と時間がたつにつれ集まりが悪くなるだろう。僕はたくさんの金額を一度に寄付することはできないが、息長く義援金集めに協力していこうと思う。新聞や業界紙に寄せる自分の連載原稿に対していただく報酬・謝礼金などは、基本的に寄付に回していこうと思う。
募金箱設置

法人と職員親睦会からの義援金も既に送ったが、利用者やその家族の義援金を募るために、先週金曜日の夕方に募金箱を施設内に設置したところ、連休の3日でたくさんの方々に協力していただき、千円札も数多く募金箱に入っている。早速これも義援金として送りたい。この募金はしばらく続けていくつもりである。繰り返しになるが、こうした義援金集めという後方支援は息長く続けたい。

もう一つ自分自身の役割を考えてみた。

僕は本来ソーシャルワーカーだから、人の悩みごとの相談にのることはできるし、ソーシャルワーカーとしてではなく、人として、困っている人の訴えに真摯に耳を傾けることはいつでも、どこでもすべきであると思っている。加えて、今回の大規模災害のような場合、直接思いや悩みを伝えられない人が数多く存在するのだから、第3者を通して様々な情報を伝えようとしている人がいるはずだ。その時、それらの人々の中継基地になり得る存在も必要だと思う。

そういう意味では、たまたま僕の管理するネット掲示板や、このブログは、全国の介護サービス関係者の方々がたくさん見てくれているし、ネットを通じてコミュニケーションをとることが可能な環境にあるので、被災地で支援活動に頑張っておられる関係者や、被災者の方でネットをつなぐことができる人などからも連絡が入る。

だから僕はこの機能を利用して、被災地に向けた、あるいは被災地からの情報の中継基地としての役割を大事にして、必要な正確な情報を関係者に届けていくという役割の一端を担っていこうと思う。そういう意味で、表の掲示板や、このブログを使っていただければと思う。

ただそのことで気負ってしまって失敗することもある。福島県の一部地域に食料が届いていないという情報を伝える際に、芸能人のブログ記事を一部引用したところ、その情報の正確性が確認できない状態で発進したため、食料が届いていない地域があることさえも真偽が疑われる事態になった。これは直接自分が得た情報ではない「芸能人ブログ」の記事を引用したことが原因で、今後はこうしたことがないように、ニュースソースと真偽がはっきりした情報提供に努めたいと思う。

そういう思いを持ちながら日々過ごしているが、時間が立ち、いろいろな情報が伝わってくることで、哀しいニュースもたくさん表面に出てきている。時にその悲報に触れ胸が張り裂けそうになる。

北海道新聞記事

画像は3月20日(日)の北海道新聞の紙面である。宮城県石巻市の市立大川小学校は全児童108人のうち、二十数人ほどしか生存が確認されていないそうだ。紙面ではそこに残された泥だらけのランドセルの写真が載せられている。涙なしには見ることができない記事だ。もっとも安全であるはずの小学校校舎で被害にあわれ、失われたたくさんの小さな命に対し、深く哀悼の意を称するしかできない自分が悔しい。

そこには子どもさんを失われたたくさんの父親、母親、兄弟、家族が存在する。その人々の哀しみは、今後ますます深まり悲劇の記憶をずっと持ち続けて生きていかねばならないのだろう。そして心の傷を癒すまでには測り知れない時間と、周囲の支援が必要になるだろう。

そういう人々が何万人も、あるいは何十万人も存在するのが今回の震災である。すべての人々が心を一つにして皆でスクラムを組んで頑張らないと、この国の将来の光が見えなくなる。

地域の復興は、心の復興から始まることも考えて、今できることを、今いる場所で最大限に行うことを考え続けたいと思う。

哀しみを乗り越えてという言葉を発するのはたやすいが、肉親を失った人々の哀しみは、第3者が想像するそれより、ずっと深く、それらの人々の希望の光など途方もなく遠い所に存在し、そんな先まで考えられない状態だろう。

だからこそ、こういう時だからこそ、周囲のすべての人々のちょっとした優しさが必要になるんだと思う。そっと寄り添うことしか出来なくても、それは必要なことなんだと思う。

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