地震発生時に、揺れがまったくなかった九州福岡に滞在していた僕は、その甚大な被害を翌日にやっと知り、その日に予定されていた長崎での講演を終え、浦島太郎のような心境で自宅に戻ったのが先週日曜日である。

その日から、この未曾有の被災に対して自分がなにを出来るのかということを考え続けている。

今僕に出来ることはひとつには金銭的支援。それも一度ではなく、今後息長く自分で出来る範囲の義援金支援を続けようと思う。施設内にも募金箱を設け、利用者や家族からの協力も呼びかけている。

現地で直接支援したいという気持ちもないわけではないが、介護施設の管理者の立場で、自身の職場の利用者の生活もきちんと守らねばならないので、単身被災地に乗り込むことは現実には不可能だし、今求められているのは物資を直接被災地に届ける人とか、医師・看護師・介護職員等であり、僕がそこに行っても迷惑になるだけだろうから、後方でそれらの人々を支援できる方法はないかと考え続けている。

幸い、このブログや施設の公式サイトは、日本中のたくさんの関係者が見てくれているので、そこで情報発信して、必要な情報提供を行ったり、後方支援を続ける必要性を訴えたりすることも意味があるだろうと思え、そのことを自分の役割と義務として考えている。

それから、自分の人脈や情報ネットワークを使うことが、現地支援に少しでも役立たないかと考えている。

現地ではマスコミに報道されない避難地域で、食料や水が届かず、避難所で餓死者さえ出ているそうだ。伝わっていない悲惨な状況がたくさん起きている。そのことを被災を受けていない人に伝えて支援の輪を広くつくり、かつ早急な対応を促すことが必要だ。

さらに救援チームへの情報提供ということも役割として重要である。現地に緊急派遣されている支援チームも、現地に入っても情報が手に入れられず、差し迫った緊急性がどこの地域に生じているのかが把握できない状況にある。例えば大阪(青年会議所)JC等、近畿地区2府4県のJC支援隊が仙台入りしており、今後、2トン車で、水、食料、生活雑貨を関西かピストン輸送をするそうであるが、実は現地でも情報が圧倒的に不足しており、支援を求めている状況と地域の情報提供を求めている。

そうした支援チームに、僕のところに入った情報を仲介して伝えている。今朝表の掲示板で情報提供を受けた「福島県浜通り」に食料がまったく届いていないという情報も仲介できた。こういう形での情報伝達を今後もきめ細かく伝えていきたい。

直接的な支援活動としては、今後要請が増えるであろう施設入所者の受け入れである。阪神大震災のときにも神戸から当施設に緊急入所された方がいたように、今回の被災者の方の中にも、本州の施設で受け入れきれずに北海道に受け入れ先を求める方がいるかもしれないので、5名分のベッドを確保して道に受け入れ可能である旨を届け出た。十分とはいえないが、今出来る最大限のことを、各地域で一人ひとりが行うことが大事だ。

そんな中、昨晩神奈川のgitanistさんからメールが届いた。タイトルに「お伝えしたいことがあります」と書いてある。それは次のような内容だった。

東北の大震災、福島の原発。本当に心を痛めています。
福島の知人のブログです。彼女も津波の被害に遭い、自宅を奪われました。そんな彼女を勇気付けているmasaさんの本。すごいですね。


貼り付いていた、しゅうさんのブログ記事「たった1冊の大切な財産・・・。」

・・・涙があふれた。こんな状況で、僕の本を大事にしてくれている人があの被災地の中にいる・・。この人たちを早く救わねばならないと強く思った。・・・同時に、僕の本がその人たちの勇気に少しでもつながっているのであれば、あの本を書いた意味があると思った。被災された方から僕がいただいた勇気である。本当にありがとう。

僕らは、ずっとあなた方をさせる活動を続けます。必ず明日が来ます。その明日に希望が見える日までがんばり続けます。

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