先週日本を襲った震災は、直接被災しなかった地域の生活にも様々な影響を与えていることだろう。しかし一番困っているのは被災地の非難所等で不自由な暮らしを強いられている人々なので、そこの支援に影響を与えるような自己中心的な物資の「買いだめ」「買い占め」などをしてはならない。

このことはまず自らが律せねばならないことなので、僕個人や僕の家庭、僕の所属施設などでもっとも戒めていることである。

避難所の一部には、食料も水も届かないところがあると聞く。それらの人々が「もう限界です。餓死してしまいます。」と訴えるメモがテレビに映されると、切なさを通り越して自分達がそのことに対して何もできない空しさを感じて茫然としてしまう。

避難所で餓死者が出るなんてことがあってはならないが、今僕にできることは、それらの人々に一秒でも早く、支援の手が届くことを願うことだけである。それにしても人間とは何と無力なのだろう。テレビカメラなどの報道機関がアクセスできない地域の人々はもっと悲惨な状況に陥っているのではないのか?本当に心配だ。

僕の周りには、今のところ取り上げるほどの不便も不自由もない。逆にそのことを心苦しく思うくらいである。

小さな変化や影響は様々にある。例えばこのブログのアクセス数は、震災前より1日平均800アクセスほど少なくなっている。ブログカウンターの設定は、同じPCからは1日1カウントしか計上しないシステムなので、アクセス数とは1日にこのブログを見て下さる実人数とほぼ一致すると考えてよい。そうであれば、震災によりこのブログを読めない環境に居られる方が800人はいるということである。

それらの方々は、今どうしているんだろうか?非常に心配である。一時的に非難してネット環境がない場所にいたり、電波障害等でアクセスできないだけならまだしも、お亡くなりになった方がいるとすれば非常に哀しいことである。やるせない思いでいっぱいになる。

ところが表の掲示板のアクセス数は震災前とほとんど変わりない。これはブログカウンターと異なり、同じPCから1日何度アクセスしても数が増える設定になっているので、アクセスする実人員が減っていても、一人の人が1日にアクセスする回数が増えているせいだと思える。それはとりもなおさず、少ない情報媒体の中で、表の掲示板が地震関連情報として必要な情報を参加者の皆さんが書き込んでくださっているおかげだろうと思う。

あの地震が起きなかったら、僕は今日、群馬県前橋市で講演を行っているはずであった。それも中止になった。一昨日は隣町である白老町で講演を行ったが、僕が講師を行う際には著作本「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」を会場で販売することが多いが、今回地震の影響で宅配業者のトラックが移動できず、本が出版社から届かないという状況になった。しかし購入希望者がいるとのことで、たまたま僕の手元にあった本を販売させていただいた。しかしその数はわずか14冊で、すべて完売してしまったので、現在手持ちの著作本は1冊もない状態である。

しかも今週木曜からその販売元の出版社が臨時休業している。余震が続いていることと、通勤時間が倍以上かかる状況だそうで、今週一杯は休みにして自宅待機だそうである。だから僕の手元に著作本が届くのも来週か再来週以降になってしまう状態だ。まあその程度のことはどうでも良いだろう。

それより1日でも早く被災者の方に水と食料と燃料が充分に届くことを願ってやまない。

被災地では、介護サービス関係者も奮闘している。人によっては自らの自宅や家族が被害にあっているのに、哀しみを押し殺して職場に泊まりこんで足りないサービスを回している人もおられる。それらの人々にはただただ頭の下がる思いである。我々が今できることは、それらの人々が今後必要となる物資や生活用品を手に入れるためにも後方から資金援助を続けることだろうと思う。

ここで被災地の福島県の社会福祉法人の方から頂いたメールの内容を紹介しておく。

(ここから)
ライフラインは、少しずつですが復旧してきています。しかし、避難所は相変わらずごった返しの状態。自宅の整理・復旧がままならず、帰ることができない高齢者が多数います。
「いわき市の避難所で要介護高齢者14名が死亡」
広い福島県、介護サービスにとってガソリンがないことは致命的です。支援に行きたくても行けない現状に、胸が詰まる思いです。ガソリン不足で公共交通機関もマヒ状態、出勤したくてもできない職員も多数います。当施設もパンク状態、受け入れる余地がありません。食料はもちろん、物資の不足と先の見えない状況に、真綿で首を絞められるような不安と戦っています。近隣の都道府県の施設には、一人でも二人でも支援が必要な高齢者を受入れることを強く要望します。
また、放射能問題が支援の低下に拍車をかけています。自転車で1時間かけて出勤する職員、施設に連日泊まりこみをしてでも支援をする職員がいる一方、家族とともに県外へ退避する職員、外へ出ることを拒否する職員もいることも事実です。職員が確保出来ないため、入所者を帰宅させたというグループホームもあるとのこと。
現地の介護スタッフだけでの支援は、心身ともに限界に近づいてきています。放射能が怖くて福島県に支援に来られないのであれば、一人でも多くの要介護高齢者を早急に他県で受け入れて欲しい、それが切実な現場の願いです。
でも・・・、絶対に負けません!


以上である。彼らの心をくじけさせてはいけない。それは被災していない我々の責任と義務であり、我々は支援の輪を広げて、一刻も早く、そして長く支援の手を届けていかねばならないと思う。

彼らが負けないように、我々にもできることがたくさんある。何もしない傍観者になることが一番の罪である。

※最後に我々の仲間であるkitaさんも福島で被災されている。タヌキの置物さんが無事であることを確認されたそうだが、我々のメールなどは繋がっていない。きっとネット環境どころではない状態のところに居られるのだろう。我々はkitaさんのことを毎日心配して、毎日応援しています。できる限りの応援もします。だからもう少し頑張ってください。きっと良い日が来ます。

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