介護サービスには「闇」の部分があると言われる。

その典型例として様々な「虐待」問題が報道されることがある。そしてそのたびに、虐待は氷山の一角で、まだまだ表面に出てこない虐待問題が数多く存在するのだろうと言われる。

そのことを全否定できるなにものもないが、同時に主張したいのは、虐待などとは無縁の、まっとうなサービス提供をしている介護施設や介護サービス事業所の方が数としては圧倒的に多いということである。

しかしながら表面化する虐待とは、本当に信じられないレベルの行為が多い。

利用者に提供すべき経管栄養の濃厚流動食を捨ててしまったり、トイレで排泄している姿を写メにとって友人に送ったり、顔にクレヨンで落書きしたりオムツを頭に巻いた姿を同様に写メに撮り、同僚間で回し見て笑っていたり、認知症の方に性的行為を強要したり、人間として許されない行為を平気で行っているケースが数多く報道されている。

こういう事業者や、当事者の実態は社会から厳しく糾弾されてしかるべきだし、刑事責任も問われる必要があるだろうと考える。

しかし同時に考えなければならないことは、こうした「信じられないひどい行為」を行っている事業者が、人権意識に欠けるとんでもないレベルの低い職員をたまたま雇ってしまったのかという問題である。

決してそうではないだろう。どの施設も、どの職員も最初から高齢者を虐待しようなどという目的や意思をもっているわけではない。

しかし様々な要因で、介護サービス事業を展開する中で、自分自身が壊れていき、それに気がつかずに「虐待」という行為に及んでいるのだろう。自分自身が行っている行為が、世間一般から見れば「非常識この上ない行為」であることさえ気がつかない状態になってしまっている結果であると思う。

以前取り上げた、栃木県宇都宮市の老健の虐待事件にしても、そこで行われている行為は許されざるひどい行為であるが、そういう行為を行ったり、見たりしている職員は、そのことの重大さに全く気がついている節がない。しかし彼らが最初から、そのような鈍感な人間であったわけではなく、多分様々な日常の「おかしなこと」が積み重なった結果、おかしなことも「施設ではあり」という感覚になって、その非常識さに気づく感覚を麻痺させていった結果が、このような重大な間違いに繋がって行ったのだろうと思う。

この感覚麻痺ほど怖いものはない。

いつしか麻痺された感覚によって、施設の常識が世間の非常識という状態を生んでしまい、そこでは感覚を麻痺させた職員によって「何でもあり」の世界が作られてしまう。それも日常のさりげない「鈍感さ」が引き金になることが多いのだ。

オムツは便器ではなく、排せつ感がある人に「オムツしているから、そこにおしっこして」というのも恐ろしき感覚麻痺だし、「オムツが濡れた」と訴える人に「もう少しでおむつ交換の時間だから、それまで待ってね」というのも濡れたおむつの気持ち悪さを放置して何とも感じないという感覚麻痺である。

ここに気がつかなければ介護施設は「冷たいブラックボックス」でしかなくなる。

こういうことが起きないように、施設や介護サービス事業所の管理者は、時々職員の中に、感覚麻痺が生じていないかをチェックする必要がある。

つい最近、僕が行ったチェックは、男性利用者に対する「髭剃りの方法」から考える感覚のチェックだ。介護施設では男性の介護職員も増えているが、まだまだ女性が多い職場なので「男の髭剃り」が普段どのように行われているか知らない女性もいるため、この部分は「男」の立場としてチェックしておかねばならない。今回確認した感覚は次の3点である。

1.電気シェーバー等は使い回しをしてはいけない。皮膚にあててひげを剃る刃物は本来個人専用。何らかの原因でやむを得なく共有する場合は殺菌効果がある消毒を1回ごとに行う必要がある。

2.食堂など「物を食べる場所」で髭剃り介助を行うのは非常識。電気シェーバーは剃った髭を吸い取らず、周辺にひげのかすを撒き散らしている。家庭で髭剃りは洗面所で行うもの。

3.ひげを剃った後のスキンケア(ローションなどで保湿する)をきちんとしないとヒリヒリして痛いんです。


以上のような確認を全職員で実施した。幸い、この部分での崩れはなかったが、こういう部分の小さなほころびが感覚麻痺に繋がって行くので、定期的に様々な部分で、管理者が「これは大丈夫?」と投げかけて、職員が「普通の感覚とは何か」ということを気がつけるように「考える機会」を与え続けねばならないと思う。

そうしないと、主食であるご飯に「粉薬」を混ぜて、まずい飯を毎日食わせ続けて何とも思わない人間や、廊下からお尻が丸見えで着替えやおむつ交換が行われていることが「ひどい」と感じない感覚を麻痺させた職員を作り出してしまう。

そんな状態が対人援助サービスであってはならないのである。上に書いたようなことを何の疑問もなく行っている介護サービスの現場があるとしたら、そこで働いている職員は、自分が何らかの感覚麻痺に陥っていると考えてよいだろう。

この記事の前半部分で僕は「虐待などとは無縁の、まっとうなサービス提供をしている介護施設や事業所の方が数としては圧倒的に多い」と書いたが、しかしそうした事業者が必ずしもサービスの品質が高いという意味にはならない。なぜなら虐待をしない事業者というのは、本来当たり前の、ごく普通の事業者でしかなく、そのこと自体は何の自慢にもならないからだ。そうした事業者であっても慣れや惰性で行われるケアは必ず質の劣化に結びつくことを心しておかねばならない。

そこは普通のステージで、そこから更なる高みを目指すのが介護の専門職としての矜持である。

しかし同時に考えねばならないことは、高みを目指すことができる絶対条件は、「日常のケア」という基本が守られてこそのものであり、まっとうなサービスのなかに、感覚麻痺に繋がるほころびがないかを考えなくなったときから退化が始まることを忘れてはいけない。

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