物事の実体を見極めるためには、地を這うように現実に即した視点で見る「蟻の目」と同時に、空を飛ぶ鳥のように大所高所から状況を見定める「鳥の目」の二つの見方を持つことが必要であると言われる。

しかし我々が常に両方の視点を持ちながら、すべての事象を捉えるということはなかなか難しい。どちらかの視点に偏って物事を見つめてしまうことが多くなる。だから自分だけではなく、人の意見に耳を傾けるということも必要になるのだ。

介護サービスの現場も同様で、大きな組織になればなるほど、誰か一人の優れた職員に両方の視点を持つ役割を担わすだけではなく、役割分担で、この違った視点からサービスを検証するということも必要だ。その中で、常に両方の視点を持つ役割を担う職員をも養成することができればベストである。

つまり現場で直接介護を行っておりさえすれば、介護サービスのすべてを理解できるということはなく、一歩も二歩も引いた場所から大局的に「介護サービス」を眺めねば分からないことも多いのである。だから現場の介護・看護職員と事務・管理部門の職員の双方の視点、介護職員と看護職員と相談援助職員のそれぞれの視点、そうしたものはどれも重要で、どれが欠けてもサービスの評価と、新たな創造は生まれない。そしてそれらの視点を結びつける役割を持つ職員も必要なのだ。

同時に施設のトップたる管理者は、まさに一番上空から、それらを総合的に見つめて、すべての調整機能を果たすという役割があり、そうであるがゆえに、現場の細かな動きにとらわれ過ぎてはならず、管理者が何でもできるという能力を持っていたとしても、なんでも現場職員と同じようにすればよいというものでもない。それぞれの立場と、それに応じた与えられた役割というものは違うという理解が必要だ。

一番利用者の近くにいる介護職員は、実に細かな利用者の変化に気づき、様々な特徴を知っている。皮膚状態のちょっとした変化も、何か変化があれば1ミリ単位で報告が挙げられ、その対策が立てられているので、こうした現場で「隠れた虐待によって生じる身体変化に気がつかない」ということにはならないのではないかと自負している。

しかし同時にあまりに利用者に近い存在であるがゆえに、見えなくなってしまうものもある。体の小さな傷は見逃さなくとも、日常の何気ない空気(雰囲気)を近すぎるがゆえに感じなくなることがある。さらにいえば介護サービスという業務に携わりながらもっとも利用者の身近で接するがゆえに、世間一般の常識を忘れてしまうような業務上の「慣れ」や「感覚麻痺」が生じやすいのも、こうした身近な介護職員の特徴でもある。このことを少し考えたい。

僕が相談員として従事していた間に、様々な現場改革・ケアサービス改革を行ったが、その改革の視点は決して「介護サービスの専門家」の視点ではなく、「生活者の平凡な視点」であることが多かった。そしてそれは介護を直接行う職員であるがゆえに、あまりに当たり前のことに気が付きにくくなっていることがほとんどであった。

例えば、入浴介助の際の体を拭くタオルやスポンジを、利用者が変わっても「体を洗う道具」でるそれらをを変えないで、複数の人に使っているなんてことがあった。しかしどう考えても、これはおかしい。人が変わるたびに洗って綺麗にして、支障がないと言っても、他人の体を洗ったタオルで自分が洗われたらどうだろうと考えた時、これは絶対にしてはいけないことだ。ましてや入浴なら陰部も洗うんだろうから、そのタオルで自分の顔を拭いていることを知って嫌がらない人はいないはずだ。当然、こうした体を洗浄するスポンジやタオルは個人専用で使うべきである。

いまだにそういう区分を行っていない「現場」のほうが異常である。ちなみに当施設では、一人の人の洗身支援であっても、顔を拭くタオルと、陰部を拭くタオルは色分けして変えている。

着替えということも、時と場合によって、蟻の視点だけでは見えなくなってしまうことがある。

先日、実際に我が施設であったことだが、午後5時という夕食より1時間も前に、サービスステーションの前でテレビを見ている利用者の姿に何かしら「違和感」があった。よく見るとそれは、下衣に寝巻のズボンをはかされている姿であるから感じたものだ。

どうやら何らかの理由で下衣交換がこの時間に必要になった際に、もう夕方で、食事を終えたら「どうせ寝間着に着換える」という感覚で、寝巻のズボンをはかせてしまったものらしい。しかし夕食には1時間以上、その後の着替えにはさらに時間がある状態で、この時間に寝巻のズボンを履いてホールに食事しに行くのは異常である。着替えてさえおればよいという問題ではない。これは慣れや流れ作業が生んでしまう感覚だが、その異常さに気付きにくくなるのも、蟻の目からからしかみないことに原因があることも多い。

そういう意味で、僕は現場の中で蟻の目と、鳥の目を同時に持つべき職員としてソーシャルワーカー等の相談援助職員にその役割を求めたい。だから相談員が、介護職員と同じような業務を行い、同じような流れで仕事をすることをよしとしないし、相談援助業務に携わる職員が、介護職員と兼務する状態も良いとは思わない。

一番大所高所からものを見つめるのは、僕の仕事だが、それより少し現場に近い場所で、止まり木の上から現場を眺めて、必要な場合、現場に降りて状況を検証するというのが相談員の役割と思うからである。

そういう役割を僕は求めている。

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