Tさんは明治38年12月1日生まれであり昨日、満105歳の誕生日を迎えられた。

その日は、午後からご家族も来園され、同じユニットのお仲間も交えてささやかな誕生パーティーをフロア内のデイルームで実施した。

ちょうどその日の午前中、市内の幼稚園児が「お年寄りとの交流」のため、当園を訪れていたが、その際にも「ちょうど今日、誕生日の方がいます。その方は105歳です。」ということで、園児の皆さんが、Tさんを囲んでお祝いをしてくれた。Tさんと、そのご家族の承諾を得たので、その際の画像を皆さんにも紹介したい。ただし園児の保護者の承諾を得ていないため、園児の顔が写っている場面は使えないので、Tさんの表情のみである。

105歳の誕生日105歳の誕生日2


考えてみれば、その時来ていた園児は「年長さん」であるが、ほとんどが6歳児だから、Tさんとは99歳の年齢差がある。しかし99歳年下の可愛い子供たちから、プレゼントをいただくというのも素敵なことだ。長寿はやはりめでたいことで、祝うべきことなのである。

Tさんは、現在でも「書道」がお好きで、習字を書く際には姿勢も凛とし、筆先もしっかりして良い字を書かれる。書道の先生も、このずいぶん年上の「弟子」の元気さに驚かれている。さすがに体力が少しずつ衰えているのか、日中椅子に座っていても「うたた寝」することが多くなっているが日課活動にはほとんど参加している。少なくとも1日の大半をベッド上で過ごす生活ではない。

Tさんが生まれた明治38年(1905年)は「日露戦争」の講和条約のため、小村寿太郎が全権大使としてポーツマスに向かった年である。我々にとってははるか昔、太平洋戦争よりも前の戦争に登場する歴史上の人物が活躍していた時代に彼女は生まれている。

その後、激動の大正、昭和を生き、あの太平洋戦争も壮年期に経験している。そんな時代に7人の子供を育てているのだから、若い頃はきっと苦労することも多かったのであろうと思う。しかしご家族の穏やかな表情に囲まれた誕生パーティーでのTさんの表情を見ると、その家庭はきっと幸せな家庭であったろうことが容易に想像できる。

その家庭と家族から離れ、医療機関を経て当施設に入園してきたTさんにとって、決して本当の家族にはなれない我々ではあるが、家族に替って愛情を交わし合う関係を持てるのかが一番大事なことではないだろうか。

当園にTさんが入園されたのは、介護保険制度が始まる前年の、平成11年4月である。だから僕らは、Tさんの90歳代以降のことしか知らないし、多分Tさんの最晩年に関わる関係者の一人としての意味があるのだろうと思う。果たして彼女にとって人生の最晩年に暮らしを営む、この施設が、彼女にとっての安住の場所になっているのかが問題で、そういう暮らしを提供できないのであれば、我々は福祉サービスの専門援助者とは評価されないであろう。園児から贈られたクリスマスツリー



僕らは若い頃のTさんとは何のかかわりも持っていない。そして僕らが関わるこの時期は、Tさんの人生にとっての10何分の一でしかない時期である。しかしだからこそ、今この瞬間を含めた時期を大切にしなければならないと思う。

Tさんの人生が、本当に幸福なものと感じられるかどうかが、この時期で決まると言っても過言ではない。過去にいくら幸せな人生を送っていたとしても、我々が関わるこの時期が、Tさんにとって「つらい暮らし」になってしまえば、彼女の人生そのものが哀しい悔いの多い人生になってしまうかもしれないのだ。

高齢期の人々の暮らしに密着して関わる我々の責任はそれだけ重いということだ。

だからTさんが笑顔でいられる場面が、少しでも多くなるような暮らしづくりが大事なのであって、我々の専門性とは、そういうごく日常の小さな満足感を積み重ねることから考えるものであろうと思う。

それは決して理想論でも、手の届かない幻想の頂(いただき)でもなく、我々の常識の先にあるもので、人を愛する普通の感性の先に実現できるものであるはずだ。

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