今年度から介護福祉士養成校の「認知症高齢者の理解」という講義を担当している。

本来は1年から2年間を通して授業を受け持つのであるが、今年度の卒業生(つまり現2年生)は1年間だけの付き合いだ。だから短期間の付き合いで全員の名前と顔の一致も不十分な状態で授業を終えるのは申し訳なく思っている。

講義は1日に90分の授業を2回行い、1学年についてそれが15日間である。だから2年生は90分×30回の授業を受け持ったわけである。

認知症高齢者の理解とは、突き詰めれば認知症の方にどう関わって支援をするのか、ということを理解する目的を持つが、そのベースには当然「認知症」について正しい基礎知識を持っていなければならない。ケアの理念は認知症の方も、そうではない方も変わらないだろうと言っても、片麻痺の方の着替えの方法に、麻痺という症状の基礎知識が必要なように、認知症というものの原因や症状の基礎知識がなければ正しい支援のあり方はみえないだろう。

東京都文京区根津でキラキラ輝きながら小規模多機能居宅介護を経営し、地域の認知症の方々をキラキラさせている炭酸ひげ男は『認知症ケアの専門性は脳の科学を基に行うべきである。もちろん、ご本人の生活歴を洗い出して、ご本人に寄り添うケアを行う事が前提であるが、それは「認知症ケア」ではなく「ケア」である。』と語っている。彼の文章は、慣れたものではないと解説が必要であるが(ヅカちゃんゴメン、お詫びに今度代わりに奥さんに一度殴られてあげます。)つまりは、きちんとした脳科学をベースにした認知症の専門理解に基づく知識を前提にしたケアの方法論ではないと、行き当たりばったりの対症療法しか生まれないよ、という意味であって、決して「認知症高齢者」を認知症というフィルターを通して見つめて支援に当たれ、という意味ではない。

僕も全く同感で、講義の最初は「脳と記憶」ということで、たっぷり360分間(つまり90分授業×4回)脳のメカニズムと記憶の関係をベースに、認知症について、何がどのように障害されて起こる症状なのかという授業を行った上で、介護支援者としての対応方法や、その基礎となる理念について教えている。そして授業の半分はブレーンストーミングという方法で行うグループ学習で、生徒たち自身が考え、意見を交わし、発表する。という形にしている。

僕はこの授業の一部では、既に介護の現場に入ってすぐサービス担当者会議に参加して発言できるような状況も作り上げている。最初はぎこちなかった生徒たちも、後半は実に生き生きとした表情で、いろいろなアイディアを出し合い、正直僕が期待した以上の成長ぶりを見せてくれている。

僕は今回講義の最初に「あなた方は国家試験を受ける必要もなく、卒業さえすれば介護福祉士という資格を取得でき、有資格者として現場で即戦力とされるという責任があるんだから、授業で教わったことはすべて自分自身の知識とする義務がある。だからここでは介護の現場で役立たない話はしないので、全部吸収する努力をしてください。よって一生懸命頑張っても期末試験の成績が悪いのは許すが、居眠りして授業を聞かないということは一切許しません」と宣言した。

それが効いたのか、卒業させてもらえなったら大変と思ったのか、30回の授業中居眠りをしていたものは皆無である。グループワークでも「お客さん」で終わった者も皆無である。

だから僕は、僕の担当授業に関しては生徒達全員に合格点を与えるつもりである。しかし期末試験は避けて通れないということで、問題を作って試験を受けさせなければならない。その試験範囲を聞かれたので、僕が授業中に話した範囲全部で、かつ授業中に話したことしか出さない、授業をきちんと聞いていた人は合格する問題にするから、特別な試験勉強は僕の担当授業以外の事をしなさい、と話している。

だから試験問題はあまり難しくない。難問・奇問はない。しかし彼らが最後に身につけた知識は、現場で認知症ケアに関わる際に必要となる基本部分はしっかり確保した水準であると確信している。こと認知症ケアに関してだけ言えば、わずか2.700分しか受け持たない授業ではあったが、その基本はしっかり身に着けさせた。養成校講師の責任としてはここで終了だ。

その後、彼らのセンスや知識や技術を伸ばすも、殺すも、介護サービスの現場のスタッフの力量にかかっている。手渡すから頼むぜ。マンパワーの育成とはそうしたものだ。

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