社会福祉士と介護福祉士が国家資格化される以前のことである。

介護職員の地位向上を図るために、全国老施協では「福祉寮母」という独自の「認定資格」を作ってその地位向上を目指したが、なかなか実効性が見えなかった。(当時、福祉寮母を取得した人は懐かしさと、ある種の空しさを感じているのではないだろうか?)

そこで資格法制化を図ろうとする動きが生まれ、やがてそれが介護福祉士という名称独占資格ではあるが、国家資格が誕生したという経緯があった。

しかしその過程では様々な議論の中で、根強い反対論があった。

特に介護の資格を法制化することで、職業を失うのではないかと考えた「家政婦協会」などが強硬な反対論を唱え、旧労働省も反対の立場をとった。

当時の政権政党であった自民党の総務会(政策決定に強い影響力を持っていた)において、強硬に反対意見を唱えたのは、あのハマコー代議士である。そのときの彼の言葉は後に、当時の「介護職員」に対する一般的理解として業界ではかなり有名な言葉になった。その言葉とは

「誰にでもできる仕事に、なんで資格が必要なんだ」

というものである。介護とは一般的にはその程度にしかみられていなかったわけである。それから23年。世間一般の介護福祉士に向けられる目は変わったのだろうか?日本介護福祉士会は、自らの専門性をどのように国民にアピールしてきたのだろう。

なるほど、現場では専門学校で教育を受けた有資格者が、志高く介護業務に携わっている例は無数にある。同時に、専門学校さえ卒業すれば国家試験を受験せずとも付与される資格だから、全然志もなく、技術も知識もない介護福祉士も同じ数だけ存在する。

なるほど、現場では実務3年で国家試験を受験し合格した有資格者の中には、経験と知識と技術を兼ね備えた優秀な介護職員が無数に存在する。しかし一方では、試験には合格したが、付け焼刃の基礎知識しかなくて、介護の現場で心も体も動かさない介護福祉士も存在する。

資格は仕事をしてくれないのだ。だから資格を取得した後の「学ぶ姿勢」が質の担保には必要だし、学んで進もうとしない限り、本当の意味での専門性など生まれない。

本来そのことをサポートすべき職能団体である日本介護福祉士会は、介護福祉士ができる行為を拡大しようとする論議にさえブレーキをかけ、決して国民ニーズに積極的に応えようとはしていない。

僕から言わせれば、現在この職能団体は国家資格に胡坐をかいて、自らのスキル向上に何の興味も示さない姿勢しかとっていない意味のない職能団体に陥っている。

今、介護福祉士に向けられる世間の目、特に他の職能団体や有識者と呼ばれる人々から向けられている目は厳しいぞ。(参照:介護福祉士の専門性を疑う人に応えられるのか?

目を覚ませ。自覚しろ。

このことは社会福祉士にも例外なく問われてくる問題だろう。これに対して社会福祉士会の対応は、すすんで上級資格を別に創設しようというものだ。しかしこれは社会福祉士という国家資格を自ら低い位置に貶めようという馬鹿げた考え方だ。(参照:何のための専門社会福祉士だか・・。

一方介護支援専門員(ケアマネジャー)についてはスキルと地位の向上を目指して国家資格化を図ろうする動きがある。国家資格にするのはよいが、それからが問題だということは他の資格をみても分かる。国家資格化=待遇改善などということにもならないことも、他の国家資格が証明している。国家資格化はあくまで最初の一歩に過ぎないという自覚が必要だろう。
※ただし現況から言えば、この国家資格化の実現可能性はかなり低いことを付記しておく。

だいたい国民の多くは、その資格が国家資格かそうではない資格かなんて、あまり考えていないのだ。その資格を持った人物の顔をみていることを忘れてはいけない。

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