老人福祉法には通所介護という文言はなく、それは老人デイサービスという言葉で表現されている。また現在は訪問介護という言葉に変えられているが、過去にそれは老人ホームヘルプという用語が使われていたと記憶している。

介護保険法の最初の原案でも、デイサービス、ホームヘルプサービス、グループホーム等の呼称が使われていたが、これが変えられたのは時の厚生大臣・小泉純一郎の命令である。「日本の法律なんだから、カタカナを使うな。」というわけである。だから通所介護や痴呆対応型共同生活介護(当時:現在は認知症対応型共同生活介護)という呼称が法律における正式名になっているわけである。

ここで疑問なのは、なぜリハビリテーションというカタカナだけ、この法律の事業呼称に残されているのか?ということである。通所リハビリテーションや訪問リハビリテーションを「通所機能訓練」「訪問機能訓練」になぜ変えなかったのだろうか?

おそらく国は、医療系サービスと福祉系サービスで使う文言を区分しているということだろう。機能訓練というのはあくまで福祉系サービスで使う文言と考えているから、リハビリテーションというカタカナを機能訓練に変えなかったのだと思う。だから通所介護では「個別機能訓練加算」というふうに「機能訓練」という言葉自体は使っているのである。

よって通所リハビリテーションや訪問リハビリテーションのように、医師の指示と処方に基づく「医学的、治療的リハビリテーション」と、福祉系サービスにおける「機能訓練」は概念も、それに関する費用算定に関する方法論も違っているといえる。

特養や通所介護における個別機能訓練加算の算定ルールでは「個別機能訓練を行うに当たっては、機能訓練指導員、看護職員、介護職員、生活相談員その他の職種の者が共同して、利用者ごとにその目標、実施方法等を内容とする個別機能訓練計画を作成し、これに基づいて行った個別機能訓練の効果、実施方法等について評価等を行う。」というふうに、この中に医師が含まれておらず、医師の指示や介入のない方法論を認めているのである。

このことから考えても、機能訓練を「訓練室」でおこなう医学的、治療的リハビリテーションエクササイズに限定して考えることが間違いであると断定できる。個別機能訓練加算が看取り介護(ちなみにこの言葉も医療系サービスではターミナルケアとされている)対象者にも算定できることを鑑みれば、ここで想定している機能訓練とは非常に広い概念で日常生活上の支援行為の中に「機能活用と維持、心身活性化」の視点を置いた行為について、その対象になることは明白である。

ところで先日の休日の昼下がり、1時間ほど海沿いの遊歩道をウォーキングしていると、向こう側から車椅子を持ちながら歩いて来られる数人のグループと出会った。楽しそうに散歩しているようなので、邪魔にならないように頭を下げ小さな声で挨拶だけして通り過ぎようとしたら、その中の一人のお年寄りに僕の名前を呼ばれた。

あれっ、と思ったら僕の親類のおばさんで(90歳代である)、歩いていたのはおばさんが通う小規模通所介護のお仲間と通所介護事業所の管理者さんと看護師さんである。その通所介護事業所の管理者の方は、昔からお世話になっている方で、その事業所は「人生(たび)の途中」という記事でも紹介しているが、民家改修型小規模事業所で認知症の方を中心に、きめ細かな支援をしている評判の事業所である。

聞けば、毎日昼食後の日課で散歩しているのだという。その事業所からは国道を渡って一本海側に出ればすぐこの遊歩道だから、毎日の散策コースなのだという。それでも事業所から歩いて戻ると、ゆうに1時間はかかりそうな道のりである。そのコースを皆、楽しそうに良い表情で歩いている。

持参している車椅子は、突然大きな声を出す方がいるから、一般の人が通り過ぎるときに落ち着けるようにその際だけ座ってもらうためらしいが、そのような行動がある方も、非常に良い表情で皆と行動を共にしている。

思えば、これらの方々は、その事業所の近隣で長年暮らしてきた人々だから、いつも街の臭いを感じ、海の臭いを嗅ぎながら長い年月を重ねてきたはずである。

そういう人々が、加齢に伴い、足腰が衰えたり、認知症の症状が出るなどして、いつしか街に出るという機会が減り、季節の移り変わりや海の臭いを感じることなく生活するようになってしまい、その表情から笑いを消していったのかもしれない。

それらの方々が通所サービスという場で、新しい人間関係を作り交流する中で、再び住民としての暮らしを取り戻していくことが大事だと思う。だから通所介護は、事業所の中だけで行うことがすべてであってはいけないし、街を感じる、故郷の空気や臭いを感じ取れる支援を行う場でなければならないだろうし、昼食後に自然に利用者同士が、街の中を歩くという楽しみを持てることはとても大事なことだ。

それは決して、足腰を強くするとか、身体機能を維持するとか、心身を活性化するとか意識して行うものではないし、本人は決して機能訓練とは考えていないもので、単に「楽しみ」であるから続けられるものだろうと思う。

しかしこれこそが我々の「福祉系サービス」で目指すべき機能訓練の在り方で、日常生活の支援や関わりの中で、ごく自然に展開されるサービスが結果的に「自律支援」ではないのだろうか。
(あえて自立という言葉を使わない、その意味は「必要なのは自律支援」を参照していただきたい。)

散歩している人々の表情をみながらそんなことを考えていた。

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