先日書いた「区分支給限度額利用率から考えること」で明示しているように、居宅の介護サービスは実際には区分支給限度額の半分ほどしか使われていない。
このことについて、あの評判の悪い新認定ソフトを作った筒井孝子女史は「区分支給限度額をきちんと使わないプランは不適切でケアマネジメントがきちんとできていない証明である」と言っているそうだが、全くこの人が分かっていないことがこの発言でもわかる。区分支給限度額とは、その状態像の人に対する最大限の支援を行ったときに必要になるサービス利用上限の目安で、平均値がこれを下回ることはある意味当然で、全員がこの上限まで使っているとしたら、それは必要なサービス上限としては「足りない」という意味になるものである。まあこの人が、この程度の理解力しかないことは既に分かり切ったことだからしょうがないか。
ところで、それにしても5割程度の利用率しかない実態を考えると、このことは同時に区分支給限度額が、サービス利用の上限目安としてはあまり機能していないという意味で、サービス利用は別の尺度によって決められていることを証明している。
そのことはケアマネジメントの良否の問題ではなく、人間の生活がいかに複雑な要素で組み立てられているかという問題としてみるべきである。
つまり、その尺度とは本来は「ケアマネジメント」そのものであるべきなのだが、実際には利用者の経済事情とか、本人や家族の希望とか、家族関係とか、住環境などといったものが含まれていると言える。
だからサービスを使わない理由は調査しても「これだ」というものは出てきにくいだろう。あえて言うとしたら、それは様々な個別事情であり、その根本原因は介護サービスを使っている多くの人が、公的介護保険だけではないインフォーマルサービスに支えられている部分が大きく、むしろ公的介護保険はインフォーマルサービスを補完する形で使われるケースが多いということだろうと思う。
しかしどちらにしても、このサービス利用実態を考察した時分かることは「区分支給限度額がないと必要のないサービスがとめどなく使われてしまう。」ということにはならないということである。
そうであれば、このように平均すると5割程度しかサービス利用実態がないにも関わらず、この区分支給限度額を超えて10割自己負担でサービスを使っている人がいるという状況は、それらの人はやはり区分支給限度額内のサービスだけでは足りず、それ以上の支援がないと居宅における生活が支えられないという意味になり、ということは区分支給限度額の現在の機能は、必要な人のサービスを制限してしまうマイナス面しかないということになる。
よってこの区分支給限度額は撤廃すべきであるという意見が出てくるのは当然であると言える。
しかしその延長線上、あるいは同じ視点から要介護認定をなくしてしまえ、という意見が出てくるのは少し首を傾げてしまう。
なぜなら要介護認定がなくしてしまったとき、保険給付対象者が現在の非該当者も含めたすべての人となることが良いのか、という問題があることがまず1点。ここまでケアマネジメントによって判断せよということになって本当によいのだろうか?
さらに問題となるのは、要介護度別に重度区分に厚く支払われている介護報酬の問題がある。
例えば施設サービスにおける報酬は要介護1が一番低く、段階的に要介護5が一番高く設定されている。そうなると要介護認定が無くなってしまえば、施設入所者は一律同額の介護報酬とせざるを得ないであろう。
そうであれば、同じ報酬なら、ただでさえ人手不足で重労働とされている施設サービスにおいては、手のかからない自立度の高い人の方を優先的に入所させるということが行われるのは目に見えている。いやいや施設入所判定基準を厳しくすれば大丈夫だという人がいるだろうが、入所判定など、判定する側のさじ加減でどうにでもあるものだろうし、今現在、重要な判定要素となっている要介護状態区分をなくしてしまうんだから、より一層不透明でファジーな判定にならざるを得ず、住民ニーズに合致する形での厳密な入所判定は期待薄だろう。
そうなったとき、実際には施設入所の必要性が高い、重介護が必要な状態の人が施設入所できなくなり介護難民となってしまう可能性が高い。
そういう意味では、そうした状況を生まない唯一の方法は、要介護認定により状態区分を分けて、介護度別報酬区分を残すことだと考える。
ただし、予防と介護の給付を区分して、7段階もの細かい状態区分は必要ないと思え、例えば軽度・中度・重度などの3段階への簡素化認定区分に変えていく検討はあってよいだろう。
しかし要介護認定についての一番の問題は、この判定ソフトがころころ変わり、そのたびに数十億円の国費(認定ソフト2009への変更時はモデル事業も含めて20億円の国費がかけられたが、その後の再々見直し等にいくらかあったのかは明らかにされていない)が支払われ儲けている奴らがいるということだ。
そういう意味では基本となる認定は見直して残しても、数年単位で変えてはならず、最低でも10年単位でそれを基本とするものでなければ信頼できる尺度とはならないだろう。
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このことについて、あの評判の悪い新認定ソフトを作った筒井孝子女史は「区分支給限度額をきちんと使わないプランは不適切でケアマネジメントがきちんとできていない証明である」と言っているそうだが、全くこの人が分かっていないことがこの発言でもわかる。区分支給限度額とは、その状態像の人に対する最大限の支援を行ったときに必要になるサービス利用上限の目安で、平均値がこれを下回ることはある意味当然で、全員がこの上限まで使っているとしたら、それは必要なサービス上限としては「足りない」という意味になるものである。まあこの人が、この程度の理解力しかないことは既に分かり切ったことだからしょうがないか。
ところで、それにしても5割程度の利用率しかない実態を考えると、このことは同時に区分支給限度額が、サービス利用の上限目安としてはあまり機能していないという意味で、サービス利用は別の尺度によって決められていることを証明している。
そのことはケアマネジメントの良否の問題ではなく、人間の生活がいかに複雑な要素で組み立てられているかという問題としてみるべきである。
つまり、その尺度とは本来は「ケアマネジメント」そのものであるべきなのだが、実際には利用者の経済事情とか、本人や家族の希望とか、家族関係とか、住環境などといったものが含まれていると言える。
だからサービスを使わない理由は調査しても「これだ」というものは出てきにくいだろう。あえて言うとしたら、それは様々な個別事情であり、その根本原因は介護サービスを使っている多くの人が、公的介護保険だけではないインフォーマルサービスに支えられている部分が大きく、むしろ公的介護保険はインフォーマルサービスを補完する形で使われるケースが多いということだろうと思う。
しかしどちらにしても、このサービス利用実態を考察した時分かることは「区分支給限度額がないと必要のないサービスがとめどなく使われてしまう。」ということにはならないということである。
そうであれば、このように平均すると5割程度しかサービス利用実態がないにも関わらず、この区分支給限度額を超えて10割自己負担でサービスを使っている人がいるという状況は、それらの人はやはり区分支給限度額内のサービスだけでは足りず、それ以上の支援がないと居宅における生活が支えられないという意味になり、ということは区分支給限度額の現在の機能は、必要な人のサービスを制限してしまうマイナス面しかないということになる。
よってこの区分支給限度額は撤廃すべきであるという意見が出てくるのは当然であると言える。
しかしその延長線上、あるいは同じ視点から要介護認定をなくしてしまえ、という意見が出てくるのは少し首を傾げてしまう。
なぜなら要介護認定がなくしてしまったとき、保険給付対象者が現在の非該当者も含めたすべての人となることが良いのか、という問題があることがまず1点。ここまでケアマネジメントによって判断せよということになって本当によいのだろうか?
さらに問題となるのは、要介護度別に重度区分に厚く支払われている介護報酬の問題がある。
例えば施設サービスにおける報酬は要介護1が一番低く、段階的に要介護5が一番高く設定されている。そうなると要介護認定が無くなってしまえば、施設入所者は一律同額の介護報酬とせざるを得ないであろう。
そうであれば、同じ報酬なら、ただでさえ人手不足で重労働とされている施設サービスにおいては、手のかからない自立度の高い人の方を優先的に入所させるということが行われるのは目に見えている。いやいや施設入所判定基準を厳しくすれば大丈夫だという人がいるだろうが、入所判定など、判定する側のさじ加減でどうにでもあるものだろうし、今現在、重要な判定要素となっている要介護状態区分をなくしてしまうんだから、より一層不透明でファジーな判定にならざるを得ず、住民ニーズに合致する形での厳密な入所判定は期待薄だろう。
そうなったとき、実際には施設入所の必要性が高い、重介護が必要な状態の人が施設入所できなくなり介護難民となってしまう可能性が高い。
そういう意味では、そうした状況を生まない唯一の方法は、要介護認定により状態区分を分けて、介護度別報酬区分を残すことだと考える。
ただし、予防と介護の給付を区分して、7段階もの細かい状態区分は必要ないと思え、例えば軽度・中度・重度などの3段階への簡素化認定区分に変えていく検討はあってよいだろう。
しかし要介護認定についての一番の問題は、この判定ソフトがころころ変わり、そのたびに数十億円の国費(認定ソフト2009への変更時はモデル事業も含めて20億円の国費がかけられたが、その後の再々見直し等にいくらかあったのかは明らかにされていない)が支払われ儲けている奴らがいるということだ。
そういう意味では基本となる認定は見直して残しても、数年単位で変えてはならず、最低でも10年単位でそれを基本とするものでなければ信頼できる尺度とはならないだろう。
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