お盆を過ぎれば秋の気配が漂うはずの北海道も、今年の暑さは異常である。

もちろん本州のように日中35度を超えるような気温になったり、熱帯夜で苦しむというようなことはないが、もともと暑さに耐性のない道産子にとっては、この時期まで日中30度近くなる日が続くのはつらいものがある。

それでも今日から9月である。そろそろ秋のさわやかな風が涼しさを運んでくれるころだろうか?

そんなことを考えながら8月から9月に変わる午前零時の空を見上げながら、ふと思ったことがある。

それは日本人にとってこの8月という月は決して忘れてはならない月なんだ、ということだ。

例えばそれは終戦という歴史上の大きな出来事があった月である。そして広島と長崎において「核」という非人道的兵器によって一般市民が多数殺戮されるという人類最大の過ちが行われた月でもあるからだ。

さらに道内の福祉・介護関係者にとっては、もう一つ8月には特別な意味があることを忘れないでほしい。知らなかった人には是非そのことを知ってほしい。

それは8月12日という日のことだ。この日は僕の誕生日でもあるが、そのことを言っているわけではないし、そんなことはシャレにもならない。

ただ僕の誕生日と同じ8月12日という日は、御巣鷹山に日本航空123便が墜落した日でもある。

それは25年前の1985年8月12日18:56のことであった。

僕はその日、ちょうど施設の盆踊りを終え、会場の後片付けを終えて帰宅してビールを片手に食事をしていた。そしてそのことをNHKのニュースで知った。そして犠牲者520人の中の一人に、歌手でもあり、北海道の福祉に多大な貢献をした坂本九さんが含まれていたことを知りショックを受けた。

あの事故から25年たってしまった今となっては、スキヤキソングとしてアメリカでもヒットした名曲「上を向いてあるこう」などを持ち歌としていた大歌手・坂本九という人のことさえ知らない人が増えている。

そして彼が北海道の福祉現場に多大な貢献をして、大きな足跡を残したことを知らない福祉関係者も多い。

坂本九さんは、当時、日曜日の朝にSTVで「サンデー九」というテレビ番組のホスト役を務め、道内の社会福祉施設を回り、ボランティア活動に自ら取り組み、福祉現場の実態を大きく取り上げ、福祉の向上に繋がる広報活動に多大な貢献をした方である。

そのとき、そこにいたのは歌手・坂本九ではなく、人間・大島九(ひさし)であった。

当時は社会福祉士や介護福祉士という資格もなく、当然それらの養成専門校もなかったが、あの番組をみて福祉や介護の道を選んだ若者も多かったはずだ。

僕も大学生時代に何度か栗沢町の福祉村の活動等で、坂本九さんとはお逢いしたことがある。あの時の優しい笑顔があの航空機事故で一瞬のうちに失われてしまったことを、当時のニュースをみても信じられなかった。

「サンデー九」という筋金入りの硬派番組が無くなってから、それに代わる福祉関係番組はいまだに制作されていない。25年前の8月12日に、我々が失ったものは、九ちゃんを含む尊い520人の命であると同時に、道内の人々に福祉活動を啓蒙する素晴らしい番組も同時に失ってしまったのである。

むごいことだが、坂本九さんの遺体は、墜落の衝撃で四肢・頭部が断裂し所在不明。ただ胴体のみが身に付けていたペンダント(これも胴体に突き刺さっていたそうです・・・)によって奥様に本人であると確認されたそうである。だから坂本九さんの墓地に眠る遺骨は、胴体の遺骨のみである・・・。

だから僕は自分の誕生日は、同時に坂本氏を悼む日でもあると思っている。

道内の福祉関係者も決して坂本氏のことを忘れないでほしいと思う。彼を知らない人にも彼のことを伝えてほしいと思う。

そして、いつか北海道のテレビ局から、あの「サンデー九」のような番組がまた生まれてほしいと思う。

そんな番組が作れるのは、現在ではUHBのMディレクターだけではないかと、僕はひそかに思っているのである。

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