全国の色々な場所で、色々なテーマでお話をさせていただく機会がある。

当然、そこで僕の話を聞いてくださる方々がいるわけであるが、それらの方々がすべて僕と同意見であることはあり得ない。

講演などでは受講者の8割程度の方から賛同の意見や共感の声をお寄せいただき、肯定的な評価が多いが、残り2割程度の方は意見を寄せていただけないか、否定的な意見である。

しかしそれはそれで良いことだ。

講演等は洗脳の場ではないので、自分の考えと違った意見について安易に迎合すべきではないし、違う立場から福祉援助の場での実践を試みたって良いもので、逆に反発心や、抵抗感が現場のエネルギーになれば、それもよいことだろうと思う。むしろ講演者の意見に左右されない骨太の理論を持っている人は頼りがいがあると思っている。福祉援助や介護サービスの方法論は一つではないので、大事な根っこの部分が間違っていない限り、様々な考え方があったって良いのである。

ただし、僕の講演内容について「理想論である」と否定する人がいることは心外である。そのことだけは「的外れな指摘」であるとはっきり言っておきたい。そしてその意見に対しては、きちんと反論しておこうと思う。僕のお話しすることは決して「理想論」ではないからである。

なぜなら僕が様々なテーマで語る内容は、例えば看取り介護であっても、認知症ケアであっても、ケアマネジメントであっても、介護支援の方法論であっても、すべて僕と僕の施設の職員が、僕の施設内で実践している事実を基にしているもので、それは僕らにとって、まさに特養やデイサービスや地域で行っていることであり、行おうと現に取り組んでいることであり、その中で職員と共に日々考えながら実践したり、目指したりしている「現実」そのものであるからだ。

逆に言えば、せっかく講演をお願いされても自分の施設や事業所で実践していない事柄に関するテーマである場合は、お話しする根拠がないということでお断りせざるを得ない。それこそ理屈や理念だけならお話しできるかもしれないが、実践という形で経験していないことは失敗するか、成功するかも不明で、それは空虚な理屈にしかならないからである。先日も「リスクマネジメント」についての講演依頼があったが、そのテーマに関して言えば、僕の施設がリスクマネジメントが優れているわけでもないし、転倒事故防止には日々悩んでいる現状で、このことに的確な答えが出せないでいる僕自身がそれを語ることは適当ではないと考え、他にふさわしい人がいるだろうということでお断りしている。僕自身ができること、現にしていること、そのことによって現場が少しでも良い方向に変わる可能性があることしかお話しできないのである。

よって僕が実際に講演で語っていることに対して「理想論」という評価ほど的外れな指摘はないと思っている。

理想でしかなく、実践できない、実践していないことは僕の講演内容には存在していない。看取り介護講演で語っている内容は、すべて僕の施設で看取った方々から教えられたものであり、その実践の中から見つけていった方法論だし、認知症のケアの方法論も、教科書の中からは決して生まれない僕の施設の実践から見つけてきたものだ。

最近お話ししている「介護支援者に求められる資質」に関するテーマで「現場の常識を変えよう」という内容で話をしていることも、すべて机上の空論ではなく、我々が施設サービスの中で変えようとしていること、行っている取組みに基づいて話をしているのである。

そのことを理想論であると批判する人々に言いたいことがある。なぜにそれを理想論と考えるのかと推測した時、そのような批判を行う人々は、現に我々が取り組んでいることを現実と考えられない=自分たちで出来ない方法(あるいはサービス)と考えているのではないのだろうか?

そうであるなら、それらの人々の現実とは何と貧困なサービスを基盤とした現実なのだろう。

僕の話を理想としか感じられない人々の現実の貧困さをまず変えなければ、介護サービスの質はいつまでも前時代的なままで変わっていかないだろう。

実践に基づいた提言に対して、それを理想論と批判をする人々は、まず自分の周囲の現実が第3者から見て首を傾げる状況ではないのか確認する方が良いだろうと思う。

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