昭和20年8月9日午前11:02、広島に続き2発目の原爆が長崎に落とされた。
その日からちょうど今日は65回目の「長崎原爆の日」である。あの時生まれた子供が、ちょうど老人福祉法の適用年齢になる年でもある。
真夏の甲子園ではこの日、長崎代表の「長崎日大」が北海道代表の「北照」と対戦する。遠く長崎の空に向かって黙とうをささげた後の第3試合である。長崎日大の選手や関係者の方の縁者にも被爆者の方はたくさんおられるだろう。遠く甲子園から広島、そして長崎に続く空を見上げて彼らはなにを思うのだろうか・・・。
人類が人類に対して犯した最も愚劣な行為は原爆投下以外にない。それは本来人として許されるべきではない最大の罪である。にもかかわらず、原爆投下を戦争の早期終結のために仕方のなかったことだと正当化する人々が存在することも事実だ。それらの人々は、広島や長崎で被爆して皮膚が焼けただれ、ケロイドになりながら苦しみ、もがいて、水を求めながら死んで行った人々に対してさえも謝罪が必要ないという。
人間として獣とは違う心とは何なのかをそれらの人々に問いかけたい。
広島原爆の日の式典で、核のない世界を訴えたこの国のリーダーは、その舌の根も乾かないその日に、核の傘下に入ることが抑止力であると、核の存在を肯定する発言をしている。
政治家として、祖国防衛のビジョンを持つ中で、様々な考えを持ってよいだろうとは思うが、あえてその日に、広島の空の下、焼けただれて死んでいったたくさんの魂の下で、あえて発言する必要があることなのか大いに疑問である。彼のいう「最少不幸社会」とは、人の「こころ」に配慮しなくてもよい社会なんだろうか?今日の長崎の式典にどんなつらの皮をさげて臨むというのだろうか?
プロ野球の東映(現・日ハム)〜巨人〜ロッテで活躍し、3000本安打の記録を残し「安打製造機」と呼ばれ、「世界の王、アジアの張本」と並び称せられた張本 勲氏(70)は、被爆者手帳を所持する被爆者である。
彼は広島で爆心地にほど近い自宅で被爆したが、幸い自宅付近が山の陰にあたっていた為、爆風を山が遮り、命を失わずに済んだ。しかしその山で勤労奉仕していた、彼の姉は爆風をもろに浴び、皮膚が焼けただれケロイド化し、その日一晩中「熱い、痛い、苦しい」と言い続け亡くなったそうである。
張本氏はいう「自慢の姉だったんです。色が白くてすらっとして、優しくてね。」「それが焼けただれて、これが自分の姉とは思えないほど、ひどい姿に変わってました。」「被爆者にとって戦争は終わってないんですよ。」
僕らは戦争を知らない世代であり、子供のころから小さな田舎町でなに不自由なく育ててもらい、戦争の悲惨さも、苦しさも、つらさも、実感としては持つことができないかもしれない。僕らが戦争の悲惨さを語っても、それは結局空虚なものなのかもしれない。
しかし65年前のあの日、8/6と8/9の広島と長崎で、死んでいったたくさんの人々がいることを、全身の皮膚が焼けただれ「痛い、熱い」と苦しみ抜いた人々のことを、水を求めてどぶ川に沈んでいったたくさんの人々のことを、一瞬のうちに炭化してこの世から消えていった人々のことを決して忘れてはならない、と思う。
人類が二度と犯してはいけない罪を繰り返さないように、そのことを日本人として語り継いでいかねばならない。そして核のない世界を作るために一人ひとりが何かをし続けなければならない。
しかし、今日この日は、ただただ、広島、そして長崎の空に向かって深い祈りを捧げ、原爆投下によって失われたたくさんの魂に対して頭をたれて、見知らぬそれらの人々に思いを寄せる日である。
繰り返さないで、・・・・と。
(関連記事:広島の空・長崎の空。 続広島の空・長崎の空。)
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その日からちょうど今日は65回目の「長崎原爆の日」である。あの時生まれた子供が、ちょうど老人福祉法の適用年齢になる年でもある。
真夏の甲子園ではこの日、長崎代表の「長崎日大」が北海道代表の「北照」と対戦する。遠く長崎の空に向かって黙とうをささげた後の第3試合である。長崎日大の選手や関係者の方の縁者にも被爆者の方はたくさんおられるだろう。遠く甲子園から広島、そして長崎に続く空を見上げて彼らはなにを思うのだろうか・・・。
人類が人類に対して犯した最も愚劣な行為は原爆投下以外にない。それは本来人として許されるべきではない最大の罪である。にもかかわらず、原爆投下を戦争の早期終結のために仕方のなかったことだと正当化する人々が存在することも事実だ。それらの人々は、広島や長崎で被爆して皮膚が焼けただれ、ケロイドになりながら苦しみ、もがいて、水を求めながら死んで行った人々に対してさえも謝罪が必要ないという。
人間として獣とは違う心とは何なのかをそれらの人々に問いかけたい。
広島原爆の日の式典で、核のない世界を訴えたこの国のリーダーは、その舌の根も乾かないその日に、核の傘下に入ることが抑止力であると、核の存在を肯定する発言をしている。
政治家として、祖国防衛のビジョンを持つ中で、様々な考えを持ってよいだろうとは思うが、あえてその日に、広島の空の下、焼けただれて死んでいったたくさんの魂の下で、あえて発言する必要があることなのか大いに疑問である。彼のいう「最少不幸社会」とは、人の「こころ」に配慮しなくてもよい社会なんだろうか?今日の長崎の式典にどんなつらの皮をさげて臨むというのだろうか?
プロ野球の東映(現・日ハム)〜巨人〜ロッテで活躍し、3000本安打の記録を残し「安打製造機」と呼ばれ、「世界の王、アジアの張本」と並び称せられた張本 勲氏(70)は、被爆者手帳を所持する被爆者である。
彼は広島で爆心地にほど近い自宅で被爆したが、幸い自宅付近が山の陰にあたっていた為、爆風を山が遮り、命を失わずに済んだ。しかしその山で勤労奉仕していた、彼の姉は爆風をもろに浴び、皮膚が焼けただれケロイド化し、その日一晩中「熱い、痛い、苦しい」と言い続け亡くなったそうである。
張本氏はいう「自慢の姉だったんです。色が白くてすらっとして、優しくてね。」「それが焼けただれて、これが自分の姉とは思えないほど、ひどい姿に変わってました。」「被爆者にとって戦争は終わってないんですよ。」
僕らは戦争を知らない世代であり、子供のころから小さな田舎町でなに不自由なく育ててもらい、戦争の悲惨さも、苦しさも、つらさも、実感としては持つことができないかもしれない。僕らが戦争の悲惨さを語っても、それは結局空虚なものなのかもしれない。
しかし65年前のあの日、8/6と8/9の広島と長崎で、死んでいったたくさんの人々がいることを、全身の皮膚が焼けただれ「痛い、熱い」と苦しみ抜いた人々のことを、水を求めてどぶ川に沈んでいったたくさんの人々のことを、一瞬のうちに炭化してこの世から消えていった人々のことを決して忘れてはならない、と思う。
人類が二度と犯してはいけない罪を繰り返さないように、そのことを日本人として語り継いでいかねばならない。そして核のない世界を作るために一人ひとりが何かをし続けなければならない。
しかし、今日この日は、ただただ、広島、そして長崎の空に向かって深い祈りを捧げ、原爆投下によって失われたたくさんの魂に対して頭をたれて、見知らぬそれらの人々に思いを寄せる日である。
繰り返さないで、・・・・と。
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