平成22年度介護給付費実態調査(3月審査分)によると区分支給限度額の平均利用率は次の通りとなっている。

(状態区分)→(支給限度額)→(受給者一人当たりの費用額)→(支給限度額に占める割合)
1.(要支援1)→( 4.970単位)→( 2.337単位)→(47.0%)
2.(要支援2)→(10.400単位)→( 4.142単位)→(39.8%)
3.(要介護1)→(16.580単位)→( 6.648単位)→(40.1%)
4.(要介護2)→(19.480単位)→( 9.059単位)→(46.5%)
5.(要介護3)→(26.750単位)→(13.255単位)→(49.5%)
6.(要介護4)→(30.600単位)→(16.527単位)→(54.0%)
7.(要介護5)→(35.830単位)→(20.084単位)→(56.1%)

以上である。これをみると、区分支給限度額はサービスを使う上限という尺度としては、あまり機能していないということになる。

むしろサービス利用は、支給限度額上限とは関係のない尺度で決定されているということになり、そういう意味ではケアマネジメントがきちんと機能してサービス利用されているという解釈も成り立つもので、先に出された地域包括ケア研究会報告書が「アセスメントやケアカンファレンスが十分に行われておらず、介護支援専門員によるケアマネジメントが十分に効果を発揮していないのではないかとの指摘がある。」と報告していることには根拠がない「いいがかりである」という証明となり得るかもしれない。

特に一人当たりの費用は、要介護状態区分が高くなるほど確実に上がっている点をみると、状態像に合わせたケアサービスが提供されている証拠とも言える。但し、要介護状態区分4または5の方の状態像を鑑みたとき、これらの人々は寝返りや食事摂取も自力で出来ない方がほとんどであることを考えると、かなりのインフォーマル支援が、保険給付サービスが対応しない部分を補っており、そのことが区分支給限度額の6割にも満たない利用額平均に反映していると言える。

つまり、この調査をインフォーマル支援がない独居高齢者に絞って行えば、かなりその数値には違いが出てくることが予測できる。

例えば高齢者専用住宅で、外部サービスを利用しながら独居で生活するケースを想定すれば、要介護4あるいは5の方は、支給限度額を目いっぱい使ってサービスを受けても、ぎりぎりであるか、まだ足りないことが考えられ、高齢者専用住宅に入居しているこれらの方々が支給限度額いっぱいのサービスを使いきっている現状は、必ずしも事業者のサービス供給過多、ケアマネジメントに基づかない不必要サービスと言い切ることは出来ない。

そもそも支給限度額は想定される状態像に合わせたサービス上限目安を示しているもので、状態像が似通った人々が特定の住居で生活しているのであれば、同じようなサービスが必要というのは論理としては間違っておらず、要介護状態区分の高い人が複数上限いっぱいのサービスを使っていること自体を否定することは出来ない。要は客観的評価がきちんと定期的に出来ているかが問題であろう。

であれば現行の支給限度額は、本当にサービスを必要とする人に対する、そのサービスを抑制する意味しかなく、逆に考えればそれは必要なサービスを経済的理由から受けることができない弊害に繋がっているデメリットの方が大きいのではないかといえる。

そう考えると支給限度額は必要なく、支給限度額を定めた要介護状態区分も必要ないという論理にも繋がってくる。それはケアマネジメントによってサービス提供の内容がすべて決まったとしても、現行のサービス利用状況が支給限度額の6割にも満たない状況から考えれば、それによって不必要なサービスが大幅に増えるなんて言うことにはならないという考え方である。

そういう意味では制度改正論の中で「認知症の人と家族の会」が要介護認定廃止の提言を行っていることは、あながち荒唐無稽の意見とも言えない。

ただこの場合、施設サービスや、通所介護、通所リハビリ、居宅介護支援などのように、要介護状態区分に応じたサービス単価で提供しているサービスの単価基準をどこに求めるか、どのような方法で平均値を定めるかは難しいところで、逆にこれらのサービスで要介護状態区分がなくなり、単価が均一化してしまえば、結果的に手がかからない元気な高齢者を優先的に受け入れ、認知症や重度の身体障害がある方の利用が難しくなるという可能性があり、ここは対策が別に必要だ。

どちらにしても支給限度額がないと不適切で不必要なサービスが増えて困るという論理によって、これをなくさないのは、支給限度額内で対応できない重度の要介護高齢者の問題を考えた時に、あまり説得力のある理屈にはならないと思う。

例えば地域包括支援センターの主任介護支援専門員とは、本来地域のケアマネジメントの質担保の取り組みが主たる役割としてあるんだから、そろそろ地域包括支援センターは予防プラン作成に全職員が駆けずり回る状況をやめて、主任介護支援専門員も「知識や技術」がなくても研修受講さえすれば「なれる」という状況もやめて、配置義務のある主任介護支援専門員のスキルを担保する一定の資格・資質審査を設けた上で、実際に主任介護支援専門員が地域の各サービス事業所のケアプランチェックを定期的に行い、評価することにすれば、支給限度額など必要なくなるんではないか。

そしてその先に介護認定がいらない、という結果になれば、認定に係る莫大な費用や、認定ソフトを変えるためだけに定期的に浪費される国費も必要なくなり、財源論から考えてもメリットがあるのではないだろうか。

※本日の記事内容と関係のないことを本日の記事の末尾に書かせてもらうが、今日8月6日は広島・原爆の日だ。そして8月9日は長崎・原爆の日を迎える。この両日は我々日本人が決して忘れてはならない「祈りの日」である。人類でこれほど凶悪で凶暴な兵器被害を受けた国の民として、人類が犯した最大の暴挙と不幸を、未来永劫伝えていかねばならない。

原爆の詩2編
この川に逃げて死にたる友らなり水きらめくは友らの眼(まなこ)

水を乞ひわが足首を掴みし手 その橋わたる足首熱く

浅田石二 作詞「原爆許すまじ」はこちらをクリック。

合掌。

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