本日当施設は午前中から介護保険法の介護老人福祉施設の実地指導と、老人福祉法の社会福祉法人定期監査(悪いことをしているわけではなく老人福祉法上は監査である)の真っ最中である。(表の掲示板の実況中継でご存じの方も多いだろう。)
今、昼休み休憩に入ったところなので、いつものようにブログ記事を更新しようと思うが、あまり堅い話題を書くと、実地指導の内容に及んでしまって午後からの協議に支障を来しても困るので(行政批判に関連する記事になってもまずいしな。)、全く別の軽い話題にしたい。今日の報告などに関連する記事は、後日改めて書くとしよう。
左の画像は、平成2年5月25日に撮影したもので、岩手県盛岡市で行われた第12回東日本軟式野球選手権(一部)で全国制覇した際の記念写真である。右端で優勝旗を持っているのが、当時チーム(三愛病院クラブ)の主将で29歳の頃の僕である。
ドラえもんの「のびた」のようなでかい黒ぶちの眼鏡が笑えるが(画像をクリックすると拡大するので、そうしてみるとよくわかります)、当時はヤクルトの古田も同じような眼鏡をかけていたし、きっと流行りだったのだろう。この時、胸に掛けているメダルは、僕らが数々の大会で優勝してもらったメダルの中でも、特別思い入れが深いものだし、大切なものであり、大事にしまっている・・・と思って、どこにあるだろうかと探してみたが・・・ない!!
まあ物より、記憶の方が大事だからあきらめよう。
ちなみに右の写真も、この年の高松宮杯全道大会期間中のヒトコマであるが、このように野球をやっていた当時は、義務免除で休みをいただいて全道・全国を野球をするためだけに飛び回っていたのである。しかし大会期間中でも、こんなふうに飲んだり遊んだりしながら息抜きをしており、野球漬けではなかった。この写真の右から3人目が僕だが、それにしても若いし、顔も細いよなあ〜。
ところで、全国優勝のメダルを探しているときに出てきたのが、こちらの画像のメダル2個である。一つは軟式野球の最高峰である天皇賜杯軟式野球大会で全道優勝した際のメダルで、この時の全国大会は宮崎県都城市で行われ、僕らは開幕試合で今は亡き高円宮殿下の観戦試合にあたり、厳重な警備の下(ベンチにもSPが張り付いていました)地元宮崎県の代表チームと戦い、見事5-0で勝利した。その後、2回戦で香川県代表チームに4-3で惜敗、その時の相手投手は、あの池田高校野球部の出身だった。メダル一つで、こういう記憶がよみがえってくる。懐かしいなあ。
さてもう一つのメダルは、チームで獲得したものではなく、僕が唯一持っている個人賞のMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した時のメダルである。受賞した大会は、非常にローカルであるが、北海道新聞社旗争奪「たそがれ野球大会」という大会で、その冠のごとく、多くの企業の仕事が終わる後の午後5時30分からプレーボールされる大会で、夕闇でボールが見えなくなる場合は、その時点で終了となる。ただ夏は午後7時半くらいまでは明るいので、規定の7回終了まで試合ができることが多い。僕らは、仕事が終わってからでは間に合わないので、この大会に出場するために、午後4時30分以降は就業義務免除されていた。
そもそも軟式野球はボールが硬式より飛ばないこともあって、投手戦が多くなる傾向が強く、自然と個人賞も投手から選ばれやすいから、野手で、しかもたいした優秀なプレーヤーでもない僕が個人賞をとること自体が奇跡的である。しかも、その時のMVP獲得には、ちょっとした裏話があるのだ。そのことを記事にしよう。
たそがれ野球と馬鹿にする人がいるかもしれないが、この地域はノンプロの強いチームが多く、都市対抗野球で全国制覇した大昭和製紙(当時:白老町;現在は日本製紙)や新日鉄室蘭等で活躍した往年の名プレーヤーが軟式野球に下りてきているので、結構レベルが高い。
この時の決勝も、新日鉄SMEXというチームとの対戦で、相手のバッテリーは、鈴木投手・岡田捕手という、前年まで都市対抗野球でクリーンアップを打っていた選手である。ちなみに鈴木選手は、過去に野手として近鉄バッファローズのドラフト指名を受けたことがある。
試合は投手戦となり0対0で最終回まで進んだ。スコアは互角だが、鈴木投手の速球に僕らのチームは手こずって、チャンスも作れず押され気味であった。
最終回の表の攻撃、ツーアウトから、四球で待望のランナーが出て、僕に打順が回ってきた。ところが、ここで我がチームの監督はギャンブルに出ようとした。カウント1-1から盗塁のサインが出たのである。これが何故ギャンブルかというと、相手投手はモーションも早い速球投手で、しかも捕手は、この地区でも有名な鉄砲肩の岡田捕手である。盗塁の成功する確率は非常に低いと言わざるを得ない。
ただ監督にすれば、ここでヒットが出ても長打でない限り得点にはならないし、ましてや投手の出来をみると、連打が続く期待も持てないので、ギャンブルでスコアリングポジションまでランナーを進めて、1本のヒットで得点する場面を作ろうというわけである。
しかしサインをみた僕は考えた。「絶対無理だって。盗塁アウトに決まっている!」って。そしたらその時点で攻撃終了、僕の打席は回って来ない(延長なしで、この回が最終回。同点の場合は、両者優勝というルールだった。)。それはいかんとも受け入れ難い選択肢であった。
当時僕はチームの主将であったし、チームプレーの大切さは人一倍分かっていたし、監督のサインは絶対であると考えて無視することなどなかったが、この時ばかりは、グランドで実際にプレーしていない監督がゲームの臭いを嗅ぎ取っていないと憤った。
で、どうしたかというと、ここはわがままを通そうと決断し(たそがれ野球というローカルな大会だからできたことではあるが)、盗塁のサインを無視し、ともかく来た球に手を出そうと決めた。もし空振りであっても、盗塁死なら、その時点で打席はなくなるので、ともかくファールでも当てるのが絶対条件であると思った。そして変化球はカットするつもりで、速球に的を絞って待っていた。
相手バッテリーも当然、盗塁があり得ると速球勝負をしてくるだろうし、捕手が投げやすい外角球を投げてくるだろうと思って、思い切り踏み込んでバットを出そうと思った。
そうしたら、おあつらえ向きに外角高めの「真直ぐ」が来た!!ともかくバットを振ろう、当てようと思って、踏み込んでいる僕にとって外角球は真ん中と同じである。見逃せばおそらくボールの高めのコースだが、そんなの関係ない。「シャアー」というばかりにバットを一閃すると、真芯でボールを捉え、右中間を深々と破るスリーベースヒットになって一塁ランナーは長駆ホームイン。これが決勝点となった。
しかしこの場合のスリーベースヒットはちょっとまずい。何しろサインを出した監督は、三塁コーチャーボックスに立っているのだ。塩梅悪いというわけである。案の定唖然と僕の方を見ながら、次の瞬間苦笑いしながら「しゃあないナア」と一言吐き捨てられた。
しかし決勝点は決勝点であり、この裏の攻撃を抑え、見事この大会を制した。MVPはピッチャーかなと思っていたが、決勝タイムリーがよほど印象的だったのか(勿論サイン破りとは誰も知らない)僕がそれに選ばれた。こうなれば後から監督もあまり嫌味が言えないというわけである。
しかしである。やっぱり野球は個人スポーツではないので、監督の指示を無視するのはいかんと反省している。皆さんも職場の上司の指示を無視した個人プレーはいかんぞ。
職場でも施設長の指示を無視してはいけないのである。しかし・・・説得力はないか・・・。
さあそれでは午後の実地指導と監査に臨みますか。今日は午後6時から、登別市地域福祉実践計画推進委員会があるから、パパパッと終わらせちゃいましょう。表の掲示板の実況中継で進行具合を確認していてください。
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今、昼休み休憩に入ったところなので、いつものようにブログ記事を更新しようと思うが、あまり堅い話題を書くと、実地指導の内容に及んでしまって午後からの協議に支障を来しても困るので(行政批判に関連する記事になってもまずいしな。)、全く別の軽い話題にしたい。今日の報告などに関連する記事は、後日改めて書くとしよう。

ドラえもんの「のびた」のようなでかい黒ぶちの眼鏡が笑えるが(画像をクリックすると拡大するので、そうしてみるとよくわかります)、当時はヤクルトの古田も同じような眼鏡をかけていたし、きっと流行りだったのだろう。この時、胸に掛けているメダルは、僕らが数々の大会で優勝してもらったメダルの中でも、特別思い入れが深いものだし、大切なものであり、大事にしまっている・・・と思って、どこにあるだろうかと探してみたが・・・ない!!
まあ物より、記憶の方が大事だからあきらめよう。



そもそも軟式野球はボールが硬式より飛ばないこともあって、投手戦が多くなる傾向が強く、自然と個人賞も投手から選ばれやすいから、野手で、しかもたいした優秀なプレーヤーでもない僕が個人賞をとること自体が奇跡的である。しかも、その時のMVP獲得には、ちょっとした裏話があるのだ。そのことを記事にしよう。
たそがれ野球と馬鹿にする人がいるかもしれないが、この地域はノンプロの強いチームが多く、都市対抗野球で全国制覇した大昭和製紙(当時:白老町;現在は日本製紙)や新日鉄室蘭等で活躍した往年の名プレーヤーが軟式野球に下りてきているので、結構レベルが高い。
この時の決勝も、新日鉄SMEXというチームとの対戦で、相手のバッテリーは、鈴木投手・岡田捕手という、前年まで都市対抗野球でクリーンアップを打っていた選手である。ちなみに鈴木選手は、過去に野手として近鉄バッファローズのドラフト指名を受けたことがある。
試合は投手戦となり0対0で最終回まで進んだ。スコアは互角だが、鈴木投手の速球に僕らのチームは手こずって、チャンスも作れず押され気味であった。
最終回の表の攻撃、ツーアウトから、四球で待望のランナーが出て、僕に打順が回ってきた。ところが、ここで我がチームの監督はギャンブルに出ようとした。カウント1-1から盗塁のサインが出たのである。これが何故ギャンブルかというと、相手投手はモーションも早い速球投手で、しかも捕手は、この地区でも有名な鉄砲肩の岡田捕手である。盗塁の成功する確率は非常に低いと言わざるを得ない。
ただ監督にすれば、ここでヒットが出ても長打でない限り得点にはならないし、ましてや投手の出来をみると、連打が続く期待も持てないので、ギャンブルでスコアリングポジションまでランナーを進めて、1本のヒットで得点する場面を作ろうというわけである。
しかしサインをみた僕は考えた。「絶対無理だって。盗塁アウトに決まっている!」って。そしたらその時点で攻撃終了、僕の打席は回って来ない(延長なしで、この回が最終回。同点の場合は、両者優勝というルールだった。)。それはいかんとも受け入れ難い選択肢であった。
当時僕はチームの主将であったし、チームプレーの大切さは人一倍分かっていたし、監督のサインは絶対であると考えて無視することなどなかったが、この時ばかりは、グランドで実際にプレーしていない監督がゲームの臭いを嗅ぎ取っていないと憤った。
で、どうしたかというと、ここはわがままを通そうと決断し(たそがれ野球というローカルな大会だからできたことではあるが)、盗塁のサインを無視し、ともかく来た球に手を出そうと決めた。もし空振りであっても、盗塁死なら、その時点で打席はなくなるので、ともかくファールでも当てるのが絶対条件であると思った。そして変化球はカットするつもりで、速球に的を絞って待っていた。
相手バッテリーも当然、盗塁があり得ると速球勝負をしてくるだろうし、捕手が投げやすい外角球を投げてくるだろうと思って、思い切り踏み込んでバットを出そうと思った。
そうしたら、おあつらえ向きに外角高めの「真直ぐ」が来た!!ともかくバットを振ろう、当てようと思って、踏み込んでいる僕にとって外角球は真ん中と同じである。見逃せばおそらくボールの高めのコースだが、そんなの関係ない。「シャアー」というばかりにバットを一閃すると、真芯でボールを捉え、右中間を深々と破るスリーベースヒットになって一塁ランナーは長駆ホームイン。これが決勝点となった。
しかしこの場合のスリーベースヒットはちょっとまずい。何しろサインを出した監督は、三塁コーチャーボックスに立っているのだ。塩梅悪いというわけである。案の定唖然と僕の方を見ながら、次の瞬間苦笑いしながら「しゃあないナア」と一言吐き捨てられた。
しかし決勝点は決勝点であり、この裏の攻撃を抑え、見事この大会を制した。MVPはピッチャーかなと思っていたが、決勝タイムリーがよほど印象的だったのか(勿論サイン破りとは誰も知らない)僕がそれに選ばれた。こうなれば後から監督もあまり嫌味が言えないというわけである。
しかしである。やっぱり野球は個人スポーツではないので、監督の指示を無視するのはいかんと反省している。皆さんも職場の上司の指示を無視した個人プレーはいかんぞ。
職場でも施設長の指示を無視してはいけないのである。しかし・・・説得力はないか・・・。
さあそれでは午後の実地指導と監査に臨みますか。今日は午後6時から、登別市地域福祉実践計画推進委員会があるから、パパパッと終わらせちゃいましょう。表の掲示板の実況中継で進行具合を確認していてください。
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僕は職場で構成するソフトボールチームの監督をしていますが、サイン無視なんてしょっちゅうですよ(笑)
いよいよ夏の高校野球が始まりますね。
え〜っと、北北海道代表が【旭川実】、甲子園では結構耳にする高校ですね。
それで南北海道代表は、、、【北照】こちらも聞いた事はありますが、選抜かな?
我が福岡代表は久しぶりに南部、しかも地元八女地区から西日本短大が出場します。
そぅ平成4年に全国制覇しています。
決勝戦は公休を振り替えて北九州市民球場まで、足を運んで応援しました。
(勤務変更の理由は業務の都合により)でした。
あまり速い段階で北海道代表と九州勢が当たらないように祈っております。