世間では学生たちが既に夏休みに入っていたり、もうすぐ入ろうとする季節である。
僕の長男は大学3年生だが、この夏休み期間は実習のため、プライベートな時間はほとんどとれない。幸い実習先が実家近くの公的機関であるため、実家に帰省して通えるのが親にとっても安心だし、嬉しいことではある。
大学生の実習は、自分の専門研究の糧になるものであるし、大学で培った知識を実地の場で確認して自分なりの技術を磨く場であるので、人生のこの貴重な一時期に、そうした体験を持てることに喜びを感じてほしい。
遊びや、休養の時間は人生の中で、これからいつでも取ることができるが、学生という身分で、誰かを指導教官として現場で学ぶという機会は2度とないのだ。それは実際に職業に就いた後のOJTなどと全く異なる「実習機会」であり、未熟であっても社会人である場合には間違うことができないこともあるが、学生実習であるがゆえに許容されることもあるだろうし、自分の職業に対する「向き、不向き」も自分自身で確認できる機会なのだから、できるだけ大事に真剣に相対してほしい。しかし彼について言えば、親が言わなくても本人は分かっているようである。
ところで最近の福祉系の大学では、3年時または最終学年の夏休みや冬休み、あるいは春休みを使って、社会福祉士受験対策集中セミナーなどを企画して実施しているところがあるらしい。大学によっては、新卒者の社会福祉士国家試験合格率の高さを「売り」にしているところもあると聞く。
正直って馬鹿げていると思うし、そんな大学などなくしてしまえと思う。
大学とは、単なる最高学府というにとどまらず、学術研究の場であって、その道の専門家、研究者を育てる場であり、それは特定の資格を取るだけのことを意味しない。
そもそもそうした特定の資格だけにターゲットを絞った集中セミナーを開催するのが大学という機関の役割だと考えている連中の頭の構造が分からない。社会福祉士の資格を取るためなら専門学校でも行った方がましだろう。そんなことだから豊かな学識やユニークなアイディアを持った専門家が育たなくなりつつあるのだ。
社会福祉の勉強を4年間という期間を費やし学んでいる人間であれば、社会福祉士の資格試験など過去問を少し解きながら、日ごろの知識を積み重ねるだけで落ちる方が難しい、というレベルの試験だろうと(個人的には)思っている。それなのに新卒者の合格率が低いのは、最高学府としての大学の教育方法と、学術研究を学生に促す姿勢が問われているという問題で、集中セミナーや集中講義で詰め込み学習して、知恵にならない知識をまる暗記させ合格率を高めても、専門研究機関としての矜持は保たれない。
資格取得に血眼になって集中セミナーを受けなければならないレベルの低い学生と、その受講を促す頭のいかれた大学教授。こうした学生や大学教授が少子化で学生の減っている時代に、逆に大量生産されている現状が、この国の教育レベルの衰退に繋がっている。それはとりもなおさず、福祉マンパワーのスキル低下に繋がっているといっても過言でないだろう。
特に福祉援助の現場では、コミュニケーションツールとしての言葉や文章は重要なのに、大学を卒業したのに、まともな表現力がなかったり、論文の一つも書けない人間が実に多い。
人間としての表現力は、特定の資格を取ることによっても、集中セミナーで知識を詰め込まれても獲得できるものではない。
だから大学生の長期の休み期間は、実習を行う以外に、人生経験としてのアルバイトや、遊びや、様々な人間関係を通して人間自体を学んでいく貴重な時間であると同時に、自分の研究対象を様々なものから探すことができる貴重な時間でもある。
卒論のテーマに沿った素材を探すために、地方の名もなき図書館で文献を探したり、わずかな時給を得るために、どれだけ大変さがあるかを知るために働いたり、輝く太陽の時間を感じるために寝る間さえ惜しんで遊びまわったり、それが大事なのである。夏休みや冬休みはそのためにあるものだ。
そんな時間を社会福祉士試験合格セミナーに使う方も、使わせる企画をするほうもどうかしている。
大学よ、そこの教授連中よ、単なる国家資格合格者を生産するんではなく、研究者として優れたセンスを持つ若者を育てよ。それが君たちの役割だということを忘れないでほしい。
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僕の長男は大学3年生だが、この夏休み期間は実習のため、プライベートな時間はほとんどとれない。幸い実習先が実家近くの公的機関であるため、実家に帰省して通えるのが親にとっても安心だし、嬉しいことではある。
大学生の実習は、自分の専門研究の糧になるものであるし、大学で培った知識を実地の場で確認して自分なりの技術を磨く場であるので、人生のこの貴重な一時期に、そうした体験を持てることに喜びを感じてほしい。
遊びや、休養の時間は人生の中で、これからいつでも取ることができるが、学生という身分で、誰かを指導教官として現場で学ぶという機会は2度とないのだ。それは実際に職業に就いた後のOJTなどと全く異なる「実習機会」であり、未熟であっても社会人である場合には間違うことができないこともあるが、学生実習であるがゆえに許容されることもあるだろうし、自分の職業に対する「向き、不向き」も自分自身で確認できる機会なのだから、できるだけ大事に真剣に相対してほしい。しかし彼について言えば、親が言わなくても本人は分かっているようである。
ところで最近の福祉系の大学では、3年時または最終学年の夏休みや冬休み、あるいは春休みを使って、社会福祉士受験対策集中セミナーなどを企画して実施しているところがあるらしい。大学によっては、新卒者の社会福祉士国家試験合格率の高さを「売り」にしているところもあると聞く。
正直って馬鹿げていると思うし、そんな大学などなくしてしまえと思う。
大学とは、単なる最高学府というにとどまらず、学術研究の場であって、その道の専門家、研究者を育てる場であり、それは特定の資格を取るだけのことを意味しない。
そもそもそうした特定の資格だけにターゲットを絞った集中セミナーを開催するのが大学という機関の役割だと考えている連中の頭の構造が分からない。社会福祉士の資格を取るためなら専門学校でも行った方がましだろう。そんなことだから豊かな学識やユニークなアイディアを持った専門家が育たなくなりつつあるのだ。
社会福祉の勉強を4年間という期間を費やし学んでいる人間であれば、社会福祉士の資格試験など過去問を少し解きながら、日ごろの知識を積み重ねるだけで落ちる方が難しい、というレベルの試験だろうと(個人的には)思っている。それなのに新卒者の合格率が低いのは、最高学府としての大学の教育方法と、学術研究を学生に促す姿勢が問われているという問題で、集中セミナーや集中講義で詰め込み学習して、知恵にならない知識をまる暗記させ合格率を高めても、専門研究機関としての矜持は保たれない。
資格取得に血眼になって集中セミナーを受けなければならないレベルの低い学生と、その受講を促す頭のいかれた大学教授。こうした学生や大学教授が少子化で学生の減っている時代に、逆に大量生産されている現状が、この国の教育レベルの衰退に繋がっている。それはとりもなおさず、福祉マンパワーのスキル低下に繋がっているといっても過言でないだろう。
特に福祉援助の現場では、コミュニケーションツールとしての言葉や文章は重要なのに、大学を卒業したのに、まともな表現力がなかったり、論文の一つも書けない人間が実に多い。
人間としての表現力は、特定の資格を取ることによっても、集中セミナーで知識を詰め込まれても獲得できるものではない。
だから大学生の長期の休み期間は、実習を行う以外に、人生経験としてのアルバイトや、遊びや、様々な人間関係を通して人間自体を学んでいく貴重な時間であると同時に、自分の研究対象を様々なものから探すことができる貴重な時間でもある。
卒論のテーマに沿った素材を探すために、地方の名もなき図書館で文献を探したり、わずかな時給を得るために、どれだけ大変さがあるかを知るために働いたり、輝く太陽の時間を感じるために寝る間さえ惜しんで遊びまわったり、それが大事なのである。夏休みや冬休みはそのためにあるものだ。
そんな時間を社会福祉士試験合格セミナーに使う方も、使わせる企画をするほうもどうかしている。
大学よ、そこの教授連中よ、単なる国家資格合格者を生産するんではなく、研究者として優れたセンスを持つ若者を育てよ。それが君たちの役割だということを忘れないでほしい。
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役所による大学のシラバスへの介入は、大学の学問の自由を犯し、独創性をそぐ要因になります。もともと医学部ですら、旧制大学の制度には組み込まれず、医専として、大学の制度とは一線を画していました。看護、福祉等も同様に実用性を重んじる分野は、大学教育にはふさわしくはないと思います。
学問の対象として、社会福祉を社会科学等のディシプリンを用いて法則を明らかにすることはあり得ると思います。そうした場合、必然的に諸福祉士養成課程を大学は返上し、専門職養成学校にその役割を譲り渡すことになると思われます。
この記事を読み、スカッとしました。