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成澤さんのブログnarisawaメモの6/23「地域包括ケア研究会報告書に物申す」の記事で、彼が指摘しているように、「アセスメントやケアカンファレンスが十分に行われておらず、介護支援専門員によるケアマネジメントが十分に効果を発揮していないのではないかとの指摘がある。」というふうに根拠のないケアマネジメント批判が制度改正議論との絡みの中で再燃している。

この状況は18年改正議論と全く同じであるが、それよりさらに悪質な世論誘導が行われていることを関係者は知っているのだろうか?

6/21に行われた社会保障審議会介護保険部会の資料の中にそのことは載せられているが、同会そのものが介護保険制度改正(24年4月からの改正)の方向を「社会の在り方として、まず自分のことは自分でする。介護保険がその人を食べさせるわけではない。」(田中滋慶応義塾大学教授)として「介護の社会化」という制度創設時のキーワードを否定するところから入っているのだ。

この発言内容は現在まで一般には公開されていない。今後議事録が公開された際に載せられる保障もない。これは当日同会を傍聴した「とある関係筋の方」が、当日の質疑応答の内容をメモして僕に送ってくれた情報である。

それを読んで、ここでの発言を総合的に評価すれば、彼の展開する持論の根底にあるものは、いかに費用をかけないで制度を維持するかというもので、介護サービスの質も、人の暮らしも、建て前としては「向上させる」といいつつ、実際には、サービスを削り、暮らしの質の低下を自己責任論で放置し、金がないものはそれなりのレベルでしか生きるな、という給付抑制策でしかないのだ。

その内容を具体的に示すと、現在、長妻厚生労働大臣が推進発言をしている24時間365日の巡回型の介護・看護訪問によるサービスを地域の中心サービスにして、これを在宅生活維持の切り札とする「脱・施設化」を前面に示すと同時に、「介護保険に頼り過ぎてはいけない。自分のことは、まず自分でするのが当たり前」(同教授)という考え方により「介護保険は、本来保険事故に対して給付するもので、本来ならば予防介護と補足給付は介護保険ではない」・「(訪問介護の)生活支援は介護ではない。民間のサービス利用をすべきだ(保険給付せず自己負担で保険外サービス利用とすべきという意味だろう)」(同教授発言)とされている。

つまり龍谷大学の池田教授と同じように、介護保険制度は社会保険制度になったんだから、それは社会福祉ではなく、保険事故だけに対応するものだという主張である。だから予防介護サービスや訪問介護の生活援助は保険外とすべきだし、低所得者減免としての補足給付も行うべきではない、という主張だ。そして地域包括ケアシステムとは聞こえはよいが、その中で介護・看護のパッケージサービスを作り、包括的なサービス部分だけに生活援助などを残すという考え方である。長妻大臣も、山井政務官もこの辺の整理や理解ができて肯定的発言を続けているのか?

しかしこれはまやかしだ。もし2000年の介護保険創設時に、介護保険が保険事故だけを給付対象とする社会保険と変わるという意味であったとしたら、その時、時の政権政党は、この国の高齢者介護サービスは今後「社会福祉制度」から外し、社会保険制度としての意味だけしか残さずサービス展開しますと公にして、そのことが良いかどうかを問う政権選択選挙で国民の信を問わねばならなかったはずだ。一定領域から社会福祉制度をなくすということは、それだけ大きな社会問題なのである。

実際には、そんなことはされず、介護保険の導入も、社会福祉構造改革の中で、介護の社会化を旗印に、国民の権利を明確にしたうえで「社会保険方式」を取り入れた制度に変えた、というものである。それを今更、介護保険制度は、社会福祉制度ではないというような理屈は、ペテン師の理屈で、そうであるなら、介護保険審議会でこうした主張を展開する田中滋は今世紀最大の詐欺漢である。

しかし28日に経済同友会が「要支援1と2、要介護1のサービスを保険給付から外せ。利用者自己負担は現行の1割から2割に引き上げよ」という提言を行っているが、同時にその中で「公的介護サービスの提供は必要最低限にとどめ、それ以上のサービスは自己責任・自己負担で」と提言している点と重なり、こうした方向に流れてしまうことが一番怖い。そうなれば日本から高齢者福祉はなくなり、貧富の差は、高齢者の中でさらに拡大して、陽のあたらない場所で、最低限の生活でお迎えが来るまで苦しい息をし続けるだけの高齢者が増えていくだろう。そういう国家であってよいのか?

そもそも田中教授が提唱する「地域包括システム」とは、概ね30分以内の日常生活圏域(中学校区)で、医療・介護・福祉・生活支援を一体的かつ適切に相談・利用できる体制であるというが、それは都会の論理である。北海道の田舎でそんな範囲にサービスが包括化できるわけがない。都会と同じサービス資源を包括的に作ろうとすれば、小さな町単位でやっとという状況の地域がたくさん生まれる。過疎が進行する地域ならもっと大きな単位でしか実現できないことだ。それを全ての地域において概ね30分以内の日常生活圏域で実現しようとすれば、非効率費用の負担が現在より増え、地域保険者の財政はさらに悪化するだろう。

しかも彼の考えるシステムは、インフォーマル支援が皆無で実現する状況を想定しているとはとてもではないが思えない。欠陥だらけである。例えば認知症の一人暮らしの人を、このシステムで地域の中で支援できるかといえば、それは現実的には不可能だし、重度介護者もインフォーマル支援の比重がかなり重くなることが予測される。

そもそも在宅要介護者の施設入所ニーズは、必ずしも要介護4や5という状態でなくとも、90歳の要介護者を65歳の嫁が支え切れなくなって生じているケースや、70代の高齢者世帯で主介護者が限界に達しているという老老介護の問題がたくさんあるという視点が全く欠けている。巡回型サービスの限界を超える状況が今以上に生ずる社会の現実に目を向けていない。

彼が部会で主張した主な発言内容は以下の通りである。

1.これからの在宅介護はリハビリ中心
2.保護的介護からの脱却。なんでもしてしまう介護が利用者を駄目にしてきた。
3.24時間365日の巡回型介護・看護による自立支援
4.短時間型介護
5.複合型事業所によるパッケージ化されたサービスを中心に
6.地域当直医制をつくる
7.介護保険に頼り過ぎてはいけない、自分のことはまず自分でするのが当たり前
8.生活支援は介護ではない。民間サービス利用を。

こんな現実理解のない大学教授を「有識者」として審議会の参考人にしている限り、介護保険制度が国民から見て良い制度になるわけがないのである。

しかも恐ろしいことに、この「地域包括ケア報告書」は、筒井孝子研究員と一緒に、あの軽度誘導介護認定1次判定ソフトを作り出し、世間を大混乱させて、その修正に莫大な国費を使わせる元凶となるデータに深く関与した三菱UFJ総研の報告書データに基づいて作成されているんだぞ。また水面下で意図的な給付抑制につながる制限ルールが構築されていると考えられないか?

さらに胡散臭い動きがある。これもとある筋からの情報によるが、6/18に厚生労働省は、マスコミを完全にシャットアウトした非公開の会議を開催して地域包括ケア研究報告書の中の『24時間巡回型介護』について話し合っている。なぜ非公開の秘密会を開く必要があり、そこで何が話し合われたのか?マスコミ関係者は、このことをもっと注視して問題視したほうが良いのではないのか?

そして介護支援専門員を始めとした関係者は、この「地域包括ケア報告書」をよく読んで、この中身がいかに現実とマッチしていないかを把握し、地域からアクションを起こしていかないと大変なことになるぞ。

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