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人はいつかこの世から消えてなくなる。それは人という存在の宿命であり、そのことは誰にも平等に訪れる確実な結末だ。

だからと言って、人生とはその終末に向かって歩き続けているという意味だけではなく、生かされているこの場所で、人として必要とされる役割なり、意味なりを探し続ける旅路でもある。

いつか消えてなくなるから儚いかもしれないが、それは同時に生かされている今この瞬間がいかに意味深く貴重な時であるのか、という意味があり、人はそのことに幸福を感じながら歩き続けることができるはずだ。

僕はこの世に自分の軌跡を残そうとは思わない。名もない一市民として誰の記憶にも残ることなく朽ち果ててゆくことを恐れない。

今この瞬間も路傍の石のように、その存在を誰からも気がつかれないことを恐れない。無視され通り過ぎられようとも、そのことを空しく感じない。

ただ僕は見ていたい、この世のすべての美しい光景と、人々の笑顔と輝きを。

信じていたい、暗い夜の向こうにある光りある朝や、厳しい冬の吹雪の後に来る春の息吹や、冷たい雨の後に優しく降り注ぐ太陽を。

僕がこの世で生かされている間は、そのように誰かに待たれる存在になりたい。しかし同時に、昼間の太陽や、訪れてしまった春は、人々にとって当たり前の存在であり、そこにある間は人々から意識されないように、そこにいる僕は、人々の意識から消え、ただ静かにたたずむ存在でありたい。

そして決して忘れたくはない。人は支えあって存在するものであり、誰かを不幸にするために生まれたわけではないことを。そして望まれず生まれてくる人などいないということを。名もない花にも命があり、誰の目に触れることもなく枯れてゆくとしても、この世に花を咲かせたことに意味があるように、僕たちの存在そのものが天から与えられた意味ある生の営みである。

だから僕らが生きることは、愛を育み、愛を伝えて行くことだろうと思う。そんな思いを青臭いと笑う人は笑えば良い。僕はそうした蔑みもすべて受け入れて生きたいと思う。

しかし神ならざる身の人間であるがゆえに、僕自身はあるとき、人を憎み、人を恨み、そして人を傷つけてしまう時がある。しかしそこで失われるものは、僕以外の他人の心であっても、それは同じ人間として本当は僕らの大切な仲間の心なんだ。だから結局のところ、人を憎み、人を恨み、人を傷つけることで、僕自身が深く傷ついて行く。それを分かっているのに、自分以外の誰かに嫌悪感を持つ感情を捨てられない。人間とは何と愚かな動物なんだろう。愚かであり、弱いから支えてくれる誰かを常に必要とするんだ。

『いつか時がたち、僕らも死んでしまう日が来るさ、その時までに何を残せるのかな。大げさなことではなく、例えば君のぬくもり、そんなことが僕を変えてゆく。』

上の詞は、ゆずの北川悠仁くんが書いた「リアル」の歌詞の中の一節である。

僕が残せるものがあるとすれば、それは僕の存在の記憶ではなく、人が人と繋がっていくことの素晴らしさと、そこで繋がれる人と人のぬくもりを伝え、そのことの素晴らしさを誰かが感じてくれることだろうと思う。

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