ショートステイというサービスは、様々な出逢いが伴うサービスである。

新規利用者の方は、顔も人となりも、家庭環境もほとんどわからない状態で受け入れる場合が多いので、居宅サービス計画担当者(担当ケアマネ)からの情報が命綱で、それが実態と違うと困る場面が多々ある。

そのためショート事業所の中には、はじめから担当ケアマネの情報を信じず、初回ショート利用は原則何日などと暗黙のルールを定めている事業所もあると聞く。おかしなことである。確かにショート利用した途端に混乱が激しく生じて、利用継続が不可能になる場合もあるが、それは個別の状況に応じて対応すべき問題で、未然に問題を防ぐために、サービスを使うための間口を狭めるということはあってはならないと思う。それは困難ケースの排除という形で、実質サービス利用ができない「介護難民」を作ってしまいかねない問題だからである。

正確な状態把握のための情報を得るという意味では、担当介護支援専門員と介護サービス事業所の担当者は日ごろからコミュニケーションを円滑にしておくことが重要である。そういう意味からも当地域のケアマネ会は、将来的にケアマネ資格取得を目指すという条件をクリアすれば、ケアマネ資格のない介護サービス事業所担当者も会員として入会を認めている。そして両者が共にケアマネジメントやケアプランに関する勉強や情報交換を行っている。これはそれなりに地域では意味のあることだろうと思う。

やや話が逸れた。ショートの話題に戻そう。

ショートステイは、必ず利用者が継続利用するという保障はなく、1回限りの利用で2度と利用しない人もおられる。その理由は様々だが「利用してみて自分にはあっていなかった」とか「サービスに不満を持った」という理由も存在するのが事実である。認知症の方が家族に勧められ利用したが混乱がおさまらずにやむなく途中で利用中止する、ということもある。

それらの方々に対するサービスが一概に不適切であったとか、利用者の希望を無視した、とかいうものではない場合もあり、時にはショート利用のコンセンサスを利用者自身には十分に得ていなかったとか、説得によっていやいや利用したというケースも含まれ、そのことで「やっぱり家で過ごしたい」という思いが強まった、というケースも多い。

しかしそうであってもショートサービス事業所としては、それらの方々の不満を解消し「使ってよかった」と感じられるサービスを提供し得なかったという意味では「失敗」であろう。

どのような経緯をたどってショート利用に至ろうとも、我々はそれらの人々に満足していただけるサービスを行うことを目指すべきで、まさにショートステイは一期一会の精神で、利用された初回から心のこもったサービスに努めねばならないサービスだ。機械的に数をこなして滞在中の無事だけに注意を払えば良いサービスではない。ここを間違えてはいけない。

むしろ1回限りの利用で、ショート終了後には2度とお逢いできない利用者であるかもしれないという意味において、その1回限りの利用を満足してもらえるようにサービス提供できることが我々に求められる責任でもある。ショート利用という形で関連を持ったのであるから、このサービス利用が「利用者の人生」において意味があるものであってほしいと思う。

介護サービスの視点はADLからQOLへと変換してきた歴史があるが、僕は現代の介護サービスはQOD(Quality of death)の視点まで含めて考えないとならないと主張している。

それは単にターミナルケアの場で利用者を「看取る」ということのみを意味するものではなく「そこで暮らし、やがてそこで最期のときを迎えるまで、いかにその人が生命を持つ個人として尊重され、豊かな暮らしを送ることが出来、やがて安らかに死の瞬間を迎えることが出来るかという意味であり、我々がそこで豊かな暮らしを送ることが出来る支援のあり方と、最後の瞬間を看取り、送り出すまですべての過程を質の高いサービスとして構築することを意味する概念」である。

そう考えると広く居宅介護支援というステージでも、すべての居宅サービスの担当者が連携してそうした視点を持って、1日1日が利用者にとって意味のある「暮らし」を営むことができているかを確認しながら、それはやがて豊かな「最期の時」に脈々と続いているものであるという理解が必要なのではないだろうか。

それは我々が、人間社会の中で様々な人と関わりを持ち、介護サービスを提供する意味であり、我々自身にとっても、そのことが自分の「生きる証し」となり得るのではないだろうか。

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