先日僕のブログ記事「最後の晩餐に関する対立」にコメントが寄せられた。この記事自体はかなり以前に書いたものだが、コメントは先週書き込まれたもので、その内容は以下の通りである。

看取りについての疑問を持つ対応があり投稿させていただきます。とあるGHの入居女性94歳の方が5月7日より絶飲となり医師とご家族も何もしなくてもいいといわれ在宅酸素療法のみで口腔ケア・清拭もせずにいます。祖母が入居しているところで安心していたのですがこの方の件で疑問を持ち始めています。自分は週1度おじゃましているところです。臨期が近く医師もご家族も何もしなくていいといわれているとのこと。関わる職員は何もできないのか、何もしないでいるのが?です。口は鼻出血のあとがみられ 皮膚汚れも目立ち 室内の消臭もされずただ死を待つだけなのでしょうか。何もしなくていいというコトバはどのような意味なのでしょうか。
話し合いでご本人の看取りについて心地よさをお互いもっていただきたいなぁと思います。何もできない自分もやるせないです
。」

以上・・・。非常にショックを受けた。

看取り介護というものは「終末期だから何も対応しない」「高齢者だから対応の必要はない」という考え方を徹底的に排除したうえで、なおかつ延命のための医療対応が必要ではない時期と判断するもので、身体介護自体は決しておざなりにするようなものではない。看取り介護であるからこそ、そこでは安心と安楽のために必要な対応を求められているもので、特に清潔支援や安楽の姿勢や状況を作り出す支援というものは不可欠である。安楽のための医療サービスも不可欠であり、看取り介護に移行したからといって、医師や看護師の対応や処置が皆無になるわけではなく、むしろ安心のための関わりや対応はきめ細かく行わねばならない。

看取り介護期は、体力や免疫力の低下が想定される時期であるから、感染症にかかるリスクも高く、その場合は、利用者の「苦しみ」が増幅するのだから、感染症を防ぐ清潔支援は最も配慮されるべきサービスで、清拭は毎日場合によっては複数回行うのが「安楽支援」の一部であるし、看取り期であるからといって「体力が弱って入浴できない」と考えることは間違いで、身体状態を正確に把握すれば、タイミングをはかって、看取り期における入浴も可能であるし、それが安楽に繋がる支援となる。

食事摂取も徐々に困難となるが、決して最期の瞬間まで「好きなもの」を口にする機会を奪わぬよう、その可能性を常に考慮して対応されるべきだし、その準備は怠りなくされるべきである。

僕の施設の「看取り介護」におけるキーワードの一つに「あきらめない介護」というものがある。最期の瞬間まで人として安楽に尊厳を持って生きることができるために、口から物を摂取することも、入浴することも、身辺清潔を保つことも、人とコミュニケーションを交わすことも、活動に参加することも「あきらめない介護」である。結果的にそうした状況が難しくても、支援者がそのことを「あきらめて」しまえば、わずかにできる可能性さえ奪ってしまうことになる。そうであってはいけない。

ブログ記事にコメントを寄せられた方が目の当たりにしている状況は、ターミナルケアでも、看取り介護でもなく、「終末期に見捨てられた状態」に他ならない。棄老(きろう)という文字さえ思い浮かばせるゆゆしき状態である。

看取り介護とは、単に医療機関に入院せず介護サービスの現場や自宅で亡くなることをいうのではない。看取り介護として、旅立つ人の尊厳や安楽を保障した支援を行うのが絶対条件で、それが行われない状況は「終末期の見捨て」というとんでもない状況を生む。その対象者は命ある人間であるのだという「当たり前」のことを考えた時、そんな状況を決して生んではいけないはずだ。

ターミナルケアとは、看取り介護とは何なのか、この当たり前のことを関係者は自らの胸に常に問いかけて、今行っていることが人として恥ずべき状況になっていないのか考え続けるべきである。

単に特養やグループホームで「亡くなる方がいる」ということは「看取り介護を行っている」とイコールではないのだ。特に変な施設では「何もしない」という同意をとることを看取り介護の条件にしているところがあると聞く。そんな施設では恐ろしくて看取られたくない。必要な介護や安楽のために必要な医療については、それは不可欠で、延命のための過度な医療対応が必要ないことと「何もしない」ということはイコールではないのである。何もしないという判断は、なんでもできる医学知識のある医師によって、安楽のために「これこれはしなくてよい」という判断に基づき決められるのが唯一無二の条件である。

むしろ安心・安楽の終末期ケアができる自信がない、できる力がない施設や事業者は「看取り介護」に関わるべきではないのである。

いつかの記事でも紹介したマザーテレサの言葉に

「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに替わるでしょう。」

という言葉がある。しかしコメントに寄せられた状況は最期の1%も不幸である。そうであればその方の人生の99%が幸せであっても、それは何の意味もなく不幸な人生に替えてしまうかもしれないものである。

そんな関わりが「介護」であってはならないし、そんなことが許されるわけがない。

そのコメントを書いてくれた方から、今朝再度コメントが寄せられた。

看取り介護の真摯なごく当たり前のケアの支援。人間らしさその方の思いをはかるケア。どこで暮らしていても大切な1つ1つのケアを実践するとりくみ同じ思いの輪が広まってほしいです。なぜ、この見捨てのケアに何もできなかったか。問題に目をそむけたのか。自分も人としてのアプローチが率直にできたらと残念で傍観していた1人だと後悔です。
この方は5月24日の夜中に永眠されました。本日28日11:00より葬儀となります。
看取り介護について今後も目をそらさずその方の思いをくむお手伝いが少しでもできるようにしていきたいです
。」

お亡くなりになった方が、この20数日間、どのような思いで最期の時を過ごしたかを考えると胸が詰まる思いである。ただ安らかなれと合掌するしかない。

こういう最期の瞬間を介護サービスの現場で決して生んではならないのである。

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