今日は昼休みが全く取れない状況で、昼ごはんも食べる時間がないかもしれない。これからデイの時間短縮利用者の送迎も手伝わねばならないので、ブログの更新も休もうかなとは思ったが、東京講演で不在の2日間記事更新をお待ちになっていた方の期待も裏切ってはならないと思い返し、送迎に出かける前のいつもより早いこの時間にザッとお約束の「クイズの答え」に関する記事を書こうと思う。

17日の記事で問いかけた問題。トイレに一生懸命向かおうとして車椅子を操作している利用者にかけるべき言葉は何か?という問いかけに、多くの方からコメントに「自分だったらどういう言葉をかけるか」について書いていただいた。この答えは決して一つではないし、正解は複数あってよいだろう。そういう意味では利用者の心を慮り、その思いに寄り添う言葉であるなら、すべて正解といってよいのだろう。

だからコメントに寄せられた回答に不正解はないといってよい。

その中で、僕自身が想定して用意しておいた言葉は「間に合いますか?」とか「お手伝いは必要ではないですか?」という言葉である。18日の講演の中でもそのように回答した。

「頑張ってください」という言葉は、場面によって毒にも薬にもなる可能性があり、頑張っている人に尻を叩くように言葉になってしまうことがあることに注意すべきだ。

講演では、このことにも触れて話をさせていただいたが、それは「自立する」という概念が、何もかも自分でできることを意味するものではないという観点からの指摘であった。講演でお話しした内容の一部に触れながら、今日の記事ではその考え方を紹介したい。

介護保険法第1条は「総則」を定めたもので「この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。」と書かれている。

これを読む限りこの法律が目的とする「国民の保健医療の向上及び福祉の増進」の具体像とは「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができる」とことに求めているということができ「自立した日常生活を営むことができる」とは手段ではなく、この法律の目指す目的そのものであるということが分かる。

このことは決して否定されるべき考えではないと思う。

なぜなら例えば医療の目的は「国民の健康増進」であるとして、その具体像は治療を行って病気を治す、あるいは予防医学をもって病気にならない、というふうに示すことができる。しかしこれに比べて、こと介護サービスにおいては「国民の福祉の増進」とか「生活の質の向上」を目的としたとしても、ではその具体像は何か、という点で、はっきりとした状態像を示すことが難しかった。そのことが「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができる」という形で具体化されたという意味があるからである。

その概念が「自分らしさ」とか「能力を最大限に発揮して自分で生活を作る」とかいわれる個別の具体像にも繋がってきたという意味もあるだろうから、介護保険制度のキーワードの一つである「自立支援」とは、この国の介護サービスが目指す具体像であるということができるのではないかと思う。

ただし一口に「自立」といっても、それは何を指し、どの範囲を言うのかということになると、この理解・判断にも個人差が生ずる。曖昧な部分も残っている。少なくともそれは「何でも自分でできる」という意味ではないことは「その有する能力に応じ」という文言で理解できるが、同時に能力に応じた自立を測定する根拠はケアマネジメントによって求められるものだという理解にも繋がるだろう。

そしてこの「有する能力」を個人の身体機能だけに求めるのは大きな間違いで、そもそもケアマネジメントは「解決しなければならない課題は人ではなく過程(プロセス)や仕組み(方法)にある」という意味であることを考えながら総合的見地から本質を見極めなければならない。

それとともに我々が自立支援において考えねばならないことは「自ら行為を行えなくなったからといって人間としての価値が低下するわけではない」「人である限り、最期の瞬間に近づけば近づくほど、自らの力ではできなくなってしまう行為が増え、やがてすべての行為を失う場合もある」という理解である。

ではその時に自立できない人々に我々の支援の意味は失われるというのか?
「有する能力」が失われた人々に対する支援をどのような目的として考える必要があるのか?

その時我々が考えるべきことは
1.自分ですべてできるだけが人間の価値ではない
2.自分でできない部分を任せても安心な場所に自分がいるという安心感
3.自らの意思で委ねることができる、という選択性があり、自分でその決定ができる限り私は私であり続ける。

ということではないだろうか。

広辞苑で「自立」という言葉の意味を調べると、それは「他からの支配や助力を受けずに、存在すること。」と書かれている。しかしは最期までこうした存在でいられるのか?そしてそれは人の価値として意味があるのか?自立できなくなれば人の価値が低下するのか?決してそうではないはずである。

そうすると我々が考えるべきことは「自立」より、むしろ「自律」=「他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること」ではないだろうか。それは人に頼る、委ねるという選択権を持つことを意味し、人間が支えあう社会における共立をも意味する。その概念の素晴らしさを忘れないことではないだろうか。

そしてそのことは、我々が目指すべきものは対象者が最期の瞬間まで「その人らしく輝いて暮らし続けけられること」「安心と笑顔がある生活」なのではないかと思うのである。

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