人に何かを教えることは本当に難しいことだと思う。

単に情報や知識を伝えるだけならさほど難しく感じることではないし、講演や講義形式で自分の考え方を伝えるということに限って言えば、そのことは決して苦手ではない。

しかし「教える」ということは、そういう情報や知識の伝達だけではなく、情報や知識を必要とする人が、それを様々な場面で応用する技術も含めた問題であり、時には情報処理の仕方を教えねばならないし、技術的な問題はそれこそ手とり足とり、噛んで含めたように教える必要もある。噛んで含めなきゃあ伝えてもいないことを「違う」と指摘されることもあるから厄介だ。

どうもこの後者が僕は苦手である。むしろ「見て覚えろ」「技術を盗め」的な指導に陥りやすいので注意しなければならないと思っている。なぜなら、そのような方法を受け入れてくれる人はなかなかいないのが現状で、それだけでは人はついてこない世の中になっているからである。

社会福祉援助技術は、目に見えない様々な要素があるので、口で説明できないものがあるし、我々の実践から感じてもらわねばならないものも多いのであるが、こうしたことも最近では、言葉や文字にして伝えないと分かってもらえないので大変である。特に僕のように「整理」が下手な人間は、順序立てて初歩からテキストみたいなものを作るのが苦手なので、初心者に物を教えることは下手である。

指針やマニュアルは簡単に作れるのに、どうしてこういう初心者テキスト的なものは作るのが苦手なんだろうとつくづく思う。

逆に、ある程度、知識と技術を持っている人に、それをベースにして、より以上のものを伝えることは案外苦にならないのである。要は親切心が薄いということだろう。同時に、面倒くさがりであるということが問題の本質かもしれない。

その点、施設の中には、実に上手に「かゆい所に手が届く」ように一から物事を教えることができる職員がいたりする。こういう人たちがいないと実際の業務は回っていかないので感謝である。

得手、不得手は仕方のないところだから、ここは分担・分業でお互いの得意なところで、それぞれの弱点をカバーしあう必要がある。この点、集団ケアと批判されがちの大規模施設は人材面では多種多様、ユニークで豊富な人的資源が存在するので、ここはメリットとして考えるべきだろう。

逆に言えば、小規模対応型サービスは、ケアソフトとして優れているかもしれないが、一人の経営者や、ごく一部の職員の力量でサービスの質に決定的な差が出てしまったり、価値観が偏ったりするので注意する必要があるだろう。

何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」という通り、やれば良いってもんじゃないことも世の中にはたくさんあるのだから、専門職同士の相互評価や相互批判は必要なのである。トップダウンだけですべてが決まってしまう職場というのは、職場全体の価値観も世間の常識とかけ離れてしまう危険性があることに常に注意しなければならない。

少し話がそれた。教えることは、とっても難しいことだが、教わる側の姿勢も同時に問われてくる問題だ。一を聞いて、一しか覚えられない人と、一を聞いて、その中から様々なことを学びとる人では結果が大きく違ってくる。教わる側も単に受動的存在であるだけではなく、積極的存在として自ら学びとるという考えがなくてはならない。

なぜなら前者の場合、教える人を一生超えられないからだ。今年新しい職場でスタートを切った若い人たちは特に考えてほしいのであるが、今は遠い存在に見える、知識が豊富で技術が優れた職場の先輩やトップも、いずれ年老いて行くのである。その時、替って力になるのが今の若い人たちであるはずで、先輩やトップの人々も、全ての人々が今のあなた方の立場からスタートしてきたんだということを考えてほしい。

それらの人々と、あなた方の将来が同じレベルでどうするんだ。それらの人々から学んでいる「あなた」は、それらの人々を超える義務があるのだ。

真摯に学びとって、受け入れるべきものは受け入れるが、教える者たちが伝える全てが「真理」ではないので、自らの批判力を同時に育てる必要があるものだ。

真理を探す旅の途中に若い人々はいる。やがて自らの「揺るぎなきもの」に手を触れるために、君たちは僕らの頭をふんづけて乗り越えて行かねばならない時も来るだろう。でもそのことは必要で大事なことなのである。

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