福祉・介護関連の出版社から依頼を受けて原稿を書くことがある。連載もあるため、ほぼ毎月何かしらの原稿を書いている。依頼が重なって同時に複数の原稿書きを行っていることもあり、早朝と夜中にそれぞれ分けて別のテーマの原稿を書いている期間もある。
書いている最中は、集中しており自分なりに精力を傾けているつもりで、片手間に行っている作業ではなく、時に徹夜したり、休日のすべてを原稿執筆に費やすことも多い。
そうして書いた原稿も、一度入稿し校正を終えてしまえば、これはもう僕の手から離れたものだ。冊子に掲載された後に「ああ、こういうものも書いていたな」と思うことも多く、編集者に手渡した後は、僕の手の及ぶものではなくなり、すっかり忘れてしまうこともあって冊子の活字になるまでにどのように料理されようと文句をつける筋合いのものではない。
しかし・・・。その原稿が一向に活字にもならず、埋もれてしまうのであれば、これはチト話が違う。こちらから「書かせてほしい」と依頼しているわけではないし、懸賞文に応募しているわけではない。依頼主から頼まれて書いた原稿はテーマが合わなければ書きなおしはあり得るだろうが、原稿を送った後に一向に発表されないのでは原稿書きに費やした時間も無駄なものに思えて空しい。
なぜこんなことを書くかといえば、明日から世間ではゴールデンウイークであるが(僕はあまり関係ない)昨年の連休に何をしていたかを思い出した時、無駄な時間を過ごした結果になって、昨年の連休は僕にとって失われた時間となってしまう可能性が高いことに、沸々とした憤りの感情がこみあげてきたからである。
いまから2年前の2008年某日、とある出版社がシリーズ化している書籍全6巻のハンドブックの第3巻の原稿依頼を受けた。構想が2年前で、話が具体化したのは昨年の始めで、原稿締め切りが5月末であった。僕が受け持ったテーマは「特別養護老人ホームにおける法令遵守」で、原稿の量は400字詰め原稿用紙で45枚〜50枚程度ということだった。つまりシリーズのひとつの巻の共同執筆作業というわけである。
結構まとまった枚数の原稿だから、それなりに作業時間を要した。そのため昨年の今頃は、休日で講演等が入っていない日はすべてその原稿の執筆に費やしていたし、〆切の5月末に合わせての作業だから、当然ゴールデンウイークの休み期間中も原稿を書いていたわけである。
その甲斐あって原稿は約18.000字、原稿用紙46枚にまとめることができ、最終推敲も終え締め切り間際の5/29には無事入稿することができた。あとはゲラになって挙がってきたものを校正して最終的に本になるのを待つだけであった。・・・と思っていた。
ところが、なかなか作業が進まず、他の執筆者の原稿が遅れているという連絡があったりしたものの、先行きが全く見えない状況が続いた。しびれを切らして問い合わせのメールを送ったこともあった。その後11月になってから、突然「当初の話ですと、原稿が揃った巻から順次発刊とのことでしたが、販売担当の事情から、全6巻を一度に発刊したいとのことです。このため、まだしばらく時間がかかることが予想されます。ご了解いただければありがたいです。まだゲラもできていないとのことなので、内容が古くなりそうであれば、そこの箇所だけ差替えの準備をしておいていただいた方が良いかもしれません・・・。」という連絡が入り、その後、約半年を経過しても何の連絡もない。
担当監修者の責任ではないが、出版社というのはこういうものなのだろうか?
1年前の原稿ならもう手を入れねばならない内容もあるだろう。場合によってはそっくり差し替えねばならない部分もあり得るってものだ。しかしそうであっても先が見えるならともかく、執筆から1年を経ようとし、最終連絡から半年を経ようとしている今においても何の進展も連絡もない。このままではあの忙しい時期に休日をつぶして書いた原稿が闇に埋もれてしまうだけである。
原稿は出版社にとっては、単に紙の文章にしか過ぎないだろうが、執筆者にとってはそれなりに思い入れがある汗の結晶なのだ。しかももともとは依頼を受けて自分の時間とエネルギーを削りながら完成させたものだ。そんな思いには出版社は関知することはないのだろうが、最低限の依頼主としての責任と義務というものがあるだろう。
こういう出版社が法令遵守とか、コンプライアンスとかをテーマにした冊子を出して説得力があるんだろうかと、自分が書いたテーマながら不安になってくる。
まったくどうしたもんだろうか・・・・・。憤るだけなのだが、それは何ともやり場のない空しい憤りになってしまっている。・・・祝日を前に何とも愚痴っぽい記事である。申し訳ない。
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書いている最中は、集中しており自分なりに精力を傾けているつもりで、片手間に行っている作業ではなく、時に徹夜したり、休日のすべてを原稿執筆に費やすことも多い。
そうして書いた原稿も、一度入稿し校正を終えてしまえば、これはもう僕の手から離れたものだ。冊子に掲載された後に「ああ、こういうものも書いていたな」と思うことも多く、編集者に手渡した後は、僕の手の及ぶものではなくなり、すっかり忘れてしまうこともあって冊子の活字になるまでにどのように料理されようと文句をつける筋合いのものではない。
しかし・・・。その原稿が一向に活字にもならず、埋もれてしまうのであれば、これはチト話が違う。こちらから「書かせてほしい」と依頼しているわけではないし、懸賞文に応募しているわけではない。依頼主から頼まれて書いた原稿はテーマが合わなければ書きなおしはあり得るだろうが、原稿を送った後に一向に発表されないのでは原稿書きに費やした時間も無駄なものに思えて空しい。
なぜこんなことを書くかといえば、明日から世間ではゴールデンウイークであるが(僕はあまり関係ない)昨年の連休に何をしていたかを思い出した時、無駄な時間を過ごした結果になって、昨年の連休は僕にとって失われた時間となってしまう可能性が高いことに、沸々とした憤りの感情がこみあげてきたからである。
いまから2年前の2008年某日、とある出版社がシリーズ化している書籍全6巻のハンドブックの第3巻の原稿依頼を受けた。構想が2年前で、話が具体化したのは昨年の始めで、原稿締め切りが5月末であった。僕が受け持ったテーマは「特別養護老人ホームにおける法令遵守」で、原稿の量は400字詰め原稿用紙で45枚〜50枚程度ということだった。つまりシリーズのひとつの巻の共同執筆作業というわけである。
結構まとまった枚数の原稿だから、それなりに作業時間を要した。そのため昨年の今頃は、休日で講演等が入っていない日はすべてその原稿の執筆に費やしていたし、〆切の5月末に合わせての作業だから、当然ゴールデンウイークの休み期間中も原稿を書いていたわけである。
その甲斐あって原稿は約18.000字、原稿用紙46枚にまとめることができ、最終推敲も終え締め切り間際の5/29には無事入稿することができた。あとはゲラになって挙がってきたものを校正して最終的に本になるのを待つだけであった。・・・と思っていた。
ところが、なかなか作業が進まず、他の執筆者の原稿が遅れているという連絡があったりしたものの、先行きが全く見えない状況が続いた。しびれを切らして問い合わせのメールを送ったこともあった。その後11月になってから、突然「当初の話ですと、原稿が揃った巻から順次発刊とのことでしたが、販売担当の事情から、全6巻を一度に発刊したいとのことです。このため、まだしばらく時間がかかることが予想されます。ご了解いただければありがたいです。まだゲラもできていないとのことなので、内容が古くなりそうであれば、そこの箇所だけ差替えの準備をしておいていただいた方が良いかもしれません・・・。」という連絡が入り、その後、約半年を経過しても何の連絡もない。
担当監修者の責任ではないが、出版社というのはこういうものなのだろうか?
1年前の原稿ならもう手を入れねばならない内容もあるだろう。場合によってはそっくり差し替えねばならない部分もあり得るってものだ。しかしそうであっても先が見えるならともかく、執筆から1年を経ようとし、最終連絡から半年を経ようとしている今においても何の進展も連絡もない。このままではあの忙しい時期に休日をつぶして書いた原稿が闇に埋もれてしまうだけである。
原稿は出版社にとっては、単に紙の文章にしか過ぎないだろうが、執筆者にとってはそれなりに思い入れがある汗の結晶なのだ。しかももともとは依頼を受けて自分の時間とエネルギーを削りながら完成させたものだ。そんな思いには出版社は関知することはないのだろうが、最低限の依頼主としての責任と義務というものがあるだろう。
こういう出版社が法令遵守とか、コンプライアンスとかをテーマにした冊子を出して説得力があるんだろうかと、自分が書いたテーマながら不安になってくる。
まったくどうしたもんだろうか・・・・・。憤るだけなのだが、それは何ともやり場のない空しい憤りになってしまっている。・・・祝日を前に何とも愚痴っぽい記事である。申し訳ない。
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「ブラックジャックによろしく」の作者です。