苫小牧訪問看護ステーションの門脇所長らは、在宅訪問看護で看取った方々の遺族のケア(グリーフケア)として、亡くなられた利用者の命日にご遺族宅を訪ね、お線香をあげながらご遺族のお話を聞いているそうだ。それは何年も継続されており、現在一番長い方で7年間通っているお宅もあるという。

その際、ご遺族の方々が共通して話されることは、亡くなられた方々について「いつまでも忘れないで、覚えておいてほしい」ということだそうである。

2008年に日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が行った「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査」でも「死期が近い場合、心配や不安に感じること」という問いかけに対し、14%の人々が「自分の存在がこの世から忘れられてしまうのではないかということ」と回答している。ここでわかることは、この世を去った後に、自分が全ての人々の記憶の中からも消え去ってしまうことを「空しい」と感じる人、あるいは自分の存在が肉体の消滅と共にすべて無になることの「恐怖」を感じる人がいかに多いかということである。

死んでしまった人のことを覚えておくことが、既に死んでしまった人にとっては意味がないだろうと言われる人もいるが、人のはかない命に思いを寄せるなら、せめて自分の近しい人々の記憶を、その死後まで大切に持ち続けることは、命というものに謙虚に向き合う姿勢として肯定されてよいだろう。すくなくとも、そのことはこの世に残された人々にとっては意味のあることだろうと思う。

僕の特養でも毎年幾人かの人々が亡くなられている。それは予期せぬ突然の死であったり、看取り介護を行って迎えた死であったり様々である。そのすべての人々の葬儀には参列させていただいているが、その後にすべてのケースについてグリーフケアを継続していることはない。

しかし縁あって、我が施設で過ごし、最期の時まで関わりを持った人々を覚えていることは僕にも出来る。

当施設は昭和58年に開設した施設だから、すでに20数年の歴史があり、ここで過ごされた利用者延べ人数は460人を超えている。利用定員が100名であるから、この460人−100人が、この施設で出会い、そしてお別れをした人の数になる。

そのすべての人々について、名前を思い出したとき、その顔とともに様々なエピソードが浮かぶ。

目が見えないことと、四肢が動かないことのどちらが不幸か言い争っていたお二人の顔。毎晩毛布を取られてはいけないと廊下を毛布を引きずりながら歩いていた方。夜中に素足のまま外に出られてコンビニで発見された方。全盲であったが世話好きで部屋の利用者を集めて毎晩酒盛りを仕切っていた方。屋根のひさしに巣食った小鳥の成長を楽しみに観察し、毎日僕らにその報告をしてくれた方。窓に衝突して気を失った鳥の羽をむしって生のまま食べてしまった方。大相撲の星取表を書いている最中に鉛筆を握ったままの姿で心臓発作で急死した方。遺言公正証書を作られたことで安心され涙を流されていた方。

一人ひとりのことを決して忘れない。それが我々の唯一できることである。

松山千春の「君を忘れない」という曲は、脳腫瘍のため32歳という若さで逝ってしまった広島東洋カープの炎のストッパー・津田 恒美投手に捧げられた唄だ。その歌詞の1節が僕はとても好きだ。

君から教えられた 自分自身 愛するように
生きたい 人を愛したい 命ある限り 


僕たちの命は、人を愛するためにあり、誰かを愛し続けるためにこの世に生かされているのだと思う。

だから亡くなられた方の過去の時を愛し、この世に生き、我々と関わりを持っているすべての人々を愛し続けることが我々のできることであり、それはとても尊いことだ。

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