介護サービス情報の公表制度がいかにサービスの質を担保しないか、あるいは国民にとって全く意味のない情報の垂れ流しでしかないことは、このブログ記事でも再三取り上げて警鐘を鳴らしている。(参照:公表制度についてのブログ記事

あの情報は、単に指定された書式上の「記録があるか、ないか」しか確認していないので、その内容に沿った実際のサービスが適切に行われているかさえ調査員は確認しないのである。だから公表センターの公開情報だけで事業者を選択することほどリスクを伴うものはない。そうした実態を表さない情報を「公の機関」として公表センターが開示していること自体が「社会悪」とさえ言えるのではないだろうか。

毎年定期的に全介護サービス事業(現在、随時拡大中で今年度までは対象になっていないサービスもある)を対象に行う調査によって支払われる調査・公表費は膨大な額に上っている。

例えば我が事業所についていえば、介護老人福祉施設としての施設サービスと併設短期入所生活介護事業・居宅介護支援事業所・通所介護を行っているので調査対象指定事業数(特養と併設ショート及び予防と介護は一体とする)は、施設サービスが1・居宅サービスが2ということになり、調査事務手数料は29.200円+21.200円×2=71.600円ということになる。今年から調査員は1名体制になって、1日(と言っても3〜4時間程度である)で全事業のチェックを行うだけで、これだけの費用を支払わねばならない。さらにこれに上乗せして公表事務費がそれぞれ9.700円も上乗せされ、全体で100.700円の負担になっている。これでも以前より安くなっているのである。しかしこの程度の調査・公表の手間でこの金額は「良い商売」だ。

つまりあの公開情報は、一人の調査員で3つのサービス事業(併設ショートを含めると実際に4事業)をわずか3〜4時間で調査した結果でしかなく、情報としての価値がどの程度のものか素人でも想像がつくだろう。しかもそれにより事業者は毎年10万円以上の負担を強いられているわけである。これが永遠と毎年続き調査公表機関にとって「顧客」がなくなることはない・・・。さらに調査のたびに、介護サービス事業者は忙しい職員を調査員の「子守り」に貼り付けねばならず、書類の準備や後片付けを含めて、これも無駄な業務負担である。負担費用も事業者にとっては無駄金・死に金でしかないとしか考えられない。

例えば当登別市の居宅介護支援事業所・通所介護事業所・訪問介護事業所という3つのサービス事業に限定して考えても、事業所数は27事業所あるので(実際にはもう少し増えているのかもしれない)、これらの事業所だけから調査・公表機関が毎年、定期的に得られる収入を考えみると、その金額は834.300円にもなる。これにその他の施設サービス等を加えて、全サービス・全道規模で考えれば、どれだけ多くの費用が支払われているかがわかるだろう。しかもこれは増えることはあっても(事業者数が減っていないので)決して減ることはなく、かつ毎年支払われる安定収入なのである。

だからこの制度の意味は、事業者から調査費用と公表費用という名目で金を定期的に、かつ確実に分捕り、それによって利益を受ける一部の人々の懐を肥やすためだけに存続していると言ってもよいだろう。しかし突き詰めれば、それは介護給付費から支払われているんだから、国民の税金と保険料から支払われているのである。つまり何の意味もない調査と、その情報公表という名目のものに、国民が汗水たらして納めた公費が無駄に使われているという意味にもなる。

この公表センターの役割を、都道府県の社会福祉協議会が担っている地域があるのも問題である。こんな意味のない情報を流す主体に社協という組織がなっていることが国民の目を狂わす元凶でもある。僕は心の中で「社協マンとしての誇りも見識のかけらもないのか」とつぶやきたくなることがある。それほどの意味のいない調査情報なのである。

しかしその実態を知ることがない一般国民・一般市民は、「情報公開」と冠がつくことは悪いことではなく、ないよりはあったほうが良いだろうとしか認識していない。税金や保険料という公費がいかに無駄に使われているかということを認識していない。

だから事業者が、こんなもの続ける価値がないと声高に叫んでも「多くの国民は、それは必要なことだと支持している」として制度反対・廃止を求める声は、単に「事業者エゴ」として処理され、顧みられることはない。

僕は、情報開示自体を否定しているわけではなく、それは必要なんだから、むしろもっと有益な情報として、実地指導の結果や書面審査である「指導調書」の内容を公開するシステムにすればよいと提言している。これなら既に行われていることで別に費用や業務負担が生ずることはないのだ。それによって国民にとって何の意味もない公表制度の調査や公表情報に金や時間を使う無駄も省け、さらには余計なエネルギーを省くことで、現場の介護サービスにそれを回してサービスの質が向上することだって可能になるかもしれない。

かつて昭和の黄門さまと言われた福田赳夫総理大臣は、党の総裁選で大平正芳氏に敗れた際に「民の声は天の声というが、天の声にも変な声もたまにはあるな」と言ったことがある。国民の声にも「変な声」はあるのだ。しかも悪いことに、それは決して悪意のない声であり、時として「悪意はないが間違った声」が世論の多数を占める結果になることがある。

介護サービス情報の公表制度に関する、一般国民・一般市民の声も同様である。

問題意識を持って、なんとか介護サービスの質を向上させようとしている多くの関係者が、そのことにこの制度が百害あって一利なしと考えて声を挙げているにも関わらず、この制度の見直し議論が進まないのは、善意の国民がこうした自らの「変な声」に気がついていないからである。

本質を見つめることなく「介護サービス情報公表制度は必要な情報公開」と間違ってしまっている国民の声が世論の一部を形成してしまっている状況が利権に群がる一部の人々の懐を肥やし続けているのだ。

このことに国民自らが気付かない限り、国家予算は常に誰かの食い物にされ、制度の光を当てる必要がある人々の闇は永遠に晴れることがなく、陽のあたる場所は利権を得ている者たちによって占有され続けていくだろう。

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