公的介護保険制度法案の国会提出機運が盛り上がり、その動きが具体化してきた1996年初頭の通常国会召集前から時系列で、介護保険制度法案成立に至るまでの経緯について、関連する政治的な動きを中心に振り返ってみたい。本日と明日の2日続きで、このことをまとめて、建国記念の日で記事更新を1日休んだ後に、今週金曜日の記事で、時系列の動き以前の政策動向を含めて介護保険制度誕生に至る我が国の高齢者福祉関連制度の流れをまとめてみたい。
1996年1月5日、公的介護保険制度創設を支持してきた社会党の村山富市首相が突然の退陣表明。村山は94年6月25日に羽田内閣総辞職を受けて、自由民主党総裁・河野洋平が日本社会党委員長首班の連立政権を打診し、新党さきがけを含めた自社さ共同政権構想に合意し首班指名されていた。
「自・社・さ連立政権」では最大議員数を自民党が握っているものの、社会党の村山内閣ということで、同党が都市部のサラリーマン層を中心に支持されていた経緯があり、1993年頃から構想され厚生省官僚が法案提出を勧めてきた「公的介護保険制度創設」は共働き世帯を支援する同党の政権構想とマッチし、これを指示していた。一方連立政権内部では、新党さきがけも法案支持の立場であったが、農村部の第1次産業を支持基盤とする議員が多い自民党が、家族介護にこだわる傾向が強く、公的介護保険制度より、介護する家族などに現金給付を行う政策を支持する議員の力も強く、介護保険制度創設には反対論も多かった。これに介護保険制度を創設すれば将来の財政支援が必ず必要になり財政悪化の要因になるとして大蔵省や自治省が同調し、自民の反対勢力を支持してきた経緯がある。
1月5日、村山首相退陣表明を受け、同日、自・社・さ政権協議にて、自民党総裁・橋本龍太郎を首班とする連立で合意。自民党内には公的介護保険制度創設反対論も根強く、その動向が注目された。
1月8日、自・社・さ連立政権で村山首相退陣後のあとを受ける橋本龍太郎自民党総裁は年頭の記者会見で「高齢化社会対策として介護保険制度創設の必要性」を訴え、通常国会への公的介護保険制度関連法案提出への意欲を示した。
1月11日、村山内閣総辞職。第1次橋本連立内閣発足。注目の厚生大臣は、介護保険制度導入に前向きな新党さきがけの菅直人が指名される。(菅は同年9月、さきがけの鳩山由紀夫が民主党を設立すると鳩山と共同代表として同党に参加し、後に政権離脱した。)
※なお社会党はこの月、党名を「社民党」に変更した。
1月24日、厚生省は通常国会に法案提出を予定している「公的介護保険」について保険の運営主体として市町村案を検討していることを表明。なお最初の法案では制度の実施時期は1997年〜とされていた。
2月8日、老人保健福祉審議会第2次中間報告。
2月15日、同審議会では保険の主体をどこにするかについて、実施主体とされた市町村が財政的裏付けがないと猛反発。大揉めに揉め、決着を先送りし3月中の法案提出が困難となった。この間、与党内部には自民党を中心に「国民の新たな負担を強いる保険の導入は総選挙に不利」として法案提出見送りの慎重論も生まれた。
3月14日、自民党・丹羽雄哉元厚生大臣は「ヘルパーなど在宅サービスだけを対象とする介護保険を前提的に導入する」という私案を与党のプロジェクトチームに示した。
4月22日、老人保健福祉審議会は 菅直人厚生大臣(菅氏は1996年1月、村山内閣総辞職後成立した第1次橋本内閣で厚生大臣として入閣した後、1996年9月28日、新党さきがけの鳩山由紀夫が民主党を旗揚げすると、これに参加。後に野に下り介護保険制度の議論では菅氏は与党の担当大臣〜野党の有力議員として関わる結果になった。)に最終報告書を示した。この中では1997年実施を目指した「介護保険制度」について準備期間を置くように求めたほか、家族介護に現金給付をすることの是非について賛成と反対の両論を併記した。
4月23日、丹羽私案。制度は1998年からとし、在宅サービスを先行させる保険制度の段階導入方式を求めた。
4月26日、社民党により「1998年度からの在宅、施設の介護サービスを供給するとし、2002年を目途に供給対象を20歳以上とする」とした意見が出される。
5月16日、厚生省は老人保健福祉審議会に「サービスの受給対象、保険料負担対象年齢は40歳以上とする」私案を示した。制度開始時期は在宅が1999年、施設が2001年からという段階実施案であった。しかし同日、自民党・梶山静六官房長官が、法案提出に積極的な菅直人厚生大臣に、住専への財政資金投入問題を抱える状況で、1997年の消費税引き上げ(3%〜5%へ)と介護保険を導入することによる国民負担が増加すれば「国民の逆鱗」にふれ選挙が戦えないとして慎重対応を求め、自民党の加藤紘一幹事長も梶山発言に理解を示した。橋本首相もこのことについて「異論があることは事実」として内閣と与党の不統一を認めた。同日、丹羽元厚相が首相官邸を訪ね、介護保険制度の必要性を訴えたが、首相は「市町村の理解を得なければならない問題だ」と協力の明言を避けた。
5月17日、新党さきがけの鳩山由紀夫代表幹事は自民党内の慎重論について「薬害エイズ問題で国民の注目と支持を集めた菅厚生大臣への反発である。」と認識を示し不快感を表した。この間、大蔵省は「介護保険は将来の公費負担の増加に結び付く」として自治省とともに異論を唱えた。
5月22日、橋本首相と菅厚相の会談。首相が厚相に「今国会の法案提出は難しい」と見通しを伝え理解を求めたという報道がされるが、菅厚相は「難しいが互いに努力しようと、ということ」と解説した。同日、厚生省は全国市長会と町村会に市町村の財政負担を軽くする「介護保険運営安定方策」を示し、市町村が保険者を受けるように強く要請した。しかし両会とも財政的裏付けが乏しいと、これを拒否。
5月24日、「高齢社会をよくする女性の会」の樋口恵子代表が、千代田区の主婦会館で「介護の社会化を1歩も緩めるな」とアピール。しかし同会の中でも本国会への法案提出に対する反対論も出て、機運としては法案の国会提出が難しくなるという状況であった。
6月6日、介護保険制度の骨格となる「新制度案大綱」を老人保健福祉審議会と社会保障審議会に諮問。
6月10日、医療審議会が、介護保険関連法案として諮問していた医療法改正要領を諮問通り答申。療養型病床群が19ベッド以下の診療所にも設置可能とした。この間連立与党プロジェクトチームの強い要請で厚生省私案が方向転換し
1.保険料負担・受給は共に40歳から
2. 制度は在宅、施設の同時実施。
という修正方針を示した。これに対し「負担は20歳、受給は65歳から、在宅、施設の段階実施」という案でまとまっていた老人保健福祉審議会は「一夜で内容が変わるなんて無節操」と猛反発した。
6月12日、自民党社会部会では結論が出ず「継続審議」。しかし社民党・新党さきがけ両党は法案の今国会提唱を了承した。これを受け厚生省は「介護保険法及び介護保険法施行法案要旨」を与党福祉プロジェクトチームに示した。このころ既に新党さきがけの鳩山由紀夫は、さらなる新党構想を掲げ、菅厚生大臣もこれに参加する意思を示しており、閣内にいては政治行動がとりにくので、介護保険法案の国会提出が見送られた場合、これを理由に辞表を提出するのではないかという憶測が流れ、自民党内に「自民党だけが悪者にされ選挙で負ける」という空気が広がり、加藤紘一が菅に電話で辞任する意向がないことを確かめたりした。連立与党の内情は大揺れであったのである。
6月13日、与党調整会議。法案提出賛成派は社民・さきがけ・厚生省。反対派は自民党・自治省。
6月15日、政府・与党は介護保険法案の国会提出を見送る方針を固めた。この際、連立与党3党は秋の臨時国会に法案を提出するとの合意文書を交わしたが、関係閣僚の署名が中止され早くも暗雲が漂った。
(明日に続く)
介護・福祉情報掲示板(表板)
福岡県八女郡広川町で特養の相談員をしております。
以前、このブログで紹介をさせて頂きましたが、
再度PRさせて頂きます。
明後日11日(木・祝)4:45〜母さんへ(かかさんへ)
と言うドラマが再放送されます。
昨年12月11日に九州・沖縄地区限定で放送されました。
僕の生まれ故郷福岡県八女郡黒木町(黒木瞳さんの出身地)を
舞台にした聞くも
是非ご覧下さい。(詳しくはリンク先へどうぞ)
追伸・・・masaさんの表題の書き込みに全くリンクしていない事、
このブログへのアクセス数が大変多い事を利用した
大変卑怯なPRである事をご了承下さい。