僕は介護現場で職員が持つべき意識として「介護現場における割れ窓理論」というものを唱えてきた。これはまさに僕自身が作り出したオリジナル理論と言ってよいだろう。
※参照:割れ窓理論に関する記事一覧
しかし「割れ窓理論」は何度か紹介しているように、犯罪心理学の中で広く知られている理論であり、それは「建物の窓ガラスが割られた状態をそのまま放置しておくと、外部からその建物は管理されていないと認識され、割られる窓ガラスが増える。そしてそのことがきっかけで建物全体が荒廃し、それはさらに地域全体に拡大し地域に犯罪が増え荒れていく」という理論であり、その意味は「些細なことと放置しておくと、 その地域の結束や自治能力が失われていく、 それに気づかず放っておくと、 どんどん悪化してしまう。」ということであり、それを防ぐには「率先して小さな割れ窓を修理して、あらたな割れ窓を作らないことで、地域を改善していこうという理論。小さなほころびをその時点で繕うことによって大きな犯罪が防ぐことが可能になる。」 という理論である。
僕のオリジナルな点は、この理論を介護サービスの中で「支援者が使う言葉」を割れ窓に例えた点であり「コミュニケーションツールとしての言葉 は太陽にも北風にもなる〜時には刃物になる」と考え、支援対象者はほとんどの方が年上の方であるのだから、世間一般的に持たれているであろう目上の相手に対する姿勢としての「言葉づかい」が当然必要であり、地域で年上の人々に決して使わないような「言葉の使われ方」が介護の現場で、職員と利用者間でだけ使われるのは、それは世間の非常識だし、必要性がないもので、そうした特殊な関係や言葉によって、介護者の感覚は知らず知らずのうちに麻痺して、言葉により介護者が利用者を見下ろす位置に立つ恐ろしさ に気がつかなくなるという意味である。
だから地域で一般的に、近隣づき合いの中でコミュニケーションとして通用している「方言」まで否定していないし、方言として若者が年上の人に「ごく普通」に地域で使っている言葉であれば、それまで「割れ窓」であるとは言っていない。
何度も繰り返すが、親しみを込めた言葉とか、いろいろな理屈をいかにつけようが、その地域で一般的な関係の中で使われない言葉を、介護サービス現場という特定の場所でだけで、職員と利用者の間でだけ使われているということそのものが「感覚の麻痺」なのである。それは物言わぬ利用者を低いところに引きずり下ろして「慣れさせている」という貧困なサービス以外のなにものでもない。
自分が年をとったときに、新卒の若造に「ため口」で話しかけられて良い気がするのだろうか。そういう口調で語りかけられているのが自分の親であったらどういう気持ちになるだろうか、ということまで考えを及ばすのがプロフェッショナルであり、地域で使われない特殊な言葉でのキャッチボールでしか「親しみ」を表現できない人は、プロとしての自覚や技量に欠けているのである。
我々の介護サービスというものは「目に見えない形のないサービス」であるから、再現性がないのと同時に、使ってみて初めてその内容が分かる、という特性を持っている。つまり「お試し利用」というものがあったとしても、それは実際上は「利用そのもの」でしかないのである。
ということは「使ってみて利用をやめる」ことができたとしても、人を傷つける要素が多いサービスの場合、使ってみたことそれ自体で利用者の心が傷つく、という可能性を常に内包しているのである。使って傷ついた結果、その利用をやめたとしても、回復しない傷をつけてしまっては元も子もない。
だから我々介護従事者は、人に誇れる良いサービスを実現することは大事だと言っても、それ以前に「悪いサービス」を提供しないという意識が必要で、そのためにはある程度の品質までサービス水準を維持する必要がある。だから利用者が「嫌だ」とか「不快」と思う感情に対してはよりデリケートな感覚が求められる。
友達言葉や「ため口」を不快と思わない人がいるとしても、それを親しみと感じる人がいるとしても、世間一般的に普通ではない「言葉」は常に誰かの心に刃となる恐れがあると考えるべきであり、他に代替性がない場合を除いて、そういう方法を介護現場のスタンダードにする必要性はまったくない。一部の人の理屈を、サービス全体に適用する根拠にしてはいけないのである。
少なくとも「親しみ」という感情や、良好な関係は「言葉づかい」を悪くして、世間で一般的ではない方法によらないと生まれないものではない。
このことを考えれば、いかに普通の言葉を正しく使うかということの大切さがわかろうというものだ。ここの感覚を錆びつかせて、何のセンスというのだろうか。
窓が割れても、新しいガラスに取り換えればよいかもしれないが、ガラスと同じく壊れやすい人の心は、新しい部品と取り換えることができないものだということを知るべきである。
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※参照:割れ窓理論に関する記事一覧
しかし「割れ窓理論」は何度か紹介しているように、犯罪心理学の中で広く知られている理論であり、それは「建物の窓ガラスが割られた状態をそのまま放置しておくと、外部からその建物は管理されていないと認識され、割られる窓ガラスが増える。そしてそのことがきっかけで建物全体が荒廃し、それはさらに地域全体に拡大し地域に犯罪が増え荒れていく」という理論であり、その意味は「些細なことと放置しておくと、 その地域の結束や自治能力が失われていく、 それに気づかず放っておくと、 どんどん悪化してしまう。」ということであり、それを防ぐには「率先して小さな割れ窓を修理して、あらたな割れ窓を作らないことで、地域を改善していこうという理論。小さなほころびをその時点で繕うことによって大きな犯罪が防ぐことが可能になる。」 という理論である。
僕のオリジナルな点は、この理論を介護サービスの中で「支援者が使う言葉」を割れ窓に例えた点であり「コミュニケーションツールとしての言葉 は太陽にも北風にもなる〜時には刃物になる」と考え、支援対象者はほとんどの方が年上の方であるのだから、世間一般的に持たれているであろう目上の相手に対する姿勢としての「言葉づかい」が当然必要であり、地域で年上の人々に決して使わないような「言葉の使われ方」が介護の現場で、職員と利用者間でだけ使われるのは、それは世間の非常識だし、必要性がないもので、そうした特殊な関係や言葉によって、介護者の感覚は知らず知らずのうちに麻痺して、言葉により介護者が利用者を見下ろす位置に立つ恐ろしさ に気がつかなくなるという意味である。
だから地域で一般的に、近隣づき合いの中でコミュニケーションとして通用している「方言」まで否定していないし、方言として若者が年上の人に「ごく普通」に地域で使っている言葉であれば、それまで「割れ窓」であるとは言っていない。
何度も繰り返すが、親しみを込めた言葉とか、いろいろな理屈をいかにつけようが、その地域で一般的な関係の中で使われない言葉を、介護サービス現場という特定の場所でだけで、職員と利用者の間でだけ使われているということそのものが「感覚の麻痺」なのである。それは物言わぬ利用者を低いところに引きずり下ろして「慣れさせている」という貧困なサービス以外のなにものでもない。
自分が年をとったときに、新卒の若造に「ため口」で話しかけられて良い気がするのだろうか。そういう口調で語りかけられているのが自分の親であったらどういう気持ちになるだろうか、ということまで考えを及ばすのがプロフェッショナルであり、地域で使われない特殊な言葉でのキャッチボールでしか「親しみ」を表現できない人は、プロとしての自覚や技量に欠けているのである。
我々の介護サービスというものは「目に見えない形のないサービス」であるから、再現性がないのと同時に、使ってみて初めてその内容が分かる、という特性を持っている。つまり「お試し利用」というものがあったとしても、それは実際上は「利用そのもの」でしかないのである。
ということは「使ってみて利用をやめる」ことができたとしても、人を傷つける要素が多いサービスの場合、使ってみたことそれ自体で利用者の心が傷つく、という可能性を常に内包しているのである。使って傷ついた結果、その利用をやめたとしても、回復しない傷をつけてしまっては元も子もない。
だから我々介護従事者は、人に誇れる良いサービスを実現することは大事だと言っても、それ以前に「悪いサービス」を提供しないという意識が必要で、そのためにはある程度の品質までサービス水準を維持する必要がある。だから利用者が「嫌だ」とか「不快」と思う感情に対してはよりデリケートな感覚が求められる。
友達言葉や「ため口」を不快と思わない人がいるとしても、それを親しみと感じる人がいるとしても、世間一般的に普通ではない「言葉」は常に誰かの心に刃となる恐れがあると考えるべきであり、他に代替性がない場合を除いて、そういう方法を介護現場のスタンダードにする必要性はまったくない。一部の人の理屈を、サービス全体に適用する根拠にしてはいけないのである。
少なくとも「親しみ」という感情や、良好な関係は「言葉づかい」を悪くして、世間で一般的ではない方法によらないと生まれないものではない。
このことを考えれば、いかに普通の言葉を正しく使うかということの大切さがわかろうというものだ。ここの感覚を錆びつかせて、何のセンスというのだろうか。
窓が割れても、新しいガラスに取り換えればよいかもしれないが、ガラスと同じく壊れやすい人の心は、新しい部品と取り換えることができないものだということを知るべきである。
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介護という仕事は知識・技術だけでは到底成立せず、「心」がなくてはできませんよね。しかもホテルのサービスのようにゲストとホストの関係のような堅苦しさだけでは「冷たい感じ」として受け取られ(ホテルのサービスが悪いという意味ではないですよ)、かといってまるで利用者様を子ども扱いするような非常識がまかり通ってももちろんいけません。
「これっておかしくない?」という職場での「気付き」と、それに真摯に対応しようという「気持ち」がなければ質の悪いサービスにしかなりません。ですから、masaさんの「介護現場の割れ窓理論」は職場でも使わせて頂き、一定の理解を得られると願っています(自分の親が他人に子供扱いされたらどう思うか考えればわかることですよね)。
私自身も自らを省みるときに浮かぶキーワード=「割れ窓になっていないか?」です。masaさんの掲示板に出会えて本当に良かったです。いつも有難うございます。(礼)