年初めに書いた記事「日本の介護はどうなる?」でも触れているが、厚生労働省は特養申し込み者や待機者の数が大幅に増えていることを発表して、そのことが様々な形で報道されている。

そこでは「施設が足りない」から、今以上の整備促進が必要だという論調が主流であり、それは国が「言いたいこと」でもあるのだろう。しかし単に施設の数を増やすといっても、そこにどのような問題があって、そのことによってどのような影響があるかは、リンクを張った記事に書いたとおりである。

ところで、このことに関連して1/22に全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会が自治体の職員向けに行った研修会で、同会の会長は「(介護保険)施設は本当に足りないのか?」と疑問を呈している。

同会長の発言によれば「施設が足りないのではなく、在宅で24時間365日暮らすことが困難になっている。」とし、同時に「小規模多機能型居宅介護によって、在宅で24時間365日の安心を提供する介護の必要性」を強調する一方で、「小規模多機能型居宅介護を理解していない事業者が存在する。」ことによって、小規模多機能居宅介護の本来機能が発揮できず、結果的に在宅生活を支えられないサービスがある実態を指摘し、具体的には「通い」の回数を制限したり、「訪問」や「宿泊」を断ったりする事業所があることが問題であると発言している。

この発言要旨は概ね「うなづける」内容ではあるが、一点「施設が足りないのではなく、在宅で24時間365日暮らすことが困難になっている」という部分については「やや違うのではないか」と僕自身は考えている。

「在宅で24時間365日暮らすことが困難になっている」ということは、居宅サービスそのものが不十分であるということを示していると同時に、それはとりもなおさず現実の居宅サービスの限界を示したもので、インフォーマルな支援者が不足している人を中心に、そういう実態があって「施設サービスに移行せざるを得ない」という状態の人がいるのに、実際には「施設入所できない」ということは、それらの人々にとっては、まさに「施設サービスが足りない」という『事実』が存在する、と言ってよいものである。

しかし実際には施設サービスといっても、有料老人ホームやグループホームなどの民間営利主体が経営可能な施設だけではなく、経営主体が限定されている介護保険施設においても質の差があり、不十分なサービスしか受けられない人々が存在するし、施設を増やせば増やすほど、このサービスの質の事業者間格差が広がるであろうと予測されている。このことから推論するに、それは実情として言えば「施設が足りない」のではなく、この国の「介護サービスの総量」が足りない、という問題で、それは人的資源を含めた問題であるのだ。これが小規模多機能居宅介護という特定のサービスを増やして「そのサービスの主旨や理念に沿った」サービス提供を行うということだけで解決する問題ではないのだろうと思う。

勿論、同会長が指摘したように、小規模多機能居宅介護という、本来融通性が利くパッケージサービスの利用回数を規制してしまっては、むしろ不便しか生まれず、このサービスが在宅重介護者の地域での生活継続を支援することにはならないという指摘はその通りであるが、当該サービスの報酬内で配置できる人員を考えた時に、パッケージサービスプランを適正化するケアマネジメントの具体的モデルがない限り、無制限な利用は事業者の自己犠牲でしか成り立たない恐れがあり、制度全体の中での各サービスの役割分担と共に、適正サービスを考えないとならないと思える。

小規模多機能居宅介護というサービスの可能性は、さらに広がりがあるとしても、このサービスが機能して同時に適正運営が継続できるためには、サービス単位を小規模化しても、経営主体は大きく考える必要があるだろう。介護サービスのみならず医療施設等も関連施設として持つ法人がサービス全体を包括して運営して、介護保険外のサービス(例えば医療サービスもそれに含まれる)を「囲い込んで」運営するしか方法はないのではかとさえ思える。そういう意味を含めて考えると、この国の高齢化のスピードと、求められるサービスを考えた時に、小規模多機能居宅介護というサービスにだけ過度な期待と責任を負わせても問題解決にはならない。

特に同研修で石川県加賀市の担当者は、「大規模施設を作っても、将来的に高齢者がそこには入らないのではないか」と指摘したと報道されているが、その見込みは現実的には間違っており、少なくとも今後20年〜30年は郊外の大規模施設であっても需要は減らない。地域で高齢者を支えるという理念は大事であるが、火災事故などが問題になっているにも関わらず無認可の有料老人ホームの需要が相変わらず高いことを考えても、サービスの質を考える以前に、「生きて生活できる場所探し」が必要な高齢者が増加しているのだという事実を見誤ってしまうだろう。そういう現実がどうして引き起こされているのかというところに目を向けない限り高齢者介護問題の実態から遠いところをみるだけになってしまう。

地域密着型サービスの理念は大事であるが、同時に「向こう三軒両隣」の関係が崩壊した現代社会において、地域の介護力は年々低下する一途で、個人にとっての地域概念も縮小変化し続けているという問題が一方ではあるのだ。

そこでは単に指定権限や指導権限を市町村が持つサービスを、サービス提供の単位を小規模化して展開させるだけではなく、市町村ごとに地域の実情を鑑みて、スケールメリットを考慮した介護サービスを含めた総量確保、という視点が不可欠ではないかという結論にしか到達できず、地域単位の小規模対応型サービスだけが、この国の介護を支えるというのは幻想でしかないように思える。人手をかけないでも一定レベルのサービスが保障できるシステムに目を向けることがない限りこの国の介護は持たない。

「小規模対応絶対主義」は人類がかつて経験したことがない「少子高齢社会」においては現実的な高齢化対策にならない。

理想に基づいた理念は大事だが、政策等の行政レベルでは現実を見据えた達成可能な地域ビジョンが不可欠で、それがないと「光と影」の格差が広がるだけの結果になってしまう。

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